第六話:第二次ボーア戦争
1886年、ヨハネスブルグ近郊にてトランスヴァール共和国で金鉱脈が発見された。
それにより、イギリス領ケープ植民地から鉱山技師が流入してきたが、
トランスヴァール共和国の支配層であるボーア人は彼らに投票権を与えなかった。
英国人に対しての不平等な待遇により、
独立ボーア人共和国であるオレンジ自由国及びトランスヴァール共和国と大英帝国の間の対立は深まるばかりであった。
そしてついに1899年10月11日!
第二次ボーア戦争が勃発した。
英国に急接近していた日本では、「友国が危機に陥っている、助けねば」と参戦論が盛り上がり、
11月23日、ついに日本及びフィリピンがオレンジ自由国及びトランスヴァール共和国に宣戦布告した。
しかし、4月にケープ植民地に日本軍主力部隊が着いた頃には
既にボーア共和国軍はゲリラ戦に戦法を切り替えており、主力軍は延々とゲリラ討伐をするのだった。
一方オランダ。
ここでは日本の工作により、「自分達の子孫であるボーア人を救おう」「さらなる植民地を手に入れよう」という運動が起こり、
最終的には「英国との正面衝突は無理だが、同じく賛成している日本やその保護国のフィリピン程度なら戦っても大丈夫だろう」
との意見にまとまり、フィリピン・ミンダナオ島に1900年2月4日、奇襲攻撃を仕掛けた!
日本も翌日オランダに宣戦布告した。
そして日本軍は迅速に行動した。
2月21日にはミンダナオからオランダ軍を追い出し、4月11日にはボルネオ島・セレベス島に上陸。
24日未明にバリクパパンへ上陸、さらに5月30日にはアンボンにも上陸、6月14日にはパレンバンを強襲。
7月1日にはジャワ島に日本軍が上陸するに至り、6日にイギリスが参戦、28日未明に蘭印軍は降伏した。
8月8日にパレンバン条約が結ばれ、オランダは敗戦した。
以下がパレンバン条約の主な内容である。
・オランダは西パプア、モルッカ諸島南部などをイギリスに割譲
・オランダはジャワ島、スマトラ島、セレベス島、モルッカ諸島北部などを日本に割譲
・オランダはアチェ王国と停戦する
・オランダは日本と平等通商条約を締結する
・スペインは賠償金2,100万ポンドをイギリスに支払う
・スペインは賠償金30億円を日本に支払う
その頃英国では、「ここまで英国に尽くしてくれている日本とはもっと関係を深めるべきだ」との論が盛り上がっていた。
そして1902年1月30日、日露間の対立が深まるにつれ、日英同盟が締結された。
さらに1902年5月にはボーア人共和国も降伏、フェリーニヒング条約が締結されたことによって第二次ボーア戦争は完全に終戦を迎えた。
なお、義和団の乱はほぼ史実通りの展開だった。