最終話:時代の終わり
さて。日露戦争後の明治時代の出来事を、年表形式で語る。
1907年(明治40年)
1月21日、東京株式相場が暴落し、戦後不況が始まる。
3月15日、フィンランドで最初の議会選挙(~3月16日)。女性候補が出馬した世界で最初の選挙。
3月21日、小学校令が改正され、義務教育が6年間となる。
6月、ハーグ密使事件が起こった。
それを受けて7月18日に高宗が退位し、7月24日に第三次日韓協約が締結され、日本は韓国併合へと本格的に動き出した。
8月31日、英露協商が締結。イランとアフガニスタンにおける両国の勢力圏が確認される。
これにより、露仏同盟・英仏協商とあわせて三国協商が成立。
10月18日、ハーグ陸戦協定が締結。ダムダム弾の使用が禁止される。12月25日、第24議会召集。
1908年(明治41年)
4月27日、第4回夏季オリンピックがロンドンで開幕される(~10月31日)。5月15日、第10回衆議院議員総選挙。
6月22日、赤旗事件。社会主義者が弾圧される。7月4日第1次西園寺内閣総辞職、7月14日第2次桂内閣成立。
10月18日、ベルギーがコンゴ自由国を併合。12月22日、第25議会召集。
1909年(明治42年)
7月6日、韓国併合の方針が閣議決定される。7月18日、イラン立憲革命で立憲派が首都テヘランを制圧。
10月26日、伊藤博文がハルビン駅で襲撃される。11月11日、米海軍が真珠湾に基地を建設する。
12月22日、第26議会召集。
1910年(明治43年)
5月25日より幸徳事件の検挙が始まる。7月4日、第一次日露協約が締結される。
8月22日、日韓併合条約が調印される。
8月29日、韓国併合。日韓併合条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した。朝鮮総督府設置。
11月20日、フランシスコ・マデーロが蜂起し、メキシコ革命が始まる。12月20日、第27議会召集。
1911年(明治44年)
2月21日、日米通商航海条約が調印され、日本の関税自主権が回復される。
3月11日、普通選挙法が衆議院で可決される。7月13日、第3次日英同盟協約締結。
9月29日、北アフリカのオスマン帝国領をめぐって、イタリア王国がオスマン帝国に宣戦布告する(イタリア・トルコ戦争)。
10月10日、清で武昌蜂起が起き、辛亥革命が始まる。11月30日、外モンゴルが清から独立宣言。
1912年(明治45年/大正元年)
1月1日、孫文が南京で中華民国の成立を宣言し、臨時大総統に就任する。2月12日、愛新覚羅溥儀が退位し、清が滅亡。
3月10日、袁世凱が孫文に代わり臨時大総統に就任。4月15日、タイタニック号が沈没。
5月5日、第5回夏季オリンピックがストックホルムで開催される(~7月27日)。日本がオリンピックに初参加。
5月15日、第11回衆議院議員総選挙。5月20日、殉死が禁止される。
7月8日、第二次日露協約調印。7月20日、宮内省が明治天皇御不例を発表。7月30日、明治天皇崩御。
そして明治は終わり、大正が始まる。
これで『大日本帝国の歴史 in 明治』は終わりです。
2015年8月28日より、続編の『大日本帝国の歴史 in 大正』が始まります。




