第二話:日清戦争
1894年・朝鮮全羅道
ある扇動家が演説をしていた。
「朝鮮政府の悪行はもう許せん!」
「そうだそうだ!」
「哀願を行った農民すら逮捕するとは、なんという悪行!」
「そうだそうだ!」
「腐った政府を倒す為、反乱を起こそう!」
「おおー!」
甲午農民戦争が始まった。
「ヒャッハー!」
反乱軍は全羅道に配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領するまでに至った。
朝鮮政府は清国に救援を要請。
天津条約にもとづき、日清互いに朝鮮出兵を通告し、日本は公使館警護と在留邦人保護の名目に派兵した!
甲午農民戦争は鎮圧されたが、日清両国は撤兵せず、日本軍がクーデターを起こすなど、緊張が生じていた。
そして7月25日、豊島沖海戦が起き、28日、成歓の戦い が起き、8月1日に日清両国が宣戦布告をした!
日清戦争の開戦である!
当初は広大な国土を持つ清国が優勢と思われていたが、ふたを開けてみると…
日本の圧倒的優勢であった!
その理由は清国軍が不統一であった事、日本軍の士気・錬度が高かった事、そして日本軍の兵器の性能が高かった事。
日本軍の兵器:一八式歩兵銃(史実の三八式歩兵銃相当)、一八式野砲(史実の三八式野砲相当)
清国軍の兵器:国産化したレミントンや輸入したGew71、ガトリングガン
さて、日清戦争に話を戻そう。
1894年9月15日 - 平壌の戦い:日本軍の辛勝
1894年9月17日 - 黄海海戦:日本軍の勝利 ※日本軍が制海権を握り
1894年10月25日 - 鴨緑江作戦:日本軍の圧勝
1894年11月21日 - 旅順口の戦い:日本軍の勝利 ※旅順虐殺事件は阻止された
1895年1月20日~2月12日 - 威海衛の戦い:日本軍の圧勝
1895年3月4日~3月26日 - 北京の戦い:日本軍の辛勝 ※北京が占領された事により、清国は敗北。
といった流れで進んでいった。
まず、平壌の戦い にて第一軍が朝鮮半島を制覇。
黄海海戦にて制海権を日本側が握り、勢いに乗った第一軍は鴨緑江を渡河、清国量に侵入した!
その頃第二軍が旅順口を陥落させ、続いて遼東半島を占領する。
威海衛に逃げこんだ清国海軍を殲滅し、ついに直隷決戦が行われた。
結果は日本の辛勝。北京が占領された事により、清国は降伏し、
1.朝鮮の独立
2.台湾、海南島、澎湖諸島、プラタス諸島の日本への割譲
3.清国の日本への8億両の賠償金
4.遼東半島の租借禁止
を骨子とする下関条約が締結され、結果清は急激に弱体化し、日本は同時期に産業革命が進行し、強大化を始めた。