小さなお客様 その1
「ちょっと、そこの」
声をかけられたのは掃除をしている最中で。
「そこの黒髪のあなたですわ」
周りを見回してみる。あたりにいるのは宿の従業員さんと、わたしくらい。その中で黒髪なのはわたしだけだ。
「わたしですか?」
確認をかねて首をかしげると「あなた以外に誰がいますの」と形のいい眉がつり上がる。いいから来なさいと手首をつかまれて。初対面なのに強気な原動の主は、わたしの腰より少し上くらいの背丈をした可愛い女の子だった。
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「悪いけど、父の家に届けものをお願いできるかしら」
起床して台所に向かうと、手荷物とともにエリーさんに申し訳なさそうにそう頼まれた。父というのはユータスのお母さんであるエリーさんの実のお父様のことで、アルテニカ家の近くで宿を経営している。居候させてもらっているお礼も兼ねてわたし自身が度々手伝いに行くこともあるけど、今日は用事があるからとあらかじめ断っていた。今日はエリーさんが宿の手伝いをまかされていたけれど、急な用事で都合がつかなくなったらしい。
「身内に頼めばいいんでしょうけどニナとウィルは出かけてしまったの。もう一人は仕事中だし、頼んでもああでしょう?」
もう一人とは言わずもがな。その彼は今朝早くに仕事があると工房へ出かけて行ってしまった。確かに掃除はできたとしても、人と接する業務は難しそうだ。もっともわたしだって接客業ができているとは言いにくいけど。
「これから知り合いのところへ向かわなきゃならないの。ほんの少しの間でいいから引き受けてもらえるかしら」
用事とは言っても、わたしの場合は散歩と遊びも兼ねてるし時間の調整もつく。そもそも居候させてもらっている身だし断る理由もないので二つ返事で引き受けた。
そして。
「いつも助かるよ」
すっかり顔馴染みになってしまったエリーさんのご両親──ニナちゃんとウィルくんの祖父母が経営している宿は本当に歩いてすぐのところにある──と共にフロアの掃除にとりかかる。
「あやつはどうしているかの。近頃まったく顔を見せてもらえんでの」
頼まれていた荷物を手渡してやったのは古びた椅子を別室に運ぶこと。主人であるユータスのお爺さまが腰を悪くしてしまい、代わりになる従業員さんも今日はお休みだったらしい。それならば大々的に宿の掃除をしようとエリーさんに手伝いに来てもらう予定だったけれど、代わりにわたしがかりだされることになったわけだ。
「ユータ……ユータスさんのこと、気になるんですか?」
故郷では畑仕事を手伝っていたし、人並みの足腰や体力には自信がある。椅子を抱えながらお爺さまに聞くと、そっぽを向きつつこんな声が返ってきた。
「なんだかんだで可愛い孫だからの」
なんだ。しっかり愛されてるんだな。
なんだかホッとすると同時に嬉しくなってしまった。顔見知りが大切にされてると知ると、それこそなんだかんだで心がほっこりする。どうしてかはわからないけど。
「小さいころから細工師の修行をしているなんてすごいと思います」
脳裏に浮かぶのは先日の工房での横顔。いつもと違う真剣な表情に声をかけることすらできなかった。悔しいけど、あの時の彼を見て負けたくないと思ってしまった。そのためにも、わたしもちゃんと見習って勉強しないといけない。
「終わりました。せっかくですし玄関前もお掃除しましょうか?」
全ての椅子を二階に運び終わっって軽く腰をたたく。実家にいた頃の畑仕事に比べれば掃除なんてどうってことない。幸い当初の予定は遅くなっても差し支えないし、せっかくだから外まわりも綺麗にしておこう。
「本当に悪いの。それじゃあ──」
「どなたかいませんの?」
──そして、冒頭に至る。
「ここは宿であってますのよね」
可愛い声とともに現れたのは長い髪を高い位置で二つに結えた女の子。見た感じだとニナちゃんくらいの年になるのかな?
「宿ならば、今から宿泊することも可能ですわね」
こちらの視線には目もくれず唇に人差し指を軽くあてぶつぶつとつぶやいている。なのでみかねた主人──ユータスのお爺さまが代わりに対応してくれた。
「部屋は空いておりますが、どなたかお連れの方はおありで?」
「宿泊の手続きくらい一人で充分ですわ。わたくしをだれだと思ってますの?」
反応はあったものの、瞳をカッと見開き堂々と名乗りを上げる。ずいぶんと、威丈高な──大人びたお客様だった。
「宿泊ですね。ではここに記帳をお願いします」
ユータスのお婆さまが記帳用の台紙を広げ女の子の目前に差し出す。うながされるまま女の子はペンを片手に自分の名前を書こうとして。
「名前は結構。その代わり、見合った分の金額を払いますわ。これでよろしくて?」
刺繍の入った小袋からじゃらじゃらと取り出されたのは複数の銀貨。経営者夫婦が中身を確かめて本物だと確認して。確か銀貨一枚で一人分の食事をしておつりがくるって聞いてた。これだけの量になると相当な額になるんじゃ。
「こんな大金いただけませんよ」
お爺さまが慌てて返そうとしても女の子は頑なに拒否する。いいから受け取りなさい、その代わりこのことは内密にと。しばらくはそのやりとりの繰り返しで。どうやら小さなお客様は訳ありのようだ。
「じゃあ、記帳はよろしいですからお名前だけでも教えていただければ」
フルネームではなくても結構ですから。そういったご主人に。
「……メリーベですわ」
女の子はそっぽを向いたままつぶやいた。
「メリーベちゃん。可愛い名前ですね」
「メリーベ様ですわ!! ここの従業員は接遇がなってないのではなくて?」
ふともれてしまったわたしの声に憤然として声をあげるお客様。これは失礼しましたと頭を下げるとこれからは気をつけなさいという声が反ってきた。腰に両手をあててふんぞりかえっている仕草には、腹だたしさよりも容姿とあいまって可愛らしささえ感じてしまう。同世代なのにニナちゃんともウィルくんとも違う。子どもっていろんなタイプがいるんだなあ。
「何をじろじろ見ていますの。失礼ですわ」
形のいい眉がきっと吊り上がる。確かに見つめ続けるのはよくなさそうだ。
「失礼しました。荷物を運びますのでどうぞこちらへ」
「荷物などありませんわ」
宿の従業員よろしく荷物を荷車に乗せようとして、受け取ろうとした手が止まった。
「ないんですか?」
「身ひとつで充分ですわ。それともおまえはお客様に向かってそんなことも詰問しますの? 従業員としての態度がなっていないんじゃなくて」
お金ならありますわと今度はさっきの倍以上の金貨を広げられて。ちなみに金貨は決して子どもが持っていていい金額ではないということは、ここ(ティル・ナ・ノーグ)にいる住人、子どもなら誰でもわかる。そして予想通り、こっちも紛れもない本物だった。
身ひとつで宿にやってきた身なりのいい女の子。どうやらとても訳ありのようで。
「どうしようかねえ。迷子かい?」
「そうかも知れません」
小さなお客様を客室に案内して、宿の従業員全員で作戦会議。とは言っても今日は開店休業日の状態だったから、宿の主人であるユータスのお爺さま夫婦とわたしの三人になってしまう。
「お役人様にでも伝えてお連れしてもらうかい?」
「一人だと何かあった時色々大変だろうしねえ」
確かにそれが最善策なんだろう。だけど、わたしにはそれが一番とは思えなかった。居丈高に見えて、端に見え隠れする寂しそうな瞳。その表情をどこかで見たような気がしたから。しかも、そんなに遠くない日だったような気がする。
あれはいつだったんだろう。確か──
「あの。よかったらなんですけど」
だから。気づいたら全く別の提案をしていた。
「それでここに来たんだ」
わたしとメリーベちゃんはクレイアが働く洋菓子店に来ていた。正確にはお店の一角なんだけど。
「私のおごりだから遠慮なく食べてね」
理由はなんであれ一人だと心細いだろうな。そう思ってとった行動は小さなお客様を外へ連れ出すこと。初めての場所だと危ないし、顔見知りと言えばこことすっかり顔馴染みになった藤の湯、あとはお世話になってる施療院くらいしかない。『どうしてわたくしが庶民の散歩に付き合わなければなりませんの』と言われれば『私事で恐縮ですが大事な要件があるのでほんの少しだけお時間を割いていただきたい。宿には高齢な夫婦しかいないし大切なお客様を一人にさせるわけにはいかない。見聞を広げるためにもお客様にはぜひご覧になっていただきたい』と本心半分、口実半分で強引に納得してもらった。
お金は宿でお手伝いをしている時にお小遣い程度の額をもらっていたので問題なし。女の子、特に小さな子なら甘いものが好きかなと思って案内したんだけど、メリーベちゃんは髪の毛と同じショコラ色の眉を再びつり上げた。
「持ち合わせくらいありますわ。レディーを甘くみないでくださる?」
「うちの商品は貴族にも通用すると自負してるよ。それに相手の顔を立てることも立派な淑女のふるまいになるんじゃない?」
さすがクレイア。接客業をしているだけあって対応が慣れてる。女の子はあー、うー、と小さく唸ったあと、ここはあなたの顔をたててさしあげますわとフォークを手にした。
「はい。紅茶はサービスね」
作業着姿のクレイアが洋菓子ののったお皿をテーブルに広げる。ちなみに友人に前もって払ったのは二人分で銅貨2枚。これが軽食をする時の通常の金額だから目の前の女の子の世間知らずっぷりがよくわかる。
「黄金林檎のアップルパイ。そんじょそこらのパイとはわけが違うよ。お嬢様はご存じない?」
「これくらい知っていますわ!」
意気込んでナイフとフォークでパイを丁寧に切り分けたあと、パクっとかけらを口に運ぶ。
「……おいしい」
その後は二口、三口と食がすすんで。
「異国の文化を嗜むのも悪くないですわね」
そう言った女の子の表情は初めて声をかけられた時よりもずっとほころんでいた。
「で。結局このお嬢様はどこの誰なんだろうね」
お客様に続いてアップルパイに舌鼓をうっていると友人がつぶやいた。
「身なりからするに、庶民ではないよね。お供の一人もつけないで、さらってくれって言ってるようなもんだよ」
友人の言う通りだった。ショコラ色の髪は綺麗な素材のリボンで二つに結えられ、身につけているのはフリルのついた可愛らしいワンピース。ティル・ナ・ノーグは決して治安の悪いところではないけれど、それでもこの格好で一人で出歩いていれば何か良くないことに遭遇してしまう可能性だってある。
「人に隠れてこそこそ何をお話していますの。わたくしは『お嬢様』なんて名前ではありません。わたくしを知らないなんて失礼千万ですわ! わたくしにはちゃんとした名前が──」
「じゃあお嬢様は、なんて名前なの?」
クレイアが問いかけると、メリーベちゃんは口を閉ざしてしまった。無言で残りのパイと紅茶を口に運んで。こうなるととりつくしまもない。
「余計なこと言ったかな」
「そんなことないよ。ありがとう」
苦笑する友人に首を横にふる。お菓子を食べさせてあげられただけでも充分な成果だし。
「それで、この後どうするの?」
「周りを散策してみようと思う」
それこそ初めて来たころのわたしのように。ジャジャじいちゃんに会って、いろんな人と出会って。限られた時間だったとしてもちょっとした思い出くらいは作ってあげたい。最終的には宿にもどってそれこそお役人様に相談してもいいのかもしれないし。
「だったら、それこそ街の領主様にでも聞いてみたら?」
確かにそれは名案だけど。一介の市民が領主様にお目にかかるなんてことはそうそうできない。ツテでもあれば別だけど異国人のわたしと顔見知りの人なんて限られてるし。
「もしくは人が多く集まるところに行ってみるとか? そういえば、今朝このあたりを騎士様が歩いていたよ」
「騎士様が?」
今度はわたしが首をかしげる番だった。
本当に久しぶりの投稿です。少しずつ執筆できれば……!