隠密少女は隠れない!
隠密と言えば、誰もが隠れ、忍び、欺くものだと思うだろう。
けれど私、芙香は違う。
私の信条は、不隠、不忍、不欺。
だから、私は、
「其方、他国の間者ですね」
監視していた相手、傀儡皇帝と呼ばれる紀紃国の皇帝に、剣を突きつけられそう聞かれた時も迷わず答えた。
「そうですが、何か」
……そして、今。
私は側妃になっていた。
「どうしてこうなった!?」
さて。
とりあえずまず、私が隠密だと認めた所に話を戻そう。
あまりにもアッサリ認めてしまったものだから、向こうは困惑した様だった。
中性的な顔に動揺が浮かぶ。
「ええと、間者なんですか?」
「ええ」
「そ、そうですか……」
私の師匠兼育ての親から散々言われたことだけれど、相手にどれだけ隙を作れるか、それが大事らしい。
だけど。
「……」
私は無言で突きつけられた剣を手で押してみた。
剣は容易くどけられる。
いくらなんでも、これは隙がありすぎじゃないだろうか。
皇帝は何かを考え込んでいるらしい。
……良いのか、これ。逃げるぞ? 私逃げるぞ?
と、いざ逃げようとしたところで、皇帝がどうしましょう、と口を開いた。
ちっ、逃げ損ねた。
「何をどうするんですか? 私の処分?」
いえ、と首を振られる。
「わたしは別に貴女が間者かどうか、確かめたかっただけなんです。
……その、どうやって自白させようかと思っていたので、あまりに貴女の対応が予想外すぎて、戸惑ってます」
そうですか、と言えば、そうですと返された。
私も貴方の扱いに戸惑ってます、と言ってやりたい気分である。
「ええと、貴方はどうしたいですか?」
「え、それを私に聞くんですか?」
「? はい、聞いてます」
天然だ。なるほど、これが天然だ。
師匠が一番苦手だって言っていた、その典型的な、お手本みたいな人物である。
「えっと、そうですね。出来れば、この国に、この城に置いておいて欲しいです」
「ほうほう」
その方が、何かを調べたりするのに都合が良いから。
「あと、出来れば好待遇を」
「なるほど」
牢にはぶち込まれたくない、と遠回しに言えば、分かりました、と皇帝は頷いた。
……分かってるのか、この男。
「えっと、私の要求、ちゃんと伝わってます?」
「勿論ですよ。この城で、好待遇ですよね」
「あ、はい」
良かった、大丈夫なようだと安心しかけた私を再び疑念にかるように、では、と皇帝はにっこりと笑った。
「数日後にまた連絡しますので、それまでは今まで通り過ごしていてください」
……本当に大丈夫か、これ!?
そして、事実、大丈夫ではなかったわけで。
「と言うわけで、貴女を私の側妃に致しました」
どういうわけで!?
思わず言葉を失っていると、聞こえていますか、と目の前で手をヒラヒラと揺られる。
思わずバチンと弾けば、良かった、とまたまた微笑まれるが、良くない。
ちっとも良くない!
第一、聞こえてなかったのじゃなく、脳が理解することを拒んだだけの話だ。
「何故、側妃なんてことに!?」
「だって、城で、好待遇でしょう?」
「確かにそうですが!」
けれど違う! 私が思ったいたのとは大きく違う!
皇帝は不可解そうに首を傾げた。
「本当は、正妃にしようと思ったのですよ」
「は!?」
「けれど、皆に出自不確かな者を正妃にするわけにはいかぬ、と反対されてしまいまして」
「でしょうねぇ!」
それはそうだ。当たり前だ。
「では側妃ならどうかと言うと、案外すんなり通ってしまいまして」
「通ったのですか!?」
この国は大丈夫か!
というか、この皇帝、何気に交渉上手じゃないか?
「ああ、勿論、貴女が隠密だということは明かしておりませんよ」
「なっ、何故です?」
「明かした方が宜しかったですか?」
「いえ……」
というか、とっくに暴露ているものだと思っていたのに。
なんなんだろうか。読めなくて困る。
「し、しかし、私のこともよくご存知ないでしょう?」
「知ってますよ」
「え?」
「名は芙香。姓はなく、踊り子としてこの国に入り、その美しさをかわれて国属の舞姫として雇われた。然し出身及び育ちは燕青国で、国の上層部——誰かは流石に特定できませんでしたが——に雇われた隠密。違いますか?」
「いえ……」
そこまで知られて言うのなら、早めに逃げたほうがいいのでは?
けれど、その考えに感づいたかのように皇帝は一層にっこりと笑った。
「そうですね、皇妃になれば豪華な食事を食べられますよ」
「うっ」
「勿論、側妃になっても、好きに調べてもらって構いませんよ?わたしから情報を得ても」
「なっ!」
良いのですか、と聞けば、良いのです、と微笑まれる。
だからと言って、好条件に飛びつくわけにはいかない。
「貴方に、何の利益があるんですか?」
うまい話には、裏があるのだ。
半ば睨むようにして私が皇帝を見れば、皇帝は牙を剥く子猫に相対するようにふふっと笑った。
「利益、ですか。そうですねぇ、綺麗な花が手に入ることでしょうか」
「花?」
「ええ」
よく分からない。
だが、利益があるのは確かなようだ。この芙香、隠密として、嘘を見破ることくらいは容易いのである。
しかし、そうか……隠密業を認めてもらえると言うなら。
そう悪い話でも、ないのか?
私は瞳を少し和らげて、皇帝を見上げた。
傀儡皇帝。そう影で呼ばれているという皇帝は、やはり微笑んだままだった。
「……もしも都合が悪くなることがあれば、私はすぐさま逃げますから」
そう言えば、皇帝は驚いたように目を見開いて、それから柔らかく笑った。
「はい」
それで今に至るのだが。
「何の真似ですか」
「え? 妻の寝所を尋ねぬ道理がありますか?」
「なっ、だって私たちは仮面夫婦のようなものでしょう!?」
「……? 仮面をつけて生活するのですか?」
「違います!」
ああもう、この天然、どうにかしてくれ!
ちなみに、この件に関して意見を求めるべく師匠に出した手紙に、
「何処も皇帝というものは変わっているのだな」
という返事が来るのはこの後日の話であり。
この紀紃国の皇帝につけられた傀儡皇帝という二つ名が、操られる側でなく操る側の傀儡、つまり傀儡師を示していたこと。
そしてその名が、何の意図も考えもなく、人を自然に自分の思うように動かしてしまうことから付けられたものであることを私が知るのは……さらにずっと後の話であったりする。
しかし、何があろうと私、芙香はその誇りにかけて……逃げも隠れもしないのだ。
ちなみに、この芙香は別作品「軍師皇妃は今日も征く!」の梨由の隠密の一人です。
本編にも後々登場予定。
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