第十二話:日露戦争④~遼陽会戦~
日本軍は8月17日を期して攻撃を開始するつもりであったが、この時豪雨が襲来した。
作戦は延期され、8月25日、第一軍の行動から遼陽会戦は始まる。
翌26日、午前6時。日本軍第二師団は敵陣地への攻撃を開始した。
激戦の結果、第一軍が勝利した。ロシア軍は退却し、日本軍はこれを追撃した。
日本軍中央では、第二軍が行動を開始し、27日には鞍山站のロシア軍陣地を攻撃、
ロシア軍は陣地を放棄して、後方の首山堡周辺の第二線陣地に後退した。
30日未明、第三軍の第六・第八師団は首山堡を迂回し、遼陽の西方にて攻撃を開始した。
同時に隣接の第二軍はシベリア第一軍団の二個師団が守る首山堡を攻撃し、
第四軍も、正面の北大山を攻撃した。
首山堡方面での戦闘は熾烈を極めた。日本・ロシア砲兵ともに敵砲兵の制圧に失敗し、歩兵同士が陣地一つ一つを奪取する血みどろの戦いになった。
一方遼陽の西方では8月30日夜に第三軍がロシア軍を破り太子河を渡河、遼陽後方へと迂回した。
満州軍総司令部は安堵のムードに包まれた。はしゃぎすぎてたしなめられた者が出たくらいである。
しかしそれを察知したクロパトキンにより、一個軍団が差し向けられ、戦闘に突入した。
第一軍も8月30日夜に動いた。この時第一軍は山地を突破して、ロシア軍第二線陣地と相対していた。
第一軍は敵第二線陣地から右方向に転回、8月31日太子河を渡河して遼陽後方へと迂回した。
付近にいるロシア軍は二個旅団のみでほとんど抵抗を受けなかった。
しかし二個軍団を差し向けられ、第一軍の攻勢は停滞した。
第一軍・第三軍との戦闘に投入された三個軍団は第二・第四軍正面から引き抜かれたものであり、この結果、第二・第四軍の戦況は好転し、9月1日、首山堡を占領した。ロシア軍は遼陽の第三線陣地に後退した。
しかし第二軍・第四軍は堅固な第三線陣地を攻めあぐね、攻勢は停滞した。
だが、この状況は突如打開された。
9月3日、第三軍がロシア軍を撃破し、奉天へと繋がる鉄道を確保したのだ。
これがクロパトキンの心を揺さぶり、ロシア軍は撤退を決意。
9月3日、ロシア軍は後退を開始、4日には日本軍が遼陽市街に突入し、占領。
日本軍はロシア軍を追撃し、大打撃を与えた。
9月6日、遼陽会戦は終わった。
ロシア軍参加兵力22万4600人のうち死傷者8万3000人、日本軍参加兵力20万1500人のうち死傷者3万5000人であった。




