常若(とこわか)の地にて その3
お兄さんの声に思わず拳を握りしめてしまった。いい体ってなんだ。
「『骨格と筋肉とのバランスがとれた、将来の有望株』っていったところかな。将来が楽しみだ」
しかも将来が楽しみってどういうこと? 続けられた声に困惑していると、さらに追い討ちをかけられた。
「みたところ、まだ10代だよね? 悔しいけど俺なんかあっという間に追い越してモテモテになるんだろうなあ」
もてもてだなんて。自慢じゃないけど、わたしは、その――
「そうじゃの。わしの若い頃を思い出すの」
「またまた。いくらなんでもこの子くらいカッコよくはなれないでしょ」
……ん?
「白花って容姿端麗な人が多いのかな。トモエさんも美人だし、ソハヤさんもなんだかんだいって男気あふれてるよね」
君はどんなふうに成長するのかな。将来が楽しみだとか言われて。ここで、わたしはそこはかとない違和感を感じた。
「あの」
『ん?』
感情が声に出ていたんだろう。思ったよりも低い声がもれてしまった。
「わたし、イオリ・ミヤモトって言います」
「ご丁寧にどうも。俺はリオ・シャルデニー」
赤毛のお兄さんが人なつっこい笑みをうかべる。
「わしはジャガジャット。通称ジャジャ爺じゃ」
それはさっき聞きましたしちゃんと覚えました。
「今までの発言ってどういう意味なんでしょうか」
発言って? と本気でいぶかしむお兄さんにこれまでのいきさつを話すとリオさんはもちろん、隣にいたジャジャじいちゃんの声がぴたりとやんだ。
「……もしかして、君って」
「おまえさん、坊じゃなかったんかい」
ティル・ナ・ノーグへくる途中の船で魔物に襲われた。服も見事にぼろぼろになってしまったから、なけなしのお金で服を買って。さらに加えれば、当時のわたしの髪は短かった。
「ごめん。まさかそうだとは思わなかったから」
リオさんが両手を合わせて謝る。これは悪気もなく本当に本気でそう思っていたんだろう。骨格と筋肉とのバランスがとれた、将来の有望株。素直に喜んでいいのか悲しむべきか判断に迷うところだ。
「疑問には思わなかったんですか?」
肩よりもさらに上、耳のあたりで切りそろえられた髪をはらう。もともと長くはなかったけど、白花から旅立つに当たってぎりぎりまで短くしておいた。
『特には』
「……もういいです」
わたし、宮本伊織は東国の白花生まれシラハナ育ちではあるものの、れっきとした15歳の女の子だ。男の子に間違われるなんて心外――と言いたいところだけど、残念ながらこれが初めてじゃない。お母さんに言わせれば、わたしがこんなふうになったのは病気がきっかけらしい。子どもの頃は病気がちで外に出歩くのもままならなくて。近所の男の子達にからかわれたり時にはいじめられそうにもなった。そのたびにお父さんが仲裁してくれたけれど、このままじゃいけないと子ども心に感じたわたしはある日父親にこういった。『わたし、もっと強くなりたい』と。
もっと元気になって外でたくさん遊びたい。そんな意味合いで言ったはずなのに、告げた相手が悪かった。
『わかった。お父さんに任せとけ』
それ以降、医者に体を診てもらうかたわら体調がいい時は外に連れだされ変な運動をたくさんさせられた。『これを覚えれば元気になるし男の子にもからかわれないですむ』って言われたから必死に覚えて。物心ついたころからさせられていた運動が世間でいうところの体術だと知ったのは三年前のことだった。
父親の言うことを信じて体術を学び続けた結果、望み通り元気に強くなってしまった。それはもう、近所の男の子には負けないくらいに。そうしたら今度は『男の子みたい』ってからかわれるようになって。周りの女の子達が色恋沙汰にはしゃいでいてもわたし一人蚊帳の外で、一人悲しく医術書を読みふける事態にもなったんだけど。そのあたりは思い出さないことにしておく。
「わたしのことよりも。ジャジャじいちゃんはリオさんに用があったんじゃないんですか?」
不快な空気は早めに壊した方が良い。咳ばらいをして隣に声をかけると、そうじゃったとじいちゃんは手をぽんとたたいた。
「いつものやつを頼もうと思っての。久しぶりじゃから、みっちり頼む」
「わかった。じゃあ準備するよ」
『いつもの』ってどういう意味なんだろう。疑問に思って首をかしげると、せっかくだから見てるといいよとうながされる。
答えはほどなくして知ることとなった。
「おおっ。そこじゃ! そこなんじゃ!!」
ばきっ、とかぼきっとか。そんな擬音が部屋に響いた――ような気がした。
「もうちょっと右……おおっ!」
実際はジャジャじいちゃんが大げさに騒いでるだけだけど。簡素なベッドに爺ちゃんが寝そべって、その上にリオさんが乗っている。体重をかけてじいちゃんの腰を押しているように見えるけど痛くないのかな。
「整体を見るのは初めて?」
リオさんの問いかけに素直にうなずく。施療院は白花にもあったし医師だってちゃんといた。だけど、こういう仕事をする人は目にしたことはなかった。治療する手立てとしては医療の他に魔法使いにお願いするって手段もあるけど、わたしの育った村じゃそんな余裕はなかったし。
「イオリちゃんは怪我とかしたことなかったんでしょ? だったらこういった場面は珍しいかもね」
そう言いながら再び爺ちゃんの腰を圧迫する。男の人一人分の重さがかかっていて普通なら痛くて耐えられないはずなのに、目の前のおじいちゃちゃんはまったく苦しそうに見えない。これも医療なんだろうか。そう尋ねると首を横にふられた。
「正しくは、医療の一端かな。人間に関わらず、大抵の生物には骨格があるのはわかる? 骨の上に肉体があって、それで生物のバランスを保っているんだ。
でもその骨格がゆがんでいると体にひずみができてしまう。少しならいいんだけど、長期にわたると大きなずれに、病気や怪我の原因になっちゃうんだ。だから大事に至る前に骨格のゆがみを矯正していって、なるべく元気な状態にもどしていく。それが整体であり、整体師である俺の仕事」
「魔法使いとは違うんですか?」
わたしには魔力というものがほとんどない。だから、魔法使いにはなれないらしい。だからこそ、ここ(ティル・ナ・ノーグ)へやってきた。魔法ではなく人を救うことができる手段、医術を学ぶために。
「確か精霊って呼ばれるものと契約して、常人にはできない奇跡を起こせる人のことを言うんですよね」
話には聞いたことがある。ただびとにはできない摩訶不思議な能力。精霊と呼ばれる人間とは異なる存在の力を借りることですごいことができるって。
「イオリちゃんは魔法使いになりたいの?」
リオさんの薄い緑色の目が細まる。
「興味はあります。でも、わたしには才能がないみたいです」
そんな不思議な力があるのなら病気や怪我を簡単に治すことができる。そのほうがたくさんの人の力になれるしすばらしいことなんじゃないかって。
子どものころ、誰かに言われた。わたしには魔法の根厳たるもの『魔力』がまったくないって。白花だとみんなが魔法を使えるってわけじゃない。むしろ、魔法使いという存在を目にすることが希有だ。でも誰にでも多かれ少なかれ魔力というものが存在して、わたしにはそれがなかったから病気にかかりやすくなったらしい。
そう。本当ならわたしはここに存在すらしていなかった。そうならなかったのは通りかがりの医師がわたしを診てくれたから。魔法使いを呼べるほど裕福でもなくて、ひいきにしていた医者にも助からないだろうとさじをなげられて。それでも『できる限りのことをやってみたい』ってその人は必死に看病してくれて、結果わたしは命をとりとめた。本当ならすぐにでもお礼を言いたかったけどその人は旅の途中だからって名前を告げることなくいなくなってしまった。それから先はごらんのとおり。お父さんに体力をつけるという名目で武術を教わって、遠い異国の地のことを噂にきいてなかば反対を押し切る形で船にとびのって。
「奇跡でも魔法でもない『医学』という技術を学びにきたんです。ここで勉強すれば、わたしも『あの人』みたいに病気や怪我で困ってる人を助けられるんじゃないかって」
わたしの決意を赤髪の男の人はだまって聞いていた。
「それが正解。魔法って全てが万能ってわけじゃないから」
「そうなんですか?」
てっきりなんでもできるものだと思ってた。
リオさんの説明によるとこうだった。魔法は確かに便利ですばらしい能力だけど、魔法使いは契約の代償として体の一部に刻印と何かを制限されるらしい。
「何かってなんなんですか?」
「うーん。何かは何かとしか言いようがないかな」
もしかしてと思って尋ねてみると、リオさんも精霊と契約した魔法使いであって、わたしより五つ年上だと返答があった。わたしより一つ、二つ上のお兄さんだと思ってたから本当に驚いた。それ(容姿)も精霊と契約したからなんですか? って尋ねるとこれはオリジナルと笑われた。生まれ持っての童顔ということらしい。
「じゃあリオさんは刻印があるってことですよね。それって見ることができますか?」
何気なく尋ねてみると、それまで穏やかな表情を浮かべていたリオさんが急にかたまった。
「リオさん?」
なぜか明後日の方向を向いてる気がする。目をつぶって、こめかみに指をあてて。どんな精霊と契約したのか気になったからなんだけど興味本位で聞くことじゃなかったのかな。
もう一度名前を呼ぶと緑の瞳がぱち、ぱちと瞬いた。
「ごめん。見せれないってわけじゃないんだ。でも、ちょっと……」
「いいんです。ちょっと気になっただけだから」
なぜか言いよどむリオさんに慌てて首をふる。手品みたいに気軽に出せるものじゃないだろうし、制約もあるってさっき言ってたし。それよりも魔法使いなのに整体師という仕事をしていることが気になった。魔法使いならこんなところで働かなくても気軽に悠々自適な生活をおくれそうなのに。そう思って問いかけると魔法は全てが万能ってわけじゃないというさっきと同じ返答があった。
「それに、魔法だけに頼ってるといざって時に何もできなくなるから。魔法はその人の本来の力をサポートしてくれるもの程度に考えた方がいい。
イオリちゃんは魔法使いになりたくて医学を学びに来たんじゃないよね? 病気や怪我で困ってる人を助けたい。その気持ちがあれば充分やってけるよ」
「そういうものなんでしょうか?」
「そういうものなんだよ」
なんとなくはぐらかされたような気がするけど。
イオリちゃんみたいな子がここで働いてくれたら心強い。今日はあいにく留守にしてるけど、今度来た時に院長先生を紹介してあげるからまたおいで。そう返されて今日はその場を後にした。
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リオさんって初めの印象と違ってずいぶん真面目な人なんだなぁ。
「グラツィア施療院、か」
後で気づいたことだけど、さっきまでいたお屋敷には異国の言葉でそう書かれた看板があった。ちなみにジャジャじいちゃんは整体の後にお灸もするということで今はわたし一人だ。
ジャジャじいちゃんの指摘したとおり、わたしにとってためになる場所だったし今度は院長先生にも会えるって言ってた。一体どんな先生なんだろう。そして、リオさんはどんな魔法使いなんだろう。
「今度行ったら見せてくれるのかな」
地図を見ながら一人つぶやく。
叔母さん夫婦の家は言い換えればお父さんの実家になる。本当はお父さんの家になるところだったけど、お父さんがあんな調子で飛び出しちゃったのと残った兄弟がお父さんの妹さんしかいなかったから、自然の流れで妹さんにまわってくることに。今は結婚しておじいちゃんおばあちゃん、わたしの従兄弟にあたる男の子と一緒に暮らしてるって時々送られてくる手紙に書いてあったってお母さんが言ってた。宿をとるにしても泊まらせてもらうにしても、まずは親族にちゃんと挨拶をしなくちゃ。
そう思って歩いているはずなのに。
「……ない」
なかった。家らしきところは多々あるものの、叔母さん夫婦の家と思わしきものはどこにもない。
お店なら何件か見たのに本当に見つからない。
「あの。エステル・レインディアって方のおうちをご存じですか?」
行く人々に道の確認がてら居場所を尋ねて。ようやく手がかりがつかめたのは日も暮れかかった頃だった。
「レインディアさん? あの一家なら先日引っ越したよ」
リオ・シャルデニー (香栄きーあ様、ジョアンヌ様)
からお借りしました。