第十四話:日露戦争⑥~イギリス参戦~
日本との戦争状態にあったロシアは、強大な日本海軍に対抗するため、バルト海を担当するバルチック艦隊の主力を第二太平洋艦隊に再編し、極東へ向かわせることに決定した。
1905年10月15日、ロジェストヴェンスキー提督率いる第二太平洋艦隊はリバウ軍港を出港した。
21日、北海にて。
「また艦の故障か…」
「出発したばかりというのに、これでは先が思いやられる」
※バルチック艦隊では艦の不具合が頻発していた。
と、その時、ドアがノックされた。
「入れ」
「艦長!イギリス近海に入ります!」
「そうか、一応警戒をしておこう」
「いや、それでは不足です!いつ戦闘が起こっても対応できるようにしておくべきです!」
「うむ、日本の水雷艇が襲ってきても対応できるようにしておこう」
※10月20日、駐デンマーク・ロシア公使から、「国籍不明の水雷艇がノルウェー沿岸にいる」との情報が届いていた。
10月22日未明。
北海のイギリス寄り、ドッガー・バンクでは漁業が盛んで、この日も何十隻というイギリス漁船が操業していた。
漁船団は「にわとり艦隊」と呼ばれていた。言うまでもなく非武装の民間船である。
と、そこに砲声が響いた。
「なんだ!?」
「あれは軍艦だ!」
「こっちは漁船だ!やめてくれ!」
「だめだ!向こうは気づいてない!逃げよう!」
ドッガー・バンクで操業中の「にわとり艦隊」は、突然の砲撃を受けた。
沈没1隻・損害を受けた船5隻、死者2人、負傷6名の惨事である。
この攻撃を行ったのは、バルチック艦隊であった。
少し時間を遡る。
…
21日午後8時45分。
「大変です!工作船「カムチャツカ」より「われ、水雷艇に追跡されつつあり」との無線通信が送られてきました!」
さらに22日0時45分。
旗艦スワロフの見張りが「水雷艇」発見を報告した。
各艦から猛烈な砲火が「水雷艇」に向けられる。
射撃開始の直後、ロジェストヴェンスキー提督は「水雷艇」が漁船であることに気付いた。
しかし、砲撃は止まらない。
やっと止まった時には、射撃開始から15分が立っていた。
そして漁船団は散り散りになり、洋上には沈みゆく船が漂っていた。
この事件は後にドッガー・バンク事件と呼ばれる。バルチック艦隊は漁船の救助をせず、その場を立ち去った。
英国世論は沸騰し、そして10月26日、イギリスはかねてよりの日本からの参戦要請も考慮し、ついにロシアに宣戦布告した。
そして10月29日、ヴィゴ沖海戦により、第二太平洋艦隊は壊滅することになる。




