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第八話:日露開戦

日本が開戦を決意した頃のロシアの考えはこうだ。


「こちら側も準備が整っていないが、日本から攻めてくることはないだろう」

ニコライ2世は戦争を覚悟したが、日本軍を過小評価していた。

多くのロシア人にとって、日本軍は、自分たちよりも下の存在だった。


「アレクセーエフ、お前の計画はどうだ?」


「はい。日本軍が我が軍と戦うには、陸兵を海上輸送しなければなりません。」

「我が軍はウラジオストックに有力な艦隊をもっていますが、黄海の制海権まで獲得するのは厳しいです」

「よって、日本軍がある程度の兵力を輸送するのを覚悟して、我が軍はヨーロッパ・ロシアからの増援が来るまでの時間稼ぎをして、来たらそれを使い会戦をして勝つ」


一方、日本では、参謀本部・軍令部を中心に作戦計画が練られていた。


「対露作戦計画はこうだ!」

「まず韓国に部隊を上陸させ、確保する」

「黄海の制海権を確保し、陸軍主力を遼東半島に上陸させて、ロシア軍に決戦を挑む。」



「戦費が足りぬ!公債がもっと必要だ!」

1903年12月31日、小村外相は、林駐英公使に対ロシア戦争用の財政援助をイギリスに要請するよう訓令した。

しかし、1904年1月2日。イギリスは財政難を理由に援助できない旨を回答してきた。

史実より発展したので、1904年度の国家予算5億2千万円。これに対し、1年間の戦費見積もりは4億5千万円。

理論上は戦費は足りるが、鉄道敷設など他の事に使う予算も合わせると、間違いなく不足する。


しかし、日本は戦争に踏み切らざるを得ないのだ。


1月6日駐日ロシア公使ローゼンから、ロシア側の最終提案が届く。

しかし、一度回りだした歯車は止まらない。


1月7日、参謀総長・軍令部部長を交えた閣議で開戦時期の検討がされた。

この閣議では結局、海軍の準備が整うまで待つという、従来の方針を維持することとなった。


1月12日、天皇臨席の御前会議でロシアへの最後通牒を決定、ロシアに通告した。

1月31日、回答しないロシアに対し、2月3日までの回答を求めた。


しかし、回答は来なかった。

2月4日、御前会議が行われることになった。

15時、御前会議が開かれた。


「最早外交では解決できぬ、開戦するしかない」


「ここまで来たからには、やるしかない!」


「そうか…」

「ロシアと開戦する!」

「私は、国民と、将兵たちと、共にある!」


5日、小村外相は駐露公使に国交断絶及び宣戦布告を打電し、翌日ロシア外相ラムズドルフに通告するよう指示した。

2月5日、ロシア政府は駐日公使から通告を受け取った。ロシアは混乱し、翌日、ニコライ2世臨席の御前会議が開かれたが、具体的な議論にはならなかった。


ついに日露戦争が勃発したのだ。

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