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第十五話:日露戦争⑦~ハルビン会戦~

1904年10月、日本軍は鉄嶺会戦で大勝利を収めた。

11月中旬。松花江対岸に増強されるロシア軍を見て、満洲軍の参謀たちは攻勢案を計画し、11月13日、児玉総参謀長に提案する。

14日、北進攻勢が決定され、参謀たちはその準備に追われることになった。

19日より日本軍は北進し、双城まで到達するが、ロシア軍が早期に退却した為敵軍に打撃を与えられず、そのうち冬になり、日本軍は塹壕を構築し冬営に入った(双城会戦)。

ロシア軍投入兵力4万6500人のうち死傷者3914人、日本軍投入兵力5万6800人のうち死傷者2494人であった。


総司令部はロシア軍の反攻はないと判断。


一方ロシア軍はグリッペンべルグ大将が第2軍司令官として着任し、分割されることとなった。

グリッペンべルグは強硬に攻勢を主張するも、ロシア軍の兵力不足から実行されることはなかった。


やがて春を迎え、日本軍はハルビン攻撃の準備を始めた。

第十三師団・第十四師団・第十五師団・第十六師団の編成も完了し、その四師団により鴨緑江軍が編成された。

これは沿海州攻撃の為に編成された軍であり、満洲軍隷下であった。

2月7日、川村景明大将が、鴨緑江軍司令官に任命された。


一方ロシア国内では、ロシア最大の重工業工場であるプチロフ工場にて作業員が解雇され、それに対しガポン神父率いる労働組合が抗議し、

1月16日、ストライキが開始され、騒動はさらにエスカレートし、

1月18日、首都サンクトペテルブルグにてゼネストが開始され、20日、首都の機能は停止した。

1905年1月22日、サンクトペテルブルクでデモ行進が行われた。

しかしツァーリの知らないところでサンクトペテルブルクに軍隊が配置され、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲した。

「血の日曜日」事件である。

その結果、後にロシア第一革命と呼ばれた全国規模の反政府運動が勃発した。


さてロシア軍では、3月末に増援が来たため、反攻が計画されていた。

日本軍はそれを察知、ロシア軍を葬り去る為に4月2日に攻勢が開始された。


5日、戦線右翼の鴨緑江軍が、阿城を攻め落とした。

これによりロシア軍は沿海州方面との連絡がほぼ取れなくなった。

7日、満洲軍は全軍に攻撃を下令。第一軍・第二軍・第四軍は前面の敵に対して攻撃を開始し、

第三軍は、北方への機動を開始した。


作戦は順調に進み、「演習の如し」と言われる程だった。

主導権を握ったと判断した日本軍は、10日より奉天に対する包囲攻撃を開始した。

これは第三軍・鴨緑江軍が中心となり、両翼より包囲するものであった。


13日、第三軍は肇東に到達し、これにより東清鉄道が遮断され、ロシア軍の包囲がほぼ完成した。

しかし16日、ロシア軍は一気に第三軍を駆逐しようと攻勢を始めた。

これにより肇東は奪還され、快進撃を続けていた第三軍の足は一旦止まった。


この時、左翼の第一軍の攻勢は完全に停滞し、中央の第二軍・第四軍も堅固な陣地に当り、前進は停止してしまった。


この状況を打破する為、鴨緑江軍が攻勢を仕掛けたが、松花江で停滞。

ここに日本軍の目論見は、完全に崩壊し、ロシア軍が勝利するかと思われたその時、4月17日、鴨緑江軍が呼蘭まで進出した。

もしロシア軍がこの時に総反撃を行ったら、おそらく日本軍は崩壊していただろう。


しかし、クロパトキンは酷く動揺、ロシア軍の動きは停滞した。グリッペンべルグ率いる第2軍が第三軍の攻撃を撃退し、撤退した程度であった。

18日、第三軍が肇東に再び攻撃し、多大な犠牲を払いながらも奪還。

19日、ロシア軍はようやく撤退を決めるが、既に完全に包囲され、最後の抵抗を行い殲滅された。

第1軍司令官クロパトキンも捕虜となり、ロシア満洲軍はほぼ消滅。

20日にはハルビン市街地が制圧され、ハルビン会戦は終結した。


ロシア軍投入兵力36万7200人のうち死傷者捕虜319,464人、日本軍投入兵力29万9800人のうち死傷者108,291人であった。

この戦いによりロシア軍は満洲より排除され、日本軍は残存兵力により沿海州・樺太を攻撃、6月までに樺太全土を占領した。

ちなみに日本軍の勝因は、

1.野砲の性能で勝っていた(日本軍の野砲は駐退復座機を装備していた)

2.相次ぐ戦勝により、士気が高かった(ロシア軍は士気が極めて低かった)

などである。


また、この戦いの結果を受け、4月28日には前々より反露であったスウェーデンがロシアに宣戦布告、5月19日にはベッサラビア目当てでルーマニアがロシアに宣戦布告した。

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