小さなお客様 その3
「心配していたんだよ。ベル」
「大げさですわ。ただ散歩をしていただけですのに。ねえ? イオリ」
女の子の同意を求める声に、彼女と同じショコラ色の髪をした男の人の視線がわたしに向けられる。でも当のわたしはこの明らかに浮いた状況に挙動不審になっていた。
「宿泊した宿の従業員ですわ。わたくしを案内してくれましたの」
本当? と問いたげな視線にこくこくとうなずく。間違ってはいないし、やましいことは何もしていないのだけれど。場所が場所だけに緊張してしまう。
今、わたしがいるのは大都市ティル・ナ・ノーグの領主様の住居であり要塞でもあるお城──ブランネージュ城。言うなれば殿上人の住む場所だった。異国の出で一庶民のわたしがどうしてこんな場所にいるかというと。
「この子を送ってくれてありがとう。彼らは心配性でね。妹がいなくなったと大慌てで私にとりすがってきたんだよ。仮の捜索隊に頼んでも埒があかなかったし。君たちが来るのがもう少し遅かったら騎士団総出で本格的な捜索を命じるところだったよ」
優しげな声の主に安堵の声をもらす。朝、騎士達を見かけたというクレイアの声は正しかったんだ。一方で、もう少しで本当に大惨事になるところだったんだと背中を冷たい汗が流れた。
「テオドールもありがとう。助かったよ」
メリーベちゃんの隣にいた藍色の髪の男の人にねぎらいの声がかかる。テオドール・シャルデニー。これがわたしを少年呼ばわりし、メリーベちゃんの前に立ち塞がった──もとい、メリーベちゃんを捜しだそうとしてくれた男の人の名前だった。
メリーベちゃんを連れにきた騎士様だと言うことは後から知った。施療院でリオさんの名前を聞いた彼女が動揺したのは、シャルデニー家の名を通じて彼に、テオドールさんに城に連れ戻されると思ったから。同じ苗字ってことは、リオさんとテオドールさんは家族か親戚になるのかな。今度聞いてみよう。
「大事な客人をよく送り届けてくれたね。ティル・ナ・ノーグを支えし者として礼を言わせてほしい」
そしてにこやかな笑みと感謝の声をかけてくれたのは、赤いマントをまとった黒髪の気品漂う男の人で。ノイシュ・ルージュブランシュ・ティル・ナ・ノーグ。まごうことなきここ、ティル・ナ・ノーグの領主様だった。
ティル・ナ・ノーグ。常春の都。
アーガトラム王国(フィアナ大陸西部)東部の都市で、四方を堅固な城壁と海に囲まれた広大な街。交易の盛んな都市で、街には外国からの渡航者や、人間以外の様々な人種が入り乱れている。白花から大都市にやってくるのも一大決心だったのに、その街の一番偉い方と顔を合わせることになるなんて思ってもみなかった。さっきだって周りの人たちにならって礼の形をとろうとしたけど異国育ちの人間にはそんな所作なんかわかるはずもなくて、ただただうろたえるしかない。そんな姿に気にしなくていいんだよと領主様の赤い瞳が優しげに細められて。とりつくろうのも今さら無駄なので、初めてあった時から感じた疑問を口にした。
「メリーベちゃんは、一体何者なんですか?」
海沿いの宿にやってきた小さなお客様。可愛らしい容姿に居丈高な口調。かと思えば、世間知らずなところもあって、時折寂しげな表情を見せる女の子。
「メリーベルベル・ルル・フランボワーズ。ノイシュ様の親戚にあたる者ですわ」
質問に答えてくれたのは他ならぬ彼女自身。小さなお客様は、広大な街を束ねる領主様に連なる生粋のお嬢様だった。
「彼らは定期的にここ(ティル・ナ・ノーグ)に来てくれてね。話に夢中になっている間に彼女がいなくなってしまったんだ」
もっとも彼女に会うのは本当に久しぶりだけどねと、領主様が会話を引き継ぐ。
『お父さまが死んでしまいましたの』
お城へ向かう道の途中で彼女が話してくれた。今回の訪問は領主様に自分の父親が亡くなったことの報告。初めてみたメリーベちゃんの親族は二人のお兄さん。彼らは成人していて妹よりはるかに年上だった。きっと歳の離れた妹を祖国に残すことを心配してここまで連れてきたんだろう。
お兄さん達の気持ちはわかる。だけど、彼女の気持ちも考えてもみてほしい。
見ず知らずの場所にほとんど一人きりで。身内である兄弟は大切な話があるからと妹にずっとかまえるはずもなく。お父さんがいなくなって寂しかったんだろう。寂しさ半分、退屈半分で城をとび出してわたし達のところまで来たというわけだ。
『わたくしのことなんて誰も見てくれない。これからどうなっていくのかさえ誰も教えてくれない』
お店の帰りに言ったメリーベちゃんの呟きが今ならわかる。彼女は何事もなかったかのように背筋を伸ばしてお兄さん達に応じている。その姿がたくましくもあり、同時に痛々しくも見えた。
「それで、話は終わりましたの?」
お嬢様の問いかけに彼女のお兄さんたちがうなずきを返す。
「さっき終わったよ。今日は遅いから明日にでも帰路につこう」
「一人にさせてすまなかったな。でももう大丈夫だ。ベルも早く故郷に帰りたいだろう?」
「……もちろんですわ」
嬉しさと一抹の寂しさが重なった笑み。その中に強がりという感情も見え隠れしていて。
「君も本当にありがとう。後日あたらめて礼をさせてもらう──」
「待ってください!」
だからなんだろう。気づけば領主様達と女の子の前に立ち塞がってしまっていた。
「メリーベちゃん……お客様は、本日は当宿に宿泊すると承っております」
代金だってすでにもらっているし。
「ほんの少しだけでいいんです。もう少しだけ、宿に残ることはできないでしょうか」
しどろもどろになりながらも頭の中で必死に言い訳を探す。
「わたし、白花育ちなんです。異国からみたティル・ナ・ノーグ視点での観光も大事だと思うんです。わたしの故郷のこと、もっとたくさん話してあげたい。
もしかしたら今後の街の発展にも関わるかもしれませんし」
自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。だけど、やっぱりこの小さなお客様とこのままお別れするのはしのびない。
「もらった賃金分の仕事をしなきゃ、白花の流儀に反します!」
本当はそんな流儀なんてないけれど。このままじゃ絶対良くない。少しでも話をしたいし聞いてあげたい。ここ(ティル・ナ・ノーグ)に来たことを寂しい思い出だけにしてほしくない。そう思ってしまった。
「……わたしくも、シラハナの話を聞いてみたいですわ」
ふいに、女の子がぽつりとつぶやいた。
「知っていまして? シラハナにはハナビというものがあるんですって。お菓子のことは聞いたことはありますけど、そんなものがあるなんて初めて知りましたわ」
「はい。わたしの父親が作っているんです。わたしのお父さんはティル・ナ・ノーグ生まれで花火の技術を学ぶために単身白花へ渡ったんです」
「そうでしたの! ますます興味がわいてきましたわ」
「ですよね! 続きは夕食を食べてからにしましょう。一般市民の食事や生活を知ることもこれからの貴族にとって大切なことだと思います」
『だから──』
重なった二人の声に領主様が待ったをかける。優しそうな、それでいて楽しそうな笑みのかたわらには苦笑するメリーベちゃんのご兄弟の姿。
「今回はに何もしてあげられなかったからね。これくらいの我儘はきいてあげないとかな」
「明日の朝には戻ってくるんだよ」
こうしてわたし達は領主様たちに見送られて海沿いの宿にもどることになった。
領主様って想像していたよりもずっと若くて気さくな方だったんだな。わたしにとって領主様は『とにかく偉くて威厳があって雲の上の人』という印象しかなかった。でも実際は、言い方は悪いけど『落ち着きがあって優しくてかっこいい歳の離れたお兄さん』だった。あとから聞いた話だと領主様のご両親は今のわたしと同じくらいの歳にご両親を亡くされているらしい。それでもこの都市が繁栄し続けているのはノイシュ様あってのことなんだろう。
お父さんは領主様のこと知っているのかな。領主様に直接お会いしたって手紙に書いたらびっくりするかも。
「白花流で悪いんだけど」
呼び出したのは宿の『海鳥の羽休め』──の裏庭。経営者のおじいさん夫妻に事情を話すと二人はびっくりしていた。だけど、そういうことならと最後には了承してくれた。
「手紙をどうするんですの?」
準備したのは飾り気のない真っ白な封筒。宿で売ってあったものをわたしが買ってメリーベちゃんに手紙を書いてもらった。宛先は彼女の亡くなったお父さん。
「お焚き上げ……ってわかるかな? 火をくべることで言霊が昇華して天に届くって言われているの」
亡くなった人の魂は天に還り、長い年月を経て大地に再び降り立つ。ただ、命を費やした当人や残された者達の思いが強ければ強い、未練が残れば残っているほど、なかなか地におりたつことができないんだそうだ。だから残された者達は手紙や故人の愛用のものを用いて、火と祈りを通して声を天に届ける。心穏やかに、一日でも早く還れますようにと。
本来なら女王である姫巫女様かそうでなくても地域の巫女様が大々的にやることなんだけど。残念ながらわたしは白花生まれの田舎の一市民でしかない。だけど、真似事くらいならわかる。ティル・ナ・ノーグ流だと人の声がニーヴ様の元へたどり着くってことになるんだろうか。
「そんないい伝え聞いたことありませんわ。でも、仕方ないからつきあってあげてもよろしくてよ」
シラハナの話を聞きたいとお兄さまに言ってきましたものね。頬をふくらませつつも用意した焚き火の中に手紙の入った封筒を投げ入れる。
「再生の炎なんですのね」
ぱち、ぱち、ぱちと炎が弾ける音。本来は何千、それ以上の手紙が姫巫女様の力と炎によって天に届けられる。今やっていることはそれとは全然比べ物にならないけど。それでも真摯な気持ちは天にとど居ていると信じたい。
「お父様もいつかはこの大地に降りてくるのかしら」
消えゆく手紙の残骸を前に女の子がポツリとつぶやく。頬には涙のすじがあった。
「この地にいなくても。声はとどくのかしら」
「届くよ」
メリーベちゃんがお兄さん達と同じくらいお父さんを大好きだったこと。お父さんがいなくなって悲しくて、寂しくて、それでもがんばっていること。
頬をつたう涙を強引に拭ったあと、メリーベちゃんは炎に、天に声高らかに叫んだ。
「お父さま! わたくしは元気にやっていますわ。だから安心してそこで見守っていてくださいませ!!」
それがメリーベちゃんの本心。
それがメリーベちゃんが伝えたかったこと。
小さな炎を前に、雇われ従業員とお客様はずっと空を見上げてた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「世話になりましたわね」
帰りの際のメリーベちゃんの表情は清々しかった。
「イオリはまだこちら(ティル・ナ・ノーグ)に滞在しますの?」
「うん。まだまだ勉強中だから。こちらにいらした時はぜひ寄ってくださいね」
「考えてあげなくもないですわ」
相変わらずの高飛車だけど、なんだか憎めない表情はそのままで。世間で言うところのお嬢様がどう言うものかはわからないけど、こういう女の子ならそばにいてもいいのかな。
「ところでひとつ聞きたいのですけれど。あなた、朝露の君をご存知?」
「朝露の君?」
聞きなれない言葉におうむ返しに尋ねると、女の子はぽっと顔を赤らめる。
「ここへ来る途中、霧で道がわからなくなって途方にくれてしまいましたの。その時に水辺に――噴水のそばにいる殿方にお会いしたのですわ。声をかけても気づいてくださらなくて。ずっと朝日に向かって何かを掘っていらして」
「朝日に向かって」
「真摯な顔で芸術を作り上げる姿。『本当の殿方は黙して背中で語る』とはこのことを言うんですのね。いつの間にか彼の姿が陽に照らされて、そうしたら霧が一瞬で晴れていきましたの! こんなすばらしい出会いってあるのかしら!」
「えっと、メリーベちゃん?」
話が見えずに声をかけるも、興奮冷めやらぬまま彼女の話は続く。
「わたくし感動しましたわ。光る汗に眼鏡が輝いて。いいえ、あれは汗などではないもっと崇高なもの。
たとえるならそれは朝露。朝露の君ですわ。まるで彼の方こそ芸術を人型にしたような」
次々と出てくる賛辞の声になすすべもなく、聴く側としてはただただうなずくしかなかった。
「わたくしが帰ってきたら、彼の君のことを教えてくださいな」
そうだ。その方に手紙を書いてさしあげるのもいいですわね。完全に舞い上がっている金色の瞳は俗に言う、恋する乙女そのもので。
「よくわからないけど、もし見つけたらその人のところに連れて行ってあげるね」
「本当ですわね? 約束ですわよ!!」
おとものテオドールさんを引き連れて意気揚々と宿を後にする。こうしてわたしは小さなお客様とお別れした。
ちなみに、この件には後日談がある。
「お帰りなさい。イオリちゃんお手伝いありがとう」
宿の手伝いもひと段落してアルテニカ家にもどると、そこには用事を済ませて戻ってきたエリーさんと、同じく仕事を終えてテーブルに突っ伏す細工師見習いの男子がいた。眠いのか『ほら、イオリちゃんにも挨拶しなさい』という母親の声にも『んー』とうなるだけで反応がない。そういえば、昨日は朝早くから仕事で出かけていたんだっけ。
『朝日に向かって何かを彫り続けて──』
ふと、先刻別れた女の子の声が頭をよぎる。
「ユータって建物とかの修理の仕事もするの?」
「時々は」
ティル・ナ・ノーグの中央にある噴水広場。人が集まるだけあって周囲にはたくさんの彫像が飾られている。その中にユータスが師事する師匠や兄弟子の作品があるんだそうだ。彼自身の作品はないけれど、修理には時々駆り出されてるんだとか。
「昨日、噴水の修理をしていたなんてことは──、なんでもない」
いつかの工房での姿が頭をよぎる。黙々と作業に取り組んで時おり眼鏡をはずして汗をぬぐって。
「……まさかね」
そのまさかが本当だったこと、メリーベちゃんがいうところの『朝露の君』が後のわたしの相方だったことが発覚するのはそれから一年先のことになる。
またまた久しぶりの投稿になりました。
ちなみにメリーベちゃんことメリーベルベル・ルル・フランボワーズ嬢は加藤ほろ様より、
テオドール・シャルデニー様は香栄きーあ様、ジョアンヌ様より、
ノイシュ・ルージュブランシュ・ティル・ナ・ノーグ様はタチバナナツメ様よりお借りしました。




