森のほとりと空飛ぶ魚 その2
『可愛い女の子が一人旅なんて危険だから。お父さんの気持ちもくみ取ってとっておきの護身用の武器を作ってみたんだ。気に入ってくれると嬉しいな』
光の後に現れたのは巨大な扇子状の物体だった。故郷を旅だった際にお父さんが渡してくれたものを見つけた時は、迷わず包みごと海に捨てようとした。それがなぜか、一般的なそれとはひとまわりもふたまわりも違う巨大な姿で自分の手の中におさまっている。
どこかの海のにーさん。
「これって一体何ですか?」
森の中で目の前には怪物がいて。藁にもすがりたいっていうのは間違いなくこんな状況のことだから、ぎりぎのところで特大張扇を捨てずに握りしめる。初めて目にした時は真っ白な厚紙でできていたはずなのに、手の中にあるものはうっすら青みがかっていて。重さは以前の時と変わらないけれど、これって本当に何なんですか……?
『第一段階の具現化ができたなら、相手に向かってふりおろすんだ。君のイメージしやすいもの、そうだな。剣でもいいし槍でもいいし。想像にあわせて武器が勝手に動いてくれるから』
わたし、イオリ・ミヤモトは医療を学ぶためにティル・ナ・ノーグまでやってきた。だから断じて見ず知らずの怪物とハリセン片手に戦うためにきたのでは断じてない。
なのに、なんでこんな状況にいるんだろう。
「どこかの海のにーさん恨みます!」
ぶつぶつつぶやきながらハリセンを握った手にぐっと力を込める。護身術程度の体術は習得しても剣や槍の扱いなんて全く知らない。
本当になんなの? この状況。わたしはただ医学の勉強がしたかっただけなのに。
「……これも違う。これじゃあ、駄目なんだ」
かたわらには男子が寝そべっていて、相変わらずわけのわからない寝言をつぶやいている。だから、何が違うんだ。何が、駄目なんだ。
それもこれも。
「なんとかしろ──!」
感情をむき出しにした声と同時にハリセンを振り下ろす。後先なんて考えられない。ただただやけっぱちだった。
すぱん!
風をきったような音が響く。そもそも舞台道具として作られたものだから、ハリセンからこんな音がしても何ら不思議はない。でも注目したいのは、音と共に生じた副作用。
音と同時に突風がわく。とっさのことに目をつぶって、また開いて。
「……うそ」
魔物が遠くに吹き飛ばされている。その事実に気づいたのはだいぶん後になってからのこと。ハリセンって確か大きな音だけを出すための小道具じゃなかった? 大きさが変わったからってこんな効果があるって聞いてない。
「どこかの海のおにーさん。一体何をしたんですか?」
今度は声に出して船であった人物に疑問をぶつける。当然答えは返ってくるはずもなく。反対に遠かった怪物たちが再びにじり寄ってきた。
「こっち来ないで!」
ほうけてる場合じゃなかった。風撃で数はずいぶん減ったものの、完全に驚異が消え去ったわけじゃない。
とにかく必死になってハリセンを振り回す。
右。
左。
また左。
意志をもって振り下ろせばちゃんと対応してくれるってことはわかった。なんとなくだけど、体術の延長と思えばいいんだと思えば理解できるし。
けれども所詮は付け焼き刃。戦士でもなければ騎士でもない素人同然のわたしが怪物にとどめを刺すことなんでできるはずもなく。きのこもどきは追い払えても、野犬もどきの方は再びじりじりと距離を詰めてきた。
「だから、来ないでってば!」
怪物相手に人間の言葉が伝わるはずがない。でも相手側はわたしの胸中が手に取るようにわかるようで、出会った時と同様、いやそれ以上に犬歯をむき出しにして襲いかかってきた。
「……っ!」
駄目だ、避けきれない!
目をつぶったのと、シュッという音が耳をかすめたのはほぼ同時のこと。少しして、ギャンッという獣の悲鳴が耳に届いた。
おそるおそる目を開ければ首元を矢に貫かれた獣の姿が。ぴく、ぴくと痙攣した後、狼もどきは完全に動きを止めた。へたりこみたいけど、油断はできないからハリセンを持った手に力を込めたまま成り行きを見守る。なんとか最悪の自体は脱したみたいだった。
と言うよりも。
「いいかげん、起きんか――!!!」
三度目の怒号とともにハリセンを振り下ろして。同時に疾る風鳴りの音。
それが、決定的な一打となった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん……」
目をこすりながら男子がようやく目を開ける。おはようございますと皮肉をこめて言うとダークグリーンの瞳をしばしばさせて『おはよう』と返ってきた。続けて『何が起きたんだ?』とこの台詞。実はわざと言ってるんじゃないんだろうかとなかば殺意までおぼえてくる。
「ゆっくり眠れたみたいで何よりです」
さらに皮肉をこめて笑いかけると本当によく眠れたと返ってきて、初対面にもかかわらず今度は本気で殺意がわいた。
「それにしても、本当によく眠ってましたね」
ここまでくると呆れを通り越して感心すら覚えてしまう。自宅でも宿でもない森の中で。周りを魔物に囲まれた状態で熟睡できるなんて常人にはできないことだ。少なくとも私にはできない。
「違うって言ってたけど何が違ったんです?」
一番初めにわいた疑問を投げかけると、『ペルシェ』という声が返ってきた。
「仕事が一息ついて外に出たらペルシェが見えた」
当時はペルシェと呼ばれるものが何のことだか全然わからなかったから。姿を追いたくなるくらい珍しいものなのかなって思ってた。
「じゃあ、『ぺるしぇ』ってものを追いかけたら疲れて寝ちゃったってことですか?」
そう尋ねると、首をたてにふるかわりにうーん、という不可解な返事。
「ペルシェを追いかける途中で変なものを見つけた。追いかけてて、あんたに出くわした」
変なものって、何のことなんだろう。再度疑問をぶつけるとわからないとの声。頭が半分眠っていた状態だったからちゃんと認識できていなかったらしい。よくわからないものと間違えられるわたしって。
「これ、落とし物です」
本来の目的である眼鏡を手渡すと、相手は『ん』と言ってそれを耳にかけた。
あらためて相手の容貌を観察してみる。短くされた薄茶色の髪にダークグリーンの瞳。はじめに感じたことだけど、わたしより大きな男子は縦にひょろっとしていて不信感というか、緊張感というものがまったく感じられない。
それにしても、魔物に遭遇しても熟睡してられるほどの仕事ってなんなんだろう。頭をひねりながら歩いてると、足先が硬いものにぶつかった。
「……矢?」
長くて細長い硬い羽根がついたそれは、野犬に突き刺さっていたものと同じものだった。わたしが使った武器はハリセンのみ。風をおこすことはできても矢を飛ばすなんて芸当はできない。だったらどこから飛んできたんだろう。拾ってまじまじと見つめていると。
「どうやらうまくいったみたいだな」
第三者の声が耳に届く。視界に映ったはピンクベージュの短い髪に青みがかった緑の瞳の男の人だった。
「あなたはさっきの――」
「ユリシーズだ」
声をあげる前に名乗られた。ティル・ナ・ノーグ行きの船を降りたところでジャジャじいちゃんに会って。二人で立ち寄った酒場に居合わせた男の人だ。あのときは一方的に突き放したふるまいをされていたたのに、こんなところで再会するなんて。
「武器も持たずにこんなとこまでお散歩とは。器が大きいんだかただの馬鹿なのか」
ひどい言い方は海竜亭の時と変わらない。肩には大きな弓と矢筒を携えている。腑には落ちないけど、この人が助けてくれたってことで間違いはないんだろう。ちなみに追い払ったきのこもどきは『マツタケモドキ』というらしい。胞子を出して相手を睡眠状態にするんだそうだ。わたしが眠らなかったのは必死にハリセンをふって胞子を振り払っていたからってことになる。野犬もどきのことは聞いたけどよくわからなかった。
「危ないところをありがとうございました」
釈然とはしないものの深々と頭を下げる。もっとも『用事のついでにたまたま見かけただけだ』って軽くあしらわれたけど。
「用事ってなんだったんですか?」
疑問をぶつけると、『ユニコーン』という声が返ってきた。
その言葉はわたしでも知ってる。額に一つの角をつけた聖獣で心のきれいな女の人に引きつけられるだったかな。でもなんでこんな場所にと首をかしげる男の人。男子のほうは、ようやく立ち上がって肩や首をまわしている。さっきの言葉はそのまま彼にかえしてあげたい。
「ユニコーンって、女の人がいるところに近づいてくるんですか?」
「女であれば誰でもいいってわけじゃない。かといって、野郎にはまず近づかない。
となると、この辺りに女がいたってことになるな。言っとくが、女顔だからといってあんたのことを言ってんじゃないぞ」
やっぱり海竜亭と似たようなやりとりが繰り広げられる。あの時はジャジャじいちゃんとグラッツィア施療院に顔を出して、それこそ似たようなやりとりが繰り広げされた。この既視感はもしかしなくても。
「あの。わたしは宮本伊織……イオリ・ミヤモトって言います」
「ご丁寧にどうも。俺はユリシーズ・アルジャーノン。だが名乗りあってる場合か?」
うろんげな視線をよそに小さく息をつく。わたしだってこんな二度手間したくない。だけど、確かめたいことはある。
「ユニコーンがそばにいるって情報でこの森まできたんですよね」
そして、わたしの予想ははずれていなかったらしい。
「女がいればよってこないこともないけど、ここに女なんているわけ――」
ユリシーズさんがわたしと隣にいた男子を交互にみて、もう一度わたしの方を見て。
首をかしげてうなって、目を見開いて。
『女!?』
男性二人の声が重なる。少しまえと同じ光景が繰り広げられることになった。
「見えないこともないけど、やっぱり無理が──」
「お・ん・な! です」
事実を述べると談笑していた二人の男性陣の声がぴたりとやんだ。
「……本当に?」
嘘ついてどうするんだ。首を大きく縦に降ると、青みがかった緑色の瞳が大きく見開かれた。
「おまえ女だったのか!?」
だから、さっきからそう言ってる。加えて言えば、このやりとりは異国でなくても何度も経験済みだ。しきりに驚かれた後、へー、ほー、ふーむとじろじろ見つめられた。ひとしきりうなりをあげた後、ひとこと。
「そうかそうか。あんた女だったのか」
ばしばし背中をたたかれた。正直痛いし失礼だ。
「勘違いして悪かったな。怪我はなかったか?」
目つきが急に優しくなった……気がする。
「さっきと態度が違いませんか?」
しかも初対面の時とは全然態度が違う。うろんげな視線を向けると、
「俺は女には優しいの」
そういうものなのだろうか。いっそすがすがしさすら覚えてしまう。
一方、もう一人の男子はというと。
「おい、ユータス……」
男子の名前はユータスと言うらしい。無言のまま、わたしの周りをうろうろ。さっきのユリシーズさんの時とは違い、じっと見ては首をひねって、上から下まで視線をめぐらす。他意はないかもしれないけど、これはこれで落ち着かない。
「あの?」
声をあげる前にこっちを見て。
さっきまでのぼうっとした表情とはうってかわった真剣なまなざし。
お互いの視線が交差すること数秒。
「女?」
時が止まった。
「本人がそう言ってるだろ」
「女って、俺たちとは違う造形じゃないのか?」
大真面目にこの台詞。からかっているわけでも悪意があるわけでもなく、ダークグリーンの瞳をこちらに向け真剣に問いかけている。
だから、なおさらたちが悪い。
「……女?」
三度首をかしげて。ここでわたしの限界がきた。
「おん――」
「ふざけんじゃなか――!!!!」
すぱあああああん!!!
ハリセンで人を飛ばせることを知ったのも、ちょうどこの時だった。
ユリシーズ・アルジャーノンはタチバナナツメ様よりお借りしました。