第九話:日露戦争①
2月5日、韓国に上陸する日本第一軍の動員が下令された。
第一軍司令官:黒木為禎大将(鹿児島県出身)
第一軍参謀長:藤井茂太少将(兵庫県出身)
所属師団:近衛師団、第二師団、第十二師団
第一軍の作戦計画は、
「まず、仁川に分隊を上陸させ、韓国政府を掌握」
「次に、海軍による黄海の制海権獲得後、鎮南浦に本隊を上陸させ、分隊と合流」
「その後、鴨緑江を渡河し、満州に入る」
「そのさらに後は、遼東半島から上陸する第二軍とともに前進し、遼陽前面に置いて合流、ロシア軍との会戦を行う」
というものであった。
…
2月9日正午過ぎ、仁川沖海戦が始まった。
これは、日本軍の完勝に終わった。
これにて黄海の制海権が獲得され、第一軍の上陸が可能となった。
3月15日、遼東半島に上陸する第二軍の動員が下令された。
第二軍司令官:奥保鞏大将(福岡県出身)
所属師団:第一師団、第三師団、第四師団、第五師団、第十一師団、騎兵第一旅団
一方ロシア陸軍には、アレクセイ・クロパトキンが司令官として着任していた。
彼は、アレクセーエフの計画と似たような計画を考えていた。
一方、日本陸軍の作戦は順調に進んでいた。4月下旬には鴨緑江に達した。
これを越えれば、満州である。
そして、対岸の九連城にはロシア軍二個師団がいた。
しかし、ロシア軍は定員が充足しておらず、弱体であった。
「我が軍は兵力・火力共にロシア軍に勝っています!」
「では、いくぞ!」
4月29日、第十二師団の渡河開始により、鴨緑江渡河戦が始まった。
5月1日払暁。日本軍の砲兵隊が、ロシア軍陣地に向けて猛烈な射撃を開始する。
この支援のもと、各師団は行動を開始した。
「敵砲兵が沈黙していきます!」
「うむ、12サンチ榴弾砲は非常に強力だな!」
第一軍には、60門の12サンチ榴弾砲が配備されていた。
この重砲は大きな威力を発揮し、敵砲兵は沈黙、陣地は破壊されていった。
7時30分、第十二師団が渡河を開始。近衛・第二師団も続き、9時15分には、全師団が渡河を完了した。
各部隊は砲兵・小銃火力を集中させ、9時頃には、鴨緑江対岸の九連城一帯を占領。
日本軍の迅速な行動に驚いたロシア軍は、9時、全軍に撤退を命令した。
「追え!追撃するのだ!」
日本軍は撤退するロシア軍を追撃、鴨緑江付近のロシア軍を壊滅させた。
日本軍の死傷者約1200名に対し、ロシア軍の死傷者は約4500名。
初戦は日本軍の大勝利に終わった。




