第四話:日西戦争
1896年10月6日、フィリピンの著作家ホセ・リサールがバルセロナで逮捕され、マニラに送致された。
日本政府は強硬に釈放を要求したが、10月25日にスペイン政府がそれを拒否した。
しかし、偶然にも12月25日にマニラ近くで回航していた日本の輸送船が爆破事故を起こした。
日本政府はそれをあらかじめ知っていたかのように翌日にスペインに宣戦布告。
理由はスペイン人により輸送船が爆破されたという事であった。
台湾に「演習」を目的として集結していた日本軍はフィリピンに運ばれ、ここに日西戦争が始まった!
フィリピンでの最初の戦闘は12月29日のマニラ奇襲攻撃(第一次マニラの戦い)である。
これによりホセ・リサールが救出され、翌日には彼を首班とするフィリピン共和国臨時政府が組織された。
第二の戦闘は1897年1月1日のマニラ湾海戦である。呉を出港した樺山資紀提督率いる聯合艦隊が、マニラ湾でパトリシオ・モントーホ提督率いる7隻のスペイン艦隊を攻撃した。7時間でスペイン艦隊は全隻が沈没し崩壊したが、聯合艦隊の被害は負傷者14名のみとほぼ無傷であった。
さらに2月4日の第二次マニラの戦いにてマニラが陥落し、フィリピン総督領は降伏。
電撃的な攻撃によりスペインは完全敗北し、1897年3月23日、以下を骨子とする日西間のマニラ講和条約が締結された。
1.フィリピンの独立
2.マリアナ諸島、グアム、パラオ、カロリン諸島の日本への割譲
3.スペインの日本への12億円の賠償金
さらにその約1ヶ月後、4月25日、第一次日比協約が締結された。
内容は
1.施政忠告権
2.フィリピンの独立保障
3.日本によるフィリピン防衛義務
4.日本人顧問
5.条約遵守義務
である。
これによりフィリピンは日本の保護国となった。
これはアギナルドら強硬派の離反と1902年まで続くフィリピン内戦を招いた。
その後日本はウェーク島領有宣言を行い、アメリカからの顰蹙を買うとそれに対抗する為イギリスに急激に接近、
第二次ボーア戦争への参戦と日英同盟締結に至った。