主役と乙女ゲームと……
『悪役と乙女ゲームとハッピーエンド』の主役視点でありその後です。先にそちらをお読みいただくと話がわかりやすいと思われますのでどうぞよろしくお願いします。( ・)ノ『http://ncode.syosetu.com/n6273ca/』
結構、軽い気持ちだったんだ。
転生したってわかって、死んだのに生きてることに釈然としない気持ちはあったけど、また死ぬのは嫌で、びくびくしながら生きてた。人があっけなく死ぬものだって実感してしまってたから。
それでも中学生くらいになってから、これじゃいけないって思って、ちゃんと、この生を楽しもうって思って、必死で勉強して万学園に入った。制服がかわいかったのと、偏差値が高かったこと、学校の設備が前世じゃ考えられないようなゴージャスさでしかも特待生だったら学費がただって聞いて。高校受験くらい前世知識でどうにかなるなぁっと。
それで、無事奨学金を取って、入学して驚いた。前世でよくやってた乙女ゲーみたいなシチュエーションで、妙に数字の入った名前の男の人に会うわ会うわ。そういえばこの学校も『万』だし、私の名前も『零』。いい加減遠くなっていた前世の記憶を引っ掻き回してようやく私はこの世界が『ハッピー☆ナンバー』とかいうタイトルの乙女ゲームなんじゃないかと当たりをつけた。たしか生田零、私が主役で、学園生活の中で恋愛していく話だったはず。……正直、やったゲームが多いから、詳細なんて他のとごちゃ混ぜになってる気がした。特にこれはそんなに特色のあるやつでもなかったし。
それでもどのゲームか特定しようとしたっていうのはやっぱり下心があったわけで。逆ハーはなくとも、将来有望なイケメンと一緒になれたらなーくらいには思ってた。楽しく生きようとした矢先だったっていうのもある。
隣の席の、ナイトみたいな一井幹人君。生徒会会長の、物腰丁寧実は腹黒の二宮貴一先輩。担任の、年上の包容力と大人のちょい悪を併せ持つ三鷹藤五郎先生。まあ、私のほうが長く生きて……気にしない。不良だけど子猫を拾っちゃうようなかわいいところのある四代目……じゃなかった、四代馨君。
記憶は曖昧でも、何十という乙女ゲームをやりこなした私には、どうすれば相手が気に入る発言が出来るかわかった。もちろんゲームによっては相手の属性と要求されることにギャップがあったりすることもあるけれど、ハッピーナンバーはそこまで変則じゃなかったはず。
そして世間は鬱々とするはずの梅雨、私は朝は生徒会長と軽口の応酬、小休憩には担任の手作りおやつと引き換えのお手伝い、昼はナイトと友達と昼食、放課後には不良君とみあちゃんのところへ行ってじゃれてと、とても楽しい生活を送っていた。
会話の中でちょこちょこ、ああ、こういうのあったなーとかいう風に記憶の戻ることがあるんだけど、微妙に違ってたりして、ゲームとの差を実感したり。
ただ、最近妙に視線を感じるんだよね。いやまあこれだけ美男子と接触しまくってたら嫉妬の一つや二つや三つや四つ……。考えて、久しぶりに、死の恐怖を感じた。そうだ、女の嫉妬で死ぬことだって、あるんだ。怯えた私は必死で視線の主を探した。
同じクラスの、今は窓際に座っている、久道さん。怖いくらいの無表情で私のことを見ていた。
久道さんは明るい、クラスの中心的な女子だ。しかも勉強もスポーツも出来て男子からの人気も高い。クラスに馴染めないような子ともしゃべってたりするし、いじめなんてしないんじゃないかと思ったけれど、あの目は怖かった。
そしてある日の帰り際、人のまばらな教室で、彼女とその友達との会話の、そのセリフだけがはっきりと私の耳に届いた。
「生田さんてさー、一井くんはべらして何様のつもりっていうかさー」
ぎょっとした。それはゲームの中でのあの声で、まったく同じセリフで、彼女がいじめの標的に私を選ぶことを意味していた。
ちょうどそのとき一井君が教室に入ってきて、久道さんは教室から出て行ったけど、あの目はまた私を見ていた。
それからは出来るだけ一井君といるようにした。守ると言ってくれたから。その後必死で記憶を辿って、このゲームで主人公が死ぬようなことは絶対にないことを思い出したけど、ここは現実で、私は生きている。何があろうとおかしくない。
翌日からのいじめはたいしたことなかった。せいぜい聞こえる悪口。現実でここからいきなり殺されることはないだろうから、一井君に相談することはしなかった。細かいことを言い立てすぎて面倒くさく思われたら本当に必要なときに助けてもらえないかもしれない。
夏休みの花火デートで一井君のルートに入ったと気づいて、失敗したと思った。あのセリフからして彼女が好きなのは一井君。逆に言えば一井君以外のルートに入っていれば、いじめはやんだかもしれない。あわてて四代君――彼としか連絡先を交換していなかった――と連絡を取ったが、一井君のイベントしか起きない。もうルートの変更は出来ないようだった。
だから好感度を下げようとした。ノーマルエンドか友情エンドで終われば彼女から逃れられると思ったからだ。どのエンドにせよ内容を覚えていない。ハッピーエンドで彼女が改心するかもわからない。もし少女漫画とかでよくあるみたいに悪役を痛めつけて終わったとしたら、身分も財産も失った悪役は捨て鉢になって切りかかってくるかもしれない。
新学期になって一旦ひどくなったいじめは、一井く……幹人君が文化祭に屋外ステージで一喝したことで下火になった。私も舞台に引き上げて、こいつに手を出すなら云々と烈火のごとく怒ったのだった。
こんなときじゃなかったら、私がこんなに自分本位じゃなかったら、嬉しいとか、惚れる、とか思ってたかもしれない。でも私が気になったのはあくまで、これで彼女の嫉妬の炎がさらに燃え上がるんじゃないかという恐怖だった。
他の人がいじめが手を引く中、彼女からの嫌がらせだけが続く。幹人君にそれとなく彼女の名前を挙げてみたら、久道さんがそんなこと、とまるで取り合ってくれなかった。どうして信じてくれないんだろう。彼女は今日もいつもと同じ目で私を見ていて――そこで私は違和感を覚えた。彼女はいつも、私を見ていた。
幹人君といたから目が合うとかそんなんじゃない。二宮先輩といるときも、三鷹先生の用事をしているときも、みあちゃんとじゃれてたときも、たった一人でいたときでさえ、彼女の目は私を見ていた。
それに気づいて私は始めて彼女、久道さんへの恐怖を忘れた。恐怖より疑問があふれた。
彼女の目を思い返してみる。いつも、初めて悪口を聞いたときも、あの文化祭のときでさえ、無表情。そうだ、一度だってあの瞳に嫉妬や憎悪の火がともったことはない。
――なら、どうして彼女は?
幹人君へ恋しているというということすらおそらく、ない。いじめで憂さ晴らしにしても、もう標的が変わっていてよさそうなものなのに、ただ一人彼女だけで続けている。
直接聞こうかとも思ったけれど、得体の知れなさが怖さになって、聞くに聞けないまま二学期の終業式が終わった。
帰り際、三鷹先生にごみ出しを押し付けられて、幹人君とゴミ捨て場に寄ってから下足室に入ったとき、私の靴箱をあさっている人の姿を見つけた。遠目で顔はわからないけれど、私は彼女だと確信した。
「まてっ」
彼女は私たちに気づくと、校舎の中に向かって身を翻した。廊下を駆けて、階段を上って。放課後とはいえ、校舎には不気味なほどに人気がなかった。
たどり着いたのは屋上。立ち入り禁止のはずのそこの扉はなぜか開いていた。追い詰められた彼女はこちらを向いて静かに立っている。まるで最終決戦。そうだ、これは幹人君のルートの山場で……嫌な予感がした。そうだ、このゲームには友情エンドはなくて――。
「君か、このっ、零を奪おうとするのはっ」
激しい怒りを見せる幹人君。そうだ、だめだ、これでは。幹人君に彼女と話をさせてと言うも聞いてくれる様子はない。とうとう彼は突進して彼女の胸倉をつかみ上げ、顔を確認し――彼女を取り落とした。呆然とした様子で彼女の名前をつぶやいている。久道さん、何で、と。
それに答えるように久道さんがセリフをつむぐ。
「な、なんでって、一井くんが好きだから、なのに、何でその女なの? 私のほうがもっと早くから一井くんのことっ……」
そうだ、セリフというのがぴったりだ。セリフと裏腹に彼女の目はやっぱり恋に燃える乙女のものじゃなくて、けれどコンクリートにしりもちをついたまま叫ぶように言う様はそれらしく見える。
「好きだったのに、好きだからこの学校にも来たのに、隣の席だったこともあるのに、どうしてわたしじゃないのっ」
彼女がセリフをつむぐたび、私に前世のあのゲームの記憶がよみがえる。だって、あのゲームで聞いたのと、おそらく一言一句にいたるまでおんなじだ。いくらか飛んだ気がするのは幹人君の分だろうか?
「君が、どういう思いでいたのかは、知らなかった、けど、零を傷つけるのは、間違ってる」
けれど、幹人君のセリフは、どこか違う。
「俺が零といるのは、放っておけなかったからだ。危なっかしくて、壊れそうで、目を離せなくて、」
違う。他のゲームに出てくる人たちだって、セリフは結構変わっていた。彼女、久道さんだけだ。ゲームとまったく同じセリフを紡いでいるのなんて。
「じゃあ、あぶなくして、こわれたら、みてくれる?」
――『そして、ゆっくりと立ち上がった彼女は私たちに颯爽と背を向けて歩き出し、柵を超え』――
呆然と彼女の歩く背を見送っていた私の頭の中に、ゲームのテキストが浮かんだ。――そうだ、いけない。
あわてて屋上の縁に向かって走る。――けれど、間に合わなくて。
柵の向こうに立った彼女は、顔を上げてまっすぐに、私を見ていた。いつも無感情だったその瞳には、初めて見る色が浮かんでいて、それは、慈愛、とでも言うのだろうか。そのとても優しい瞳の下の唇が、ごめんね、と形作られたように感じた。
「え?」
私の手が、柵にかかる一歩手前。久道さんの体がぐらりと傾いだ。
異様に長い一瞬。私は落ちて行く彼女の顔を眺めていた。すぐに過ぎて、どさっと重い物が地面に落ちる音が聞こえた。
「いやあぁっっっっっ」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
久道さん、久道十火さんは死んでしまった。彼女の名前にハッピーナンバーのキャラらしく『十』の数字が入っていることに気づいたのは彼女が死んでからだった。
あの時起こっていたのは幹人く……一井君のルートのバッドエンドイベントだったと、途中で気づきながら止められなかった。彼女を死なせてしまった。後悔が、この終わりの結果なのだ。一井君は彼女に心をとらわれ、私は彼女の死にとらわれている。
あれから警察の人にいろいろ聞かれたりしたけど、彼女が私にいじめをしていたことと彼女が一井君に恋心を抱いていたことには別な人の証言があったし、一井君も同じ場所にいたわけだから、私はただ起こったことを淡々と述べただけで他には特に何もなかった。
ここはゲームじゃない、現実だ。警察が私に罪はないって言ったんだ。だから私が思い悩むことなんてないじゃないか。後悔なんてするのはゲームに負けてるみたいで嫌じゃないか。そう思ったって、もやもやと嫌な気分の晴れないまま年を越した。
そして三学期の始業式の日、正門をくぐろうとしたときに、私は遠野さんに声をかけられた。
遠野菜月さん。数字は入っていないから、ハッピーナンバーの関係者じゃない。一番にそれを気にした自分が嫌になった。遠野さんはクラスでは影の薄い、というかほとんど人と話すことのない人で、それでも久道さんとは何度か会話しているのを見たことがある。そういえば一番初めに久道さんが陰口を言っていたときの話し相手は彼女ではなかったか。
少し警戒した私にかまわず彼女は、少し聞きたいことがあるんだけど、と切り出した。
「トオカの役割について知ってることはない?」
とっさに浮かんだのは私が春にこのゲームの主役だって浮かれたこと。次いでこの子は何を言っているんだろう、と。トオカって、久道さんだよね、たぶん。
「何か、知ってる?」
びびった。二度目の問いは何か確信を持って聞いていた。顔に出たのだろうか。
「あなたが何を考えてるかは大体わかるけど、質問に答えてほしい」
今度こそ本当にびびった。エスパーか、とか突っ込みたくなったけど、遠野さんが結構苛ついてる雰囲気だったので返答を考える。
「え、と、役割って……」
え、いや待て、ここで私が乙女ゲーの主役ですとか言うのか? 相当イタいし信じてもらえるとも思えない。言葉に詰まった私に遠野さんは話し出した。
「梅雨明けの宣言が出た七月十二日の火曜の放課後、トオカが、あなたが一井と仲良くしてて生意気だと言った。あなたにも聞こえたと思うけど。突然で驚いたから問いただしたら、トオカはお役目だと言った」
遠野さんの言葉につられて彼女、久道さんの言葉がよみがえる。
『生田さんてさー、一井くんはべらして何様のつもりっていうかさー』
正確な日付なんて覚えてないけど、遠野さんが言ったのはそのセリフのことだとわかった。ハッピーナンバーの悪役、久道十火のセリフ。
それを役目だといった彼女は?
「心当たりがあるなら、教えて」
遠野さんの声は真剣だった。クラスでほとんど誰とも話さない遠野さん。唯一といっていい会話の相手だった久道さんは遠野さんにとってどんな人だったのだろう。私はたとえ馬鹿にされるにしてもこの話をするだけはしてみようという気になった。
「わかった。でも、場所変えよう?」
今は一月。ここは正門前。坂の下から吹き上げる冷たい風に私は一つくしゃみをした。
結局話し合いの場所は学校近くの喫茶店。うちの学校の生徒があんまり来ない穴場で、二宮先輩のお気に入りの場所だ。今日は新学期初めだから生徒会の仕事も溜まってるだろうし、来ないと踏んだ。
「ホットココアとイチゴのショートケーキ」
「ホットケーキとカフェオレお願いします」
幸い空いていたので、店の奥の方の席に通された。遠野さんは早く聴きたそうにしていたけれど、話の腰を折られるのも嫌なので注文の品が来るまで待ってもらう。ちなみにホットケーキにしたのはお腹が空いていたからだ。始業式は昼前までなので昼食は家に帰らないとない。
「それで」
やってきたホットケーキに蜂蜜をたらす私に遠野さんの声が厳しい。冷めないうちに食べたいのに……違うか。話すと決めたのにまだ私は躊躇して、先延ばしにしようとしている。
「話す、けど……。最初に言っとくと、私は久道さんのことは良く知らない。ただ、役割って言うのと、私に嫌がらせしてたことがそれってゆうので、その、連想っていうか、私の経験っていうかで思い当たることがあったって言うか」
久道さんが転生者だったとでもいうのだろうか、私は。久道さんが転生者で、ハッピーナンバーのことを知っていたと? 何の根拠もないし、事実か確かめる術もない。どこまでもあやふやで、どうやっても不確かな思いつき。
ホットケーキから顔を上げて、遠野さんをそっと見た。苛立っているだろうかと不安だったから。ところが、その目は真摯な聞き手の目で、私は言葉を引き出されるように、つっかえながらも話し出していた。
「私はその、転生者で、えっと生まれ変わり? みたいな。前世のことを覚えてて」
「生まれ変わった?」
「えっと、前の、生きてた私が死んだのに、また赤ちゃんからやり直してた、みたいな。それでその、前の生きてた記憶が頭の中に残ってて」
ああ、何を言っているんだろう。細かく切り分けすぎたホットケーキのかけらをカフェオレで流し込む。かけすぎた蜂蜜の甘さがのどを焼く。このまま声が出なかったらいいのに。
「それで、乙女ゲームってあって、前世でやった中の一つに出てくる人とか、場所とかの名前、あの学校入ってからすごい聞いて、これ、あのゲームの世界なんじゃないかって。転生とかしてたから、そういうのもありなのかなって思って。それで、生田零って、今の私の名前、そのゲームの主人公……主役の名前だったの」
だから浮かれて。軽い気持ちで。攻略なんかしようとして、中途半端で、彼女を死なせてしまった。
言い切って、ぐっと堪えるように首をすくめる。じっと私の話を聞いていた遠野さんが口を開いた。
「トオカは?」
――信じた? のだろうか。こんなとっぴな話を。いや、それより彼女だ。遠野さんはあくまで彼女の話を聞きたいのだ。
「久道さん、久道十火さんはハッピーナンバー……そのゲームの、一井君のルートにでてきて……一井君に恋して主人公をいじめるあくや……ライバル役だったん、だけど……」
久道十火の役どころにライバルというのは会わない気がしたが、彼女の影をひたむきに追う遠野さんの前で悪役というのは悪い気がした。
「久道さんは、一井君のこと、好きじゃなかった、よね……?」
最後は私より彼女と親しかったであろう遠野さんに確認するように疑問形になった。ずっと伏せていた目をそろりと上げる。遠野さんは飲み終えたカップをちょうど置いたところだった。私の視線に気づくと目を合わせてゆっくりと首を縦に振る。
「ええ。トオカは一井を、少なくともそういう意味じゃ、好きじゃなかった。――もう一つ聞かせて。トオカが……その悪役の久道十火が死ぬのは、そのゲームの筋書きどおり?」
その言葉は、私の傷を深くえぐった。
「わた、しが、」
攻略なんてしようとしなければ、一井君のルートになんて入らなければ、ちゃんと好感度を上げていれば、あの時引き止めることが出来ていれば。
――彼女は今も生きているはずなのに。
私がその後悔に飲まれそうになるのを、遠野さんの鋭く澄んだ声が阻んだ。
「答えて」
そうだ、今は、まだ、会話を続けなくちゃ。私は震えながら首を縦に振る。
「バッド、エンド、で、……わた、しが、もっと……」
続きはもう言葉にならない。懺悔を口にすることさえ出来ない。後から後から押し寄せる後悔と涙。ここが喫茶店じゃなかったら声を上げて泣くのに。
「トオカは、幸せだったと思う」
私を後悔の霧から引き出したのは、またも遠野さんの澄んだ声だった。
「トオカはいつも言ってた。生まれた意味もわからず生きるのは死んでるのとおんなじだって。生まれた意味のためなら死んだっていいって」
生きるのに臆病な私からは考えられないような言葉の群れ。飲まれそうになる。
「生まれ変わってって――聞き違いかと思ってたけど、トオカもたぶんそうだった。生まれ変わって、やっと見つけた生まれた意味だからって、あなたにいじめをすることが、そうだって」
「え?」
驚く私にかまわず遠野さんは続ける。
「悪役が、生まれた意味だって言ってた。あの死がその役割に含まれていたなら、それを果たして死んだトオカは幸せだった」
久道さんは、転生者だった。転生して、生まれた意味を探して、それが悪役だったから私にいじめをした? それが役割だったから、自ら校舎から飛び降りた?
私にあの一瞬のことが蘇る。落ちていく久道さん。その表情は、とても満足げ、だった。
「ずっと、わからなかったけど、あなたのおかげで理解できた。――ありがとう。生田さん」
遠野さんの声が終わる。私の心には困惑が満ちている。でも、困惑とは裏腹にその言葉はするりと出た。
「――生まれた意味だったから、死んだって良かったって?」
言葉と共に、怒りが生まれる。
「それが役割だったからあんな死に方して、それが幸せだったって?」
「生田さん?」
遠野さんの声がする。でも今度は彼女の声も、私を止めるには至らない。
「そんなの間違ってる。死んでいいわけない」
「生田さん、」
これ以上は、だめだ。千円札を一枚テーブルに出し、遠野さんにごめんと言い置いて早足に店を出る。店を出て、走り出す。目指すは川原。
冬枯れのどてっぱら。昼間で人もいない。私はだっと駆け下りて、川原のごろごろした石の上に足をふんじばって、広い川の向こうに向かって叫んだ。
「ふざ、けるな――っ」
後は怒涛のように言葉があふれた。
「何で勝手に死んだりして、勝手に心に残って、役目がなに、生きてこそじゃん、生きててよ、巻き込むな、」
私は、怒っていた。同じように転生して、勝手に死んだ久道十火に。
死んだのに、また死ぬのか。生きてる人に、その死を刻むのか。私は必死で生きてるのに、あなたはそうも簡単に命を手放した。
私は最後に大きく息を吸い込んで、吐き出す。全力で。
「久道十火の、バカヤローーーっ」
走った分と合わせて、私の息はもう切れ切れだった。ぜえぜえとひざに手を付いて肩で息をする間に、汗と涙がぼたぼたとこぼれた。
「人の友達を馬鹿呼ばわりするのは、よくない」
いつの間にか、遠野さんが後ろにいた。表情はわからない。顔を上げる気力がない。
「遠野さんの、友達だろうと、馬鹿は、馬鹿」
「そうかもね」
私の言い様に、帰ってきたのは意外にも同意。
「約束、忘れて死んじゃったし」
「約束?」
遠野さんは私の疑問の声には答えず、続ける。
「トオカは、幸せに終わった。それは多分、絶対。――――でも、私も、トオカに生きていてほしかった」
少し楽になった体を起こす。遠野さんは足元から石を一つ拾い上げた。
「トオカの、馬鹿っ」
言うと同時にその石を投げる。ぼちゃりと石は……結構私たちの近くに落ちた。
私も石を拾う。
「バカヤローっ」
掛け声と共に飛んだ石は、川の三分目くらいまで飛んだ。よし。
「……馬鹿っ」
ふっふ、遠野さん、投げ方にはコツがあるのだよ。
むきになったらしい遠野さんと私の石投げ競争は、いつの間にか石きりになり、みあちゃんのお散歩に来た四代君に声をかけられるまで続いた。ちなみに、私たちを下手だと笑った四代君がお手本と称して見せた石きりは二十八回跳ねて、向こう岸にまでたどり着いた。うがーっ。
久しぶりのみあちゃんと戯れた後、四代君と別れ、私と遠野さんは帰り路につく。電車は反対方向だけど、駅までは一緒らしい。構内で電車を待つ間、三鷹先生手作りクッキーを分け合う。これは今日のプリント運びの報酬だ。
構内アナウンスで、遠野さん側の列車が来るとの放送が流れる。
「トオカはあなたの幸せを願ってた。幸せになってって。だから、そのゲームがバッドエンドだったとしても、あなたには幸せになってほしい」
放送を聴いて立ち上がった遠野さんが、最後に残って忘れていた私の疑問を氷解した。ああ、そうか、だから彼女は最後にあんな目を。だから彼女は最後にあんな言葉を残したのか。バッドエンドになってごめん、ハッピーエンドじゃなくてごめん。そういう彼女の言葉が聞こえた気がした。
でもね、エンドって、私はまだ続いている。そうだ、バッドエンドを迎えても、私はここに生きている。だからまだ、また、幸せにもなれる。
一つ、幸せへの第一歩として、思いついたことがあった。
遠野さんが降りていった階段に走って、そこから下を見下ろす。遠野さんの電車に乗り込む背に向かって声をかけた。
「じゃあ、友達になって」
驚いた彼女が振り向くと同時に、発射のベルが鳴る。あわてて首を引っ込めた彼女を見て、思う。
返事は明日聞けばいい。
久道十火はハッピーエンド。じゃあ私は? まだ続いて、これからがある。ハッピーもバッドも、エンドなんて迎えない。
遠野さんと友達になって、届かないかもしれないけど一井君に幸せになってって言って、ちゃんと今度はゲームに関係なく恋愛して、幸せに向かって、生きて、行けばいい。