小さなお客様 その2
お菓子を作るのもパンを作るのと一緒で仕込みが必要なの。店を開ける、商品を広げるためにはその分だけ早く起きて支度しなくちゃならない。あたしは日常のことだからさほど嫌でもないけど。で、そこで見かけたわけ。なにをって? 物々しい格好をした騎士様の御一行。複数の男女が朝から辺り一帯を歩き回っていたーー違うか。あれは捜索だね。人捜しの方。
慌ててるって感じかな。甲冑なんか着込んでたら目立ってしょうがないだろうに。朝早だったから気にしなかったのか、それともあえて目立つようにしていたのか。どちらにしても一庶民のあたし達にはあずかり知らないところさ。
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用事を終え友人から教えてもらった話を反芻しながらとぼとぼと歩く。
早朝から捜索をしていた騎士達。宿に急に現れた小さなお客様。偶然にはできすぎているし、そうだともそうでないだとも言い切れない。確かなのは。
「お菓子を食べることがあなたの用事でしたの?」
親御さんは心配していないの?
そのひとはぐっと飲み込んだ。どうみてもわけありなのに、素直に口にしてくれるとは思えない。そもそもさっきの一件で実証済みだ。
「お昼からお菓子なんていいご身分ですこと」
小さなお客様は、あまりものだからと友人からもらったお菓子の入った紙袋を手に口をとがらせている。気に入ったんですねと声をかければ『せっかくのいただきものを無下にするなんてレディーのすることではありませんわっ』と林檎菓子専門店の友人と似たような言い回しが返ってきた。よっぽどお気にめしたらしい。
「手紙を頼んでいたんです」
「手紙?」
小首をかしげた女の子に手紙を出すに至るまでの経緯をかいつまんで話す。医術を学ぶために白花から単身、船に乗ってやってきたこと。異国についてはじめは右も左もわからなかったけど今ではとあるつてで宿のお手伝いをしつつ施療院で勉強をさせてもらっていること。
「とは言っても、見習いの前の段階なんですけど」
正式にやとってもらえているわけではないし、ましてや見習いにすらなっていない。今はイレーネ先生の提案通りにユータスのお爺さま夫婦の宿(『海鳥の羽休め』と呼ばれている)で手伝いをするかたわら言われた課題を提出するのが精一杯。もどったら残りのレポートの見直しもしないと。
白花の実家に定期的に手紙を出すのがここ(ティル・ナ・ノーグ)へやってくるための条件。だから約束は守らないといけない。手紙を出すには配達員を介すのが条件で、メッセンジャーが定期的に立ち寄るのは人が集まる場所。だから買い物客がくるアフェール(林檎菓子専門店)に買い物のかたわら手紙を手配してもらえるよう言づてを頼んできた。
「……怖くはなかったんですの?」
ふいに女の子の足が止まる。
「見ず知らずの場所に一人でやってきて。あなたは怖くなかったんですの? わたくしは……こわい」
それは問いかけと言うより独白だった。
「急にみんな変わってしまって。大好きな者たちと離れ離れになって。
わたくしのことなんて誰も見てくれない。これからどうなっていくのかさえ誰も教えてくれない」
詳しいことはわからないけれど、これだけはわかる。
「でもこれくらい、どうってことないですわ! ……わたくしは、そこらへんにいる庶民とは違いますもの」
居丈高に見えて、端に見え隠れする寂しそうな瞳。今わかった。さっきみた表情はここ(ティル・ナ・ノーグ)へやってくる前の私自身と同じだったんだ。
「そこの少年」
感慨にふけっていたところで声をかけられる。
「なんでしょうか?」
少年という声かけに自然に反応してしまうところが我ながら悲しくなってくる。「そうだったんですの?」というお客様のまなざしには違いますと視線で返しておく。そういえばこの子、初対面でもわたしを男の子扱いしていなかった。偶然なのかな。
「人を捜している。心当たりはないか」
声の主は長身の男の人。まっすぐにのびた黒髪をゆるく一つに束ねている。顔立ちだけに注目すると女の人なのかなと思いもしたけど、これだけ長身だし声色から男の人なんだろう。
「どんな人を捜しているんですか? 特徴がわかれば」
「歳のころなら数えで10。ショコラ色の髪と金色の瞳をもつお方だ」
隣にいるお客様の容姿をあらためて注視してみる。二つに結わえたショコラ色の髪。瞳は星が煌めくような金色で。
つまりは──
「そう。おまえと共にいるようなーー」
「逃げよう!」
男の人が言い終わる前に。今度はわたしがお客様の手をつかまれて場を後にした。
異国からきたわたしだけど。やってきたばかりの女の子に比べれば土地勘はそれなりにある。宿へ直行したいところだったけど先回りされていたら分が悪すぎる。ここはひとまず身を隠すべきなんだろう。
「大丈夫?」
「これ、くらい、平気、ですわ!」
半分息をあげつつも気丈に返事をするメリーベちゃん。人に追われているというのはよくわかった。悪いことをして追いかけ回されているーーようには見えないけれど、やっぱりわけありのようだ。
さっきの人は誰? あなたは一体何者なの?
聞きたいことはたくさんあった。けれど、今は聞いてはいけないような気がした。
「さっきの質問の答えだけど」
だから息を整えて。避難先に選んだ場所を背に声をかける。
「怖くないといったら嘘になるけど、同じぶんだけ希望もあった」
これから先、どんなものと出会うのか。どんなことが学べるのか。ほぼ見ず知らずの土地だという事実は変わらないけれど、同じくらい胸を突き動かす何かがあったんだ。その感情の名前は希望。
「とは言っても、誰も見てくれないのなら一からはじめないとなんだけどね」
苦笑混じりに話すとメリーベちゃんはじっとこちらを見ていた。何か変なこと言ったかな?
「あなたは強いんですのね」
「そうでもないよ。一人でここ(宿)までやってきたメリーベちゃんの方がよっぽどすごいと思うよ」
気を抜いていたからかいつもの口調にもどってしまった。またお客様を怒らせてしまったかも。そう思って身構えていたけれど、杞憂に終わった。
「わたくしがすごいことなんて前から知ってますわ」
そっぽを向いて。耳がほんの少しだけ赤い。もしかして照れてる?
「……名前」
「え?」
「あなたの名前ですわ。人が名乗ったのならそちらも返すのが礼儀でしょう?」
そういえば『そこの』や『あなた』以外に呼ばれたことはなかったし自己紹介もまだだった。イオリ・ミヤモトですと伝えると、特別に覚えておいてさしあげますわというぼそぼそとした声が耳に届いた。
「いい加減つかれましたわ。どこに連れていこうとしているんですの?」
赤い顔のままで。意地っ張りなところもあるけれど、本当はいい子なんだな。
「それは──」
「おや。今日は提出の期限ではなかったはずだが」
お休みだったのか、門をはさんですぐそばにイレーネ先生がいた。
「散歩の途中でーー」
「には見えない」
ずばり言い当てられぐうの音もでない。それはそうだろう。走りまわったせいで息もたえだえ、服だって所々汚れているし疑ってくださいと言っているようなものだ。
わかっていてか、あえて気づかなかったことにしているのか。「せっかくだからついてきなさい」と先生はわたし達を案内してくれた。避難先は他でもない、わたしの学び屋のグラッツィア施療院。建物の中に入るとイレーネ先生だけではなく、リオさんまでもが出迎えてくれていた。
「散歩をしていて迷って転んでしまった……ということでいい?」
お茶を準備しながらリオさんが片目をつぶる。こういうところはやっぱり年上の男の人なんだなと感じさせられてしまう。
「そちらはイオリちゃんのお客様?」
「そうですわ。どこからどう見ても宿にやってきた超絶美少女なお嬢様ですわ!」
「……素性はだいたいわかったけど、面白いお客様ということにしておくよ」
いつか同じ応接室でみんなでお茶をいただく。友人のお店のアップルパイにクッキー、そしてここでは美味しいお茶。これだけ口にすると今日の夕飯はお腹には入らなさそうだ。
「『空に還りし慈愛』ですわね」
壁に飾ってあった壁画を見て。メリーベちゃんが漏らした声にイレーネ先生が感嘆の声をあげる。
「詳しいな。よくわかったね」
「ニーヴに見守られしソルナ(太陽の妖精)の陽の光が全ての生命を照らし、包み込む。医術を志す者にとっては欠かすことのできない存在を顕した絵だと聞いたことがありますわ」
わたしはこの前先生に聞くまでは知らなかった。ましてや壁画にそんな命題があったなんて。そう言うと、勉強不足ですわと鼻で笑われた。
「ごめんなさい。ティル・ナ・ノーグのこと(知識)はまだまだ勉強中なの」
何せ故郷の白花から来て数ヶ月しか経っていない。正確にはお父さんはここで生まれ育ったけど、わたしが生まれたのは白花だから現在進行形で異国の医学と文化を勉強していることになる。
「シラハナって国からやってきたと言ってましたわよね。ここ(アガートラム王国)とは違って女王が治めていると言うのは本当ですの?」
興味津々の金色のまなざしに首肯する。正確には代々の女王──姫巫女様がだけど。一庶民のわたしはうわさ話程度にしか聞いたことがないし、本物のお姫様には一度もお目にかかったことはない。
「イオリは故郷に帰りたいとは思いませんの?」
出されたお茶に口をつけながらメリーベちゃんがつぶやく。
「時々は思うけど。やりたいことがあるって飛び出してきちゃったから。だから、自分でいいと思うまでは帰らないし帰れないかな」
「わたくしとは違うのですね」
そう言った彼女の顔は今までよりずっと大人びて見える。はじめはお嬢様のお忍びの観光だと思ってた。何かしらの意図があったとしても、まだ小さいんだ。遊びまわりたい年頃だろうし。でも実際の彼女の現実は想像よりもはるかにきびしいものだった。
「お兄さまに連れられてここ(ティル・ナ・ノーグ)まできましたの。でもお兄さまはわたくしを差し置いて要人と話してばかり。
仕方ないから『ほんの少しだけ羽を伸ばしてきます』という置き手紙を残してここまで来たのですわ」
あっけらかんという女の子に絶句してしまう。それってかなりの大事になるんじゃないのかな。だとしたら、さっき声をかけてきた男の人って。
「お兄様もわたくしがいない方が安心してお話できるでしょうし」
そう言った女の子の横顔は年相応に寂しそうで。もしかしたら、この子は大人びているぶん、大変な目にも遭ってきたのかも。
「メリーベちゃんはお兄さんが嫌いなの?」
「そんなはずありませんわ! あんなに素敵な男の方、世界中どこをどう見てもいるわけないですわ」
寂しそうな表情をころっと変えて。眉をつり上げて詰め寄ってくる様子に思わずたじろいでしまう。少なくとも彼女はお兄さんが大好きなんだろう。そして、これは推測だけど。
「理由はわからないけど、お兄さんはメリーベちゃんが大好きだからここに連れてきたんじゃないのかな」
「意味がわかりませんわ」
「ごめんなさい。うまく言えないんだけど──」
「あんまり意地をはっていると、あとで自分が後悔するよ」
わたしの言葉を引き継いで、リオさんが応じてくれた。
「わたくしはイオリと話をしているんですの。そこの従業員は口をはさまないでくださる?」
眉をひそめた来客者に、口を挟む権利くらいもらえないかなと従業員は苦笑した。
「まずははじめまして。俺の名前はリオ。シャルデニー家の者と言った方がわかりやすい?」
リオさんのあいさつにメリーベちゃんががたっと立ち上がる。先刻のように走り出してしまいそうな勢いの彼女に「俺はしがない従業員だから何も聞かない。聞かないけど、これは独り言だと思って聞いてくれないかな」そうたしなめつつリオさんは口を開いた。
とある村で、子どもは普通に暮らしていた。どこの国でもあるような村。目新しいものはないけれど友達もいて、家族もいて。日が昇ると同時に起きて畑を耕して、日が沈むと同時にご飯を食べて眠りにつく。
だけど、とある出来事があって子どもの『普通』はあっけなく奪われた。もっと一緒にいたかった。もっと一緒に笑ってたかった。もっとたくさんのことをみんなで見て、感じて、伝えたかったんだ。
けれど、どんなに願っても、どうにもならないことがあるって。理不尽という言葉を子どもは嫌というほど思い知らされて、ただただ泣くしかなかった。
一生分の悲しみを流し終えて。子どもが出した結論は『途方に暮れるのはもうやめよう』だった。色々思うことはあるけれど、そいつはほんの少しだけ前を向くようになったよ。嘆いていても、いなくなってしまった人達は帰ってこないし悲しむと思ったから。そうしたら、ほんの少しだけ世界が変わって見えた。
「唐突な話だな。それは何かの寓話? それとも──」
イレーネ先生の声にご想像にお任せしますとリオさんは空になったカップを片付けつつ応じた。メリーベちゃんもだけど、リオさんにも何か事情があるのかもしれない。
今のお話とメリーベちゃんの状況がどうつながるのかはわからないけど。今のままではよくないということだけはわかった。
「伝えるって大切なことだと思うから。もし言いづらいのなら、わたしみたいに手紙を書いてみたらどうかな」
だから、わたしなりの解決策を提案してみる。
「手紙を書くと何かいいことが起こりますの?」
起こるかはわからないけれど。家族との約束だから。
「今日一日であったこととか。いいこととか悪いこととか全部。たくさん伝えたら何かが返ってくるんじゃないかな」
「それはあなたの想像でしょう? いいかげんにもほどがありますわ」
確かに想像にすぎないけど。でも当たっているぶんもあるんじゃないかな。そう思った。
一見すると高飛車で、でも可愛くて寂しげな表情も見せて。ご兄弟には会ったことはないけれど、大切にされていなければこのようないでたちの女の子とは出会わなかっただろう。
「仕方ないですわね」
ふんと鼻をならすと女の子──メリーベちゃんは告げる。
「着いてきなさい。最後まで見送りをするのが宿の従業員の役目ではなくて?」
女の子らしい、可愛い命令に笑ってはいとうなずいた。
メリーベちゃん、書いてて楽しいし可愛いです。リオさんもなんだかんだでいつもお世話になってます(深々)。




