森のほとりと空飛ぶ魚 その3
「夜遅くにすみません。アルテニカさんのお宅ですか?」
夕方から夜になり、星もまたたきだした頃。わたし達はぼろぼろになった男子を連れて一軒の家を訪ねた。
「はーい」
ぱたぱたと音がした後、男の子と同じ薄茶色の髪をした女の子が姿を現す。
「どちらさまで……お兄ちゃん!?」
妹さんかな? お兄さんと同じダークグリーンの瞳を見開いて、わたしと隣の男の人、彼に担がれている人物を交互に見る。
「はじめまして。イオリ・ミヤモトって言います。これでも性別は女です」
これまでの経験をふまえ、聞かれてもいないのに性別まで告げてしまった。異国の地で一度ならず二度も男の子と間違えられて。三度目まで間違えられてしまったらさすがに落ち込むからその予防線だ。
「それで、えっと、その──」
「森をさまよって倒れていたところを拾ってきたんだ」
助け船をだしてくれたのは、ぐったりとした男子を担いだ鳶色の髪の男の人。うん。本当にそうなんだけど。
「見慣れない格好してるけどこいつ、本当に女だから」
フォローのつもりなのか、軽くあごをしゃくってみせる。そうなんですか? と問いたげな女の子の瞳にうなずきを返す。ありがたくはあるのだけれど、やっぱり釈然としない。女の子らしく、今後は髪の毛でも伸ばした方がいいのかな。そんなことを考えていると、
「あれ? ユリシーズさん?」
今度は女の子よりも小さな男の子が顔をのぞかせた。こちらは赤毛に若干たれた感じの瞳。ダークグリーンのそれは、彼らが姉弟ということをものがたっている。
知り合いなんですか? そう問いかけると、ちょっと野暮用でなと男の人に肩をすくめられる。知り合いだから、男子のことを知っていたし家まで連れてくることができたのか。
「いい加減、重くなってきたからおろしていいか。ついでに親御さんでも呼んできてくれ」
「それなら心配いらないよ。だってほら」
「お母さん! あのお兄ちゃんが女の子連れてきた!!」
男の子にうながされて視線を向ければ女の子がぱたぱたと奥へ引っ込んでしまう姿が見えた。しかも興奮気味に、ところどころに気になる言葉が耳に届く。
「男と間違われてその奇妙な武器でお空の星に飛ばしました、なんて言っても誰も信じないだろ」
小声で意味ありげな視線を向けられて。いたいところをつかれ反論できないのが悔しい。だからといって訂正しても墓穴をほるだけだから、ここは解説に水をささないことにする。
それはそうとして。
「さっきはありがとうございました」
お世話になったことには変わりないので丁寧に頭をさげる。俺のことは好きそうじゃなかったけど? という声にはそれはそれ、これはこれですと返した。初対面では一方的に悪態をつかれ、かと思えば事情はどうであれわたし達を助け、長身の男子を背負ってここまで案内してくれた。釈然とはしないけど悪い人ではないんだろう。
悪い人ではないんだろう。でも胸の中にもやもやとした気持ちが広がっていく。
「だけど。金輪際変な言い方しないでよね。ユリシーズ」
きっと視線を向けると、目の前の大人は肩をすくめておどけてみせた。
「いきなり呼び捨てとは大胆だな。俺のこと、そんなに気になる?」
「勘違いしないで。尊敬に値しない人はわたしの中では呼び捨てで充分なの」
外国の常識はよくわからないけれど。一般的な常識非常識はわたしにだってわかる。いくら気にくわない人とはいえ頭をさげるくらいの礼節は持ち合わせているつもりだ。
そんなことを考えているとふいに、青みがかった緑色の瞳にみつめられる。初対面とも、女とわかって目を見開いた時とも違う真剣な眼差し。お星様にしてしまった男子とは違う大人の視線になぜかこっちがうろたえてしまう。しばらくして、ふっと相好をくずしたのは男の人の方だった。
「おまえ、将来いい女になりそうだな」
もっとも、その前に見た目をどうにかしないとな。そういわれて反射的に左手の腕輪に右手を添えてしまう。ちなみに戦闘で思わぬ活躍をしてくれたハリセンは、男子をお星様にした後あっという間に元の腕輪に姿を変えてしまった。お守りと称してもらったものは、実はとんでもないしろものだったらしい。
とはいえお星様にしてはい終わり、というわけにもいかず。残った二人で森の中を探し回ってまたもや眠っていた――のびていた彼を見つけだし、有無を言わせず担いでここまできた。帰路の途中で『すごい技持ってんだな。あんた』『こりゃあ、男に間違われても仕方ないだろ』そんな応酬を聞きながら。やっぱりこの人のこと好きになれない。
「おやすみ。縁があればまたな」
なれないけど。『じゃあ、わたしが代わります』と男子を運ぼうとすれば『それでも女なんだから、今は黙って守られてろ』と男子を担いだまま返されて。その余裕ぶった大人の対応が気になる。こっちがふりまわされているようでなんか悔しい。
「おやすみなさい。もう二度と会うもんか!」
その憎まれ口もどうにかしとけよと笑いながら肩手をふるユリシーズ。こうして一応、異国での命の恩人は闇の中に溶けていった。
男の人ってみんな、ああなんだろうか。
違うよね。お父さんはなんというか豪快っていう言葉が似合いそうだし、日中に会ったリオさんは優しそうで、ジャジャじいちゃんは話していて楽しかったし。さっきのユリシーズは軽率って言葉がぴったりな印象だった。
そして、お星様にされた男子はというと。
「お待たせしました……あれ?」
ユリシーズの姿が見えないことに気づいたんだろう。女の子があたりをきょろきょろと見回す。用事があって先に帰ったと説明すると、そうなんですかと納得したようにうなずいた。
「あらためてはじめまして。ニナ・アルテニカって言います。このたびは愚兄をここまで連れてきていただいてありがとうございました」
「いえ、そんなたいそうなことじゃ」
「お兄ちゃんっていつもこうなんです。ぼーっとしてて、そのくせ何か気になることがあったら猪突猛進というか、グールになりそうになるまで一つのことに集中しちゃうというか」
今回だって、何か気になるものでも見つけたんでしょ? そう続けられてそんなところですと曖昧な返事を返す。お星様にしましたなんて口が裂けても言えない。
「ほら、お兄ちゃん。いつまで寝てるの。ウィルも起こして」
ウィルと呼ばれた男の子に二度、三度と容赦なく体をゆすられた後、二人の兄はようやく重いまぶたをあげた。
「……ニナ? それにウィルも」
「やっとお目覚め?」
「なんでおまえたちがこんなとこにいるんだ? 怪物が出たら危ないだろ」
「ここは家。兄ちゃんまだ寝ぼけてる?」
ウィルくんだけでなく続けてニナちゃんがさらに体を揺する。目をつぶりそうになったところを揺さぶり、再度閉じそうになると再度ゆさぶられて。
「ペルシェ!」
ダークグリーンの瞳がかっと大きく見開いた。 そういえば、お星様になる前も同じことを言っていた。怪物に襲われる前に見た見たお魚もどきのことだろうか。だったら納得がいく。ふわふわ飛んでて、透き通っていた。
「あの怪物って『ペルシェ』っていうんだ」
「ペルシェを知らないのか!?」
なにげなくもらした声に男の子が目をむく。
「あの透き通るような色、魚のような造形」
そこからつらつらと。ペルシェという生き物についての講義をうけた。鳥と魚が合わさったような姿でティル・ナ・ノーグというよりもアガートラム王国に生息する生き物だということ。くわえてこのあたりだと妖精の森に多く見られるらしいということ。ぼうっとした表情とはうってかわって。一つの単語でよくこれだけ話ができるなあ。感心してしまう。
「まさに生きる芸術。この生きる化石とも呼ぶべき生物を知らないなんて――」
そこまで言って、ふと押し黙る。視線を部屋中に向け、ニナちゃんからウィルくんへ、ウィルくんからわたしの方を見て一言。
「あんた誰だ?」
「お「兄ちゃんっ!」」
ようやくわたしの存在に気づいたらしい。ついでに、この様子だとお星様にされた前後のことはきれいさっぱり忘れているようだ。かつ、あんまりな物言いにニナちゃんとウィルくんが非難の声をあげる。
「倒れていたところをユリシーズさんと姉ちゃんが連れてきてくれたんだ。他に言うことがあるだろ」
ユリシーズさんは先に帰ったけど。そう言ったウィルくん(後から聞いたけど、正式にはウィルド・アルテニカくんというらしい)にわけがわからないという表情の男子。思い起こしてみれば、彼ってペルシェを追いかけて森の中を散策し、寝入ったまま最後には不思議なハリセンの力でお星様にしかされていない。
「お礼。ちゃんと言った?」
眉をつり上げたニナちゃんに男子は首をかしげる。
「なんでオレがお礼を言わなきゃ――」
「「い・っ・た?」」
「……ありがとうございました」
頭ごなしに言いくるめられ、状況がわからないまま頭を下げる男子。なんとなくだけど。この兄弟の力関係はよくわかった。
「あなたの名前、教えてもらってもいいかな」
今更ながらに問いかける。わたしの名前は何度となく言ったからわかると思うけど、彼の口からはひとことも聞いてない。そろそろ自己紹介くらいしてくれてもいいはず。
「お兄ちゃん自己紹介もしてなかったの?」
そう思って尋ねると、再びニナちゃんの眉がつり上がった。
「お姉さんはイオリさんでよかったよね」
確認の声にうなずく。隣の彼はそうなのかとつぶやいて、またニナちゃんににらまれてた。どうやら興味のないことにはとことん興味がないようだ。
「イオリ・ミヤモトです。白花から来ました。あなたのお名前は?」
そう言ってダークグリーンの瞳を見つめると、彼もわたしの青の瞳を見つめ返す。ぼうっとした風体と森での一件があったから深くは考えてなかったけど、改めて容貌を確認すると背がわたしより頭ひとつ分は高い。真面目な顔をすれば、ちゃんとした人に見える……かもしれない。
ひとつ、ふたつ。瞬きをしたあと男子の口から出た言葉は。
「ユータス・アルテニカ」
これが異国に来て初めての同年代の男子と――ユータとまともな会話をした瞬間だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜も遅いということで、その日はアルテニカ家にお世話になることになった。
「すみません。夕食までいただいたのに泊まらせてもらえるなんて」
「いいのよ。気にしないで」
赤毛の長身の女性が声をかける。
「息子を助けてくれた恩人ですもの。これくらいはさせてちょうだい」
エリー・アルテニカ。アルテニカ三兄弟のお母さんだ。髪の色と垂れ目の瞳がウィルくんと血のつながりを感じさせる。
「ここへはどうやってやってきたの?」
「シラハナからの定期便があるんです」
暖かいスープに口をつけながら答える。半分野宿を覚悟していたから、こうやって食事をさせてもらえるだけも大変ありがたい。もっとも定期便は都からしか出ていないし、家からそこまではさらに時間がかかったのだけれど。
『船の旅』という言葉は子ども達には刺激的だったらしく、ニナちゃんとウィルくんはともに目を輝かせながら聞いていた。ちなみにニナちゃんとユータスさんはお父さん似で、そのお父さんは仕事でなかなか家に帰ってこれないんだそうだ。
「怪物に襲われたのに、イオリちゃんよく無事だったね」
いつの間にか、話しが終わる頃には『イオリさん』から『イオリちゃん』『イオリ姉ちゃん』に呼び方が変わっていた。わたし自身が一人っ子だったし、兄弟がいたらこんなふうになるのかなと微笑ましく感じる。
「うん。これを使って――」
そこではたと我にかえる。
船で怪物に襲われて、それでも無事にたどりついた。気づいたらハリセンがとんでもないことになっていて、妖精の森でおそわれた時もこれが武器になってくれた。ハリセンはお父さんがくれたもの。はたくことはできるけど風をおこしたり、ましてや人を吹っ飛ばすほどの能力はないはず。そもそもわたしはどうやって海での危機をのりこえたんだろう。
「……あれ?」
何か忘れているような気がする。わたしは船で誰かに会った?
誰かに会って。そこから何が起こった?
「イオリちゃん?」
ニナちゃんの気遣わしげな声に慌てて首をふる。
「長旅で疲れてるでしょう? 今日はゆっくり休んでいってね」
確かに疲れているみたいだ。お言葉に甘え、与えられた部屋で早めに休むことにした。
ユータス・アルテニカおよびアルテニカ御一家は宗像竜子様よりお借りしました。
ここまで長かった……!