第七話:開戦への道
1903年8月、緊張が高まる中、日露交渉が開始された。
日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。
これに対し、ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。
何度も交渉が行われるが、議論は平行線のまま、時だけが流れていく…
10月8日は、満州からの第三次撤兵履行日であったが、ロシアはこれを無視。
それどころか、奉天を占領し、清国軍を城外に退去させる行動に出た。
これに日本は強く反発。既に6月より戦争準備が行われていた。
2月11日、日本はロシアからの修正提案を受ける。
しかし、その内容は従来のロシア案とほぼ同じであり、受け入れることはできなかった。
12月16日、元老と政府関係者の会議が開かれ…
「ロシアの提案はとても呑めるものではない」
まず小村寿太郎外務大臣がそう述べた。
「開戦も止むを得ない、そういう事か?」
質問が出る。
「はい」
小村は返答した。
「いや、ロシアとはまだ開戦すべきではない。時期尚早だ」
しかし、寺内正毅陸軍大臣は、時期尚早として開戦に否定的だった。
「では、外交で時間稼ぎをすれば、開戦しても?」
寺内は肯いた。
こうして、ついに開戦が決意された。
12月28日、開戦に伴う諸制度を整えるための緊急勅令が、枢密院で可決、公布された。
同日、陸軍は総動員を開始。海軍も聯合艦隊を結成し、戦時体制に移行した。
そして、公債の調達も開始された。
次回、ついに日露戦争勃発。