常若(とこわか)の地にて その1
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
気づいた時は見慣れない部屋の中だった。声をかけてくれたのは船の乗組員さん。話を聞けば倒れていた私を乗組員さんが見つけてここ、医務室に運んでくれたらしい。
わたし、何をしていたんだっけ。ぼうっとした頭を動かしてこれまでの出来事をふりかえってみる。船がゆれて、船室から外に出たら怪物に襲われそうになって、嵐の中でたたずむ男の人を見つけて。
それから。
「お兄さんは?」
疑問の声に乗組員さんと隣にいた船医さんは首をかしげる。
「外にいたのは君一人だったけど。君のお兄さんも一緒に乗っていたの?」
「そうじゃなくて」
さらに首をかしげる船医さんにこれまでのことをかいつまんで話をした。嵐になって船が襲われて。荷物をとりに外へ出たら藍色の髪のお兄さんが魔物と対峙していたこと。お兄さんが何かを唱えると大ナマズが凍りづけになってしまったこと。
全部を話し終えると船医さんは腕をくんでうなった後、こう告げた。
「男の人はおろか、魔物なんて一匹もいなかったよ」
耳を疑ってしまった。
「でもこれで合点がいったよ。大ナマズか。そんな魔物が側を通れば嵐にもなる。いや、嵐程度ですんでよかった」
「だから船が襲われたんです――」
抗議の声をあげようとして、くらりと体がかたむく。
「嵐の中倒れていたんだ、熱を出して当然だ。今日はゆっくり休みなさい」
まだ話したりないのに体がいうことをきいてくれない。ただの嵐なんかじゃないのに。あの人は船に乗っていたみんなを助けてくれた恩人なのに。
「荷物は部屋の中に置いてあるから。無理はするんじゃないよ。いいね」
言いたいことはたくさんあるのに体どころか頭さえもうまくまわらず声が出せない。船医さんに強引に体をおしつけられて、その日は深い深い眠りについた。
オレのことは忘れていいよ。それがきっと正解だから。
巻き込んでごめんね。お詫びといってはなんだけど、今の君に役立ちそうなものをプレゼントするよ。
君に、海の恩恵のあらんことを――
どこかでそんな声を聞きながら。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めて一日目は起き上がるのにも苦労したけれど、二日もたつとさすがに体調も落ち着いてきた。
ベッドから起き上がって腕を大きくのばし軽いストレッチをする。屈伸をして深呼吸。うん、もう大丈夫そうだ。『もう少し休んでいていいよ』と言われたけど、動けるのにじっとしているのはもったいなかったから丁重にお断りした。家にいる頃に畑仕事を手伝っていたからかな。ばあちゃんやお父さんお母さんに感謝だ。
医務室のベッドまわりの掃除をして荷物を整えて船医さんにお礼を言ったあと元いた自室にもどる。部屋には簡素なベッドとその上に乗船時の荷物が置かれていた。
衣類とばあちゃんが作ってくれたお守りにその他もろもろ。海水で濡れてるんじゃないかと心配したけど中身は最低限の損害ですんだ。あと、水を含んだ布の包みがでてきた。包みには見覚えがある。お父さんから贈られたものを送り返さず渋々包んでおいたんだった。あれだけ揺れたんだ、壊れていても仕方ないよね。
今度手紙であやまろう、そう思って包みを広げてみると中には壊れたハリセンではなくまったく見覚えのないものが姿をあらわした。銀色の細い鎖が編み込まれた円状の飾り。つなぎ目に青の石がはめ込まれたそれは──
「腕輪?」
大きさ的にそう呼ぶに相応しいそれは、石の部分がきらめいてとても綺麗。でもわたしの持ち物ではない。身元がわかるようなものはないかとあたりをくまなく探してみると、包みから一枚の便せんがひらりと落ちた。
『昨日はありがとう。君のおかげで助かったよ』
綺麗な文字。間違いない、あの時のお兄さんだ。
『お父さんからの贈り物を壊してしまってごめん。お詫びと言っては何だけど、これはオレからの贈り物です。お守り代わりとして身につけてくれると嬉しいな』
そう言えば名前もまだ聞いてなかった。その事実に今更ながらに気づく。
船に乗っていろんな話をしたのに。もっと話を聞きたかった――
「どんな人だったっけ?」
記憶の糸をたどろうとして、はたと気づく。何かを話した記憶はある。でも何を? そもそもどんな容姿をしていた?
船に乗ったのは四日前。だから出会って話をしたのはそれ以降ってことになる。四日間くらいなら正確な把握はできなくてもおおよそのことは覚えられるはず。なのに、全てがあやふやで思い出せない。記憶力は人並みにはあるつもりだけど、出会った人のことに関することのみが思い出せない。まるで、見えない何かが彼という人物を切り離そうとしているみたい。
「男の人……だったよね」
口にして、思わず顔をしかめる。助けてもらった恩人の性別すらおぼろげだなんて、何を馬鹿なこと言ってるんだろう。
手紙には続きがあった。
『たぶん、この手紙を読んでるころにはオレのことを忘れてるだろう。それが普通の人間の反応だから気にやむことはないよ。それでも呼び名がほしいなら。そうだな。どこかの海のおにーさん、なんてどうかな。カッコいいだろ?
冗談はさておき。腕輪はオレと君のお父さんからの贈り物だから、お守りとして肌身離さず身につけていてほしい。詳しいことはおいおい話していくよ。
君に、海の恩恵のあらんことを』
忘れてしまうという事実が尋常ではないはずなのに、真面目なんだか不真面目なのかわからない内容の手紙だった。要約すると、この腕輪はわたしの持ち物ということでいいらしい。
「お守りなら仕方ないよね」
誰にともなくつぶやくと腕輪を腕にはめる。手首をひねると銀の鎖がしゃららと音をたてる。フィアナ大陸はすぐそこまできていた。
ところでこの腕輪。手紙に書いてあった通り文字通り『二人からのお守り』として大活躍してくれることになるのだけど、それはまた別のお話。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなこんなでなんとか無事に大陸へたどりつくことができた。お世話になった船の方々にお礼を言って、船から大地に足をつける。同じ海辺の街のはずなのに故郷とは違った潮の香りがした。
「ここがティル・ナ・ノーグ」
お父さんの生まれ故郷であり、これから医学を学ぶべき場所。お父さんはここから白花へ旅立ってたくさんの修行の末に今の仕事に就いて、お母さんと出会った。ならわたしは、この地で何を学びどんな人々と出会うのだろう。
と、感慨にふけっていても仕方ない。お母さんからもらった地図をたよりに歩みをすすめる。
お父さんはティル・ナ・ノーグの生まれ。白花に単身乗り込んできたもんだから、実家はお父さんの妹夫婦に任せてあるらしい。だからおばさん夫婦の家を拠点として学ぶべき場所を探せということ。せっかく根回ししてくれたんだし何よりも親戚にあいさつをするまたとない機会だ。まずはしっかり顔をあわせなくちゃ。
お土産も買っていったほうがいいのかな。故郷から持ってきたものは海水につかって駄目になってしまったし。でも現地で現地の物を買っても新鮮味がないし、そもそもお土産屋さんなんてどこにあるか知らない。
「あいたたたた……」
どうしたものかと頭を悩ませていると、男の人の声が耳に届く。あたりを見回すと小柄なおじいちゃんがうずくまっていた。
「大丈夫ですか?」
ティル・ナ・ノーグの言葉はシラハナにいるころに覚えた。
「なんとかの。おまえさんは?」
「旅の者です。白花から来ました」
実際に使うのは初めてだったから、聞き取りやすいようゆっくりと大きな声で話しかけてみる。
「ほう。はるばる遠いところから難儀な……あいたたたた」
言葉が通用するか心配したけどなんとか通じたみたいだった。銀色の髪に瞳は灰色がかった青緑。わたしより頭一つ分背は低い。右手には杖を携えているものの、もう片方の手で腰をとんとんたたいている。
「腰が痛いんですか? だったらどこかで休みましょう」
道端で休んでもいいけど、どうせならちゃんとした場所で休ませてあげたい。おじいちゃんの腰をさすりつつ辺りを見回して、一件のお店に目がとまる。そこには『海竜亭』とかかれた看板があった。
なんとかティル・ナ・ノーグに着きました。