工房にて その2
ユータス=アルテニカ。わたしが異国で知り合った同世代の男子。
初めて出会った時も『ちがう』って言われて。そもそも何が違ったのか全くわからなかったんだけど。確かペルシェって魚みたいな生物に関係するんだったっけ。また今度くわしく聞いてみよう。
不真面目ということはないけど、いたって真面目にちがう方向に突き進んでいるというか。みもふたもなく言えば、頼りないというか始終ぼんやりしているというか。今まではそんな印象をもっていた。
だから。
「……ちゃんと仕事できるんだ」
素直な感想が唇からもれてしまった。ものすごく失礼なことを言ってしまったことに気づいたのは後のことで。けれども言われた相手は聞こえてないかのように──実際、作業に夢中で聞こえてないんだろう、真剣な表情で手元を動かすことだけに神経を注いでいる。
危険を要する作業なんだろうか。肘から手の甲までを指先の空いた革製の手袋で覆っていて、手袋からのぞいた指先がかちゃかちゃと器用な音を紡ぐ。暑いのか眼鏡をはずして額から流れ出る汗を手袋ごと手の甲でぬぐって。二、三度かぶりをふった後、作業用の机に置いてあった品物をじっと見つめ眼鏡をはめなおし再度作業にとりりかかる。
「あれは無理だな。しばらくは私たちの声も耳に入らない」
カルファーさん曰く、普段がぼんやりしているぶん一度スイッチが入ってしまうと集中しすぎるあまり他のことが全く手につかなくなるんだそうだ。
「やっぱり帰る!」
しびれをきらしたニナちゃんが弟の手をひいて部屋を出ようとする。男の人の集団、特に匂いは女の子には刺激が強すぎたらしい。
「姉ちゃんが心配だからオレもついてくけど、イオリ姉ちゃんはどうする?」
こっちも退屈になったのか弟のウィルくんも姉のあとに続こうとする。本来なら部外者のわたしも早々に立ち去るべきなんだろう。
だけど。
「もう少し残ろうかな」
単純に興味があった。一つ屋根の下で暮らす男子がどんなものを作りあげるのか。滴る汗を拭いひとつのことに没頭する彼の姿に不覚にも──目を奪われてしまったから。ここに残っていても意味がないのはわかっていたけれど。もう少しだけ残っていたい。彼の作りあげるものを自分の目で見てみたい。そう思ってしまった。
「じゃあイオリちゃん、悪いけど先に帰るね。みなさんにはこちらをどうぞ」
紙袋に入ったクッキーをニナちゃんが手渡すと、ありがたくいただくよとカルファーさんがさんが笑顔で応対してくれた。
「安心して。姉ちゃんが作ったものは入ってないから」
ニナちゃんの背後にいたウィルくんが気になるセリフを口にする。どういう意味かと尋ねる前にアルテニカ家の兄弟は長男を残して足早に去っていってしまった。残されたのはお弁当が入った手提げカゴと水筒のみ。さてどうしたものかと考えあぐねていると、せっかくですしみんなでいただきましょうかとカルファーさんが提案してくれた。
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「ここは、僧帽筋」
「じゃあ、ここは?」
「上腕二頭筋。間にあるのは三角筋になります」
「ちゃんとわかってるじゃないか。坊──じゃない、嬢ちゃん、やればできる!」
ユータスさんを待っている間、わたしはなぜか彼の兄弟子であるライアンさんと勉強をすることになった。
クッキーは大量に用意されていたから工房の広間においてユータスさんの兄弟子さんにも食べてもらうことになって。その際にたまたま広間を通りがかったライアンさんがクッキーに気づき、なおかつたまたま持って来ていた解剖学の本に惹きつけられこちらに近づいてきた。なんでも依頼がたてこんでいてちゃんとした食事がとれていなかったらしい。もともと工房の皆さんでと用意した食事の大半は彼の胃袋におさまってしまった。それにしても、さっき坊主って言おうとしましたよね。
ライアンさんはユータスさんと同じ職人のはずなのに、居候先の男子はもちろん他の工房の面々、一般的なそれとかけ離れている。体格だけ見れば職人というより戦士のようないでたちで、どちらかというとわたしのお父さんに近い感じかも。後からカルファーさんに聞いたけど実は硝子職人なんだそうだ。
「筋肉はいいぞ。骨格にちゃんとした筋肉が乗ってこそ完璧な人体ってもんが出来あがる」
いつかの施療院のリオさんのような話をされて曖昧にうなずく。わたしは何をしているんだろう。延々と筋肉講義を受け、でも確かに覚えるには役に立ちそうだからと相槌をうっていたらあっという間に時間がたってしまった。そもそも硝子職人と筋肉って関係があるんだろうか。
「じゃあ、ここは、こんな感じになっているんですね」
解剖学の本と一緒に持ってきていたノートに言われたことを書き出してみると、ライアンさんは軽く目を見はった。
「へえ。嬢ちゃんは絵もかけるんだな」
子どもの頃は体が弱かったから遊び半分で渡されたスケッチブックに目に見えるもの全てを描き連ねていた。子どもの頃からの習慣だったから上手下手はわからない。でも文字なり絵なりかき写すことで頭の中が整理しやすくなってくる。ちなみに薬の本も簡単な植物の絵を書きながら内容を頭に詰めこんでいる。
「どうだ? 細工師をやってみるってのは」
「冗談はやめてください」
わたしは医学を学ぶためにティル・ナ・ノーグにやってきたのであって、細工師になるために来たんじゃない。そりゃあ、絵を書くことは好きだし工房の仕事には興味があるけれど、それだって趣味の範疇だ。
「そう冗談でもないぜ? これだけ絵が描けりゃ大したもんだ。なんだったら設計図でもかいてみりゃいい」
頭の中で想像、創造したものを紙にかき写すだけだ。続けて言われた言葉にそれも一理あるかと頷きかけてしまった。確かにかきだすことで頭の中がすっきりするし記憶の定着にもなる。
「それはいい案かもしれないね」
冗談のはずがカルファーさんまで相づちをうってくる。絵を描くことは好きだけどそれとこれとは別問題ですと伝えると、それは残念と肩をすくめられた。
あらかたの人体の筋肉の図を書き終えた後、さすがに一区切りついただろと腰をあげたライアンさん、カルファーさんとともに再びユータスさんのいる部屋にもどることにした。
「「「まだやってたのか」」」
わたし、カルファーさん、ライアンさんの声がみごとに重なる。ユータスさんの兄弟子さん達とクッキーをつまみつつ解剖学の勉強をしてもどってきたからそれなりの時間はたっているはずなのに。部屋の主は先刻とまったく変わらぬ姿勢で黙々と作業を続けていた。
「仕事中毒もほどほどにしとけよ」
ため息交じりの兄弟子の声にも耳をかさず、さっきと変わらない真摯な表情で黙々と作業を続ける。
普段はぼんやりしていたとしても、彼が真剣に仕事をしているのは事実。わたしはまだ異国に来たばかりで、住むところだってようやく決まったばかり。好意に甘えてばかりの自分に、黙々と仕事をこなす同世代の男子。異国につけばどうにかなると思っていたわけじゃないけど、なんというか、現実を見せつけられたという感じ。
はじめは大丈夫なのかなと心配したけれど、相手の心配ができるほどの場所にわたしは立つことすらできていない。その事実がふいに胸をしめつけた。
「ライアンさん? どうしたんですか──」
人の気配に気付いたのか、彼は顔だけふりかえって。
「どうしてここに?」
そこでようやく。意識が仕事からわたしの方に向けられた。工房に職人以外の人間がいるんだ。不思議に思って当然だよね。
「頼まれて持ってきたの」
エリーさんにが作ってくれた昼食の入ったかごを手渡すと、『ん』と受け取った後、作業台の机の上に置いた。伸びをした後に、椅子に座り、手を握って閉じてを繰り返した後、作業を続けるんだろう。再び工具を手に体をかがめ──
「ユータス、それはお客様に対して失礼なんじゃないか?」
ようとしたところで、非難めいた声に中断される。声の主は言うまでもなくカルファーさんだ。
「せっかくここまで昼食を運んでくれたんだ。冷めないうちに食べなさい」
「でも」
なおもしぶるユータスさんに、依頼人も依頼の品も食事をとるくらいの猶予はちゃんとくれるぞと追い討ちをかけるカルファーさん。圧に屈したのか居候先の男子はのろのろと椅子から立ち上がった。
「ユータスさんは朝からずっと仕事をしていたんですか?」
サンドイッチに口をつけながら、彼は首を縦にふる。男二人と女一人に囲まれて黙々とサンドイッチを食べる姿は異様だった。『やっぱり帰る!』とニナちゃんが途中で逃げ出したのもうなずける。
「あんたのほうは? 施療院に行かなくてよかったの?」
「今日は施療院も宿もお休みだったから──」
「まさかと思うけど、家でも『あんた』とかましてや名前を覚えていない、なんて言わないだろうね」
カルファーさんの声に、ライアンさんの片眉がピクリと上がった。と、同時にユータスさんの肩もぴくりと動く。
「見ず知らずならともかく、聞けば倒れていたところを助けてもらったそうじゃないか。今日だってわざわざ食事を届けにきてくれたのに、さっきの態度といい失礼にもほどがあるだろ」
ユータスさんの間柄は食事の際にかいつまんで話していた。正確には草むらで出会って結果的にお星様にして自宅まで送り届けたんだけど。
「えーと」
知り合って半月はたつし日常的にとは言わなくても顔はそれなりに合わせている。まさかと思うけど、本当に名前もわからないようだったら怒るし落ちこむ。
結果的には最悪の事態にはならなかった。けれど。
「……イオリ?」
呼び捨てだった。小首をかしげる仕草が不安を感じさせる。
「そういえば嬢ちゃんはこいつのことなんて呼んでるんだ?」
ライアンさんの声に今度はこっちが小首をかしげてしまう。ユータス・アルテニカさんという名前はわかる。でも、アルテニカさんだと家の誰のことを言ってるのかわかりづらいし、ユータスさんとは呼んでいるものの、正直違和感があった。
ダークグリーンの瞳と薄茶色の髪。それを聞いて連想させるものはわたしにとってひとつしかない。小さい頃からずっと一緒にいてくれた、わたしの友達。わたしの相棒。その子の名前は。
「……ユウタ?」
「ん」
また実家の愛犬の名前を口にしてしまった。なのに呼ばれた方にも違和感なくうなずかれてしまった。
「ちがうんです。いきなり変な呼び方してしまってごめんなさい。これには、その」
「『ユータ』じゃないの?」
「いつもはユータスさん、なんですけど。たまたま家で飼っていた犬の名前と同じで、つい」
「オレはどちらでもいい」
慌てて取り繕おうとした自分と呼ばれた相手の声が重なる。呼び捨てどころか愛称(しかも犬)呼びになってしまったことにまったくこれっぽっちも気にしてないようで。なんだかあたふたしていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「……じゃあ、ユータで」
「わかった」
とっさの呼び名がこれから先も定着していくとは当時は思ってもみなかった。
そんなこんなで日も暮れて、わたしとユータスさん──ユータは帰路についた。「まだ途中だから」という彼の訴えも「休むのも仕事。いいから帰りなさい」というカルファーさんの凄みのある声にかき消されてしまったからだ。工房の主は彼のお父さんらしいけど、実質彼が工房をきりもりしてるんだろうな。
「イオリさんさえ良かったら、時々ここ(工房)に顔をのぞかせてくれると嬉しい」
帰り際、カルファーさんにそんなことを言われた。
「ユータスには才能がある。だけど、あの通りそれ以外のことには無頓着というか──、からっきしなんだ」
それはなんとなくわかる。さしずめユータスの管理係と言ったところか。
「君のためになるかもしれないしね。一つのことに集中しているとそのうち周りが見えなくなる。お互い息抜きは必要だろう?」
言っていることはよくわからないけれど、年長者のアドバイスということで胸に留めておくことにした。
「ユータ」
今日使った呼称をさっそく唇にのせると、言われた相手は拒絶することなく『ん』とだけつぶやいた。
「ユータはすごいんだね」
「別にすごくない。同じことを繰り返していていたらこうなっただけだ」
それだって、充分すごいよ。年齢はさほど変わらないはずなのに、現実はこんなにもかけ離れている。
「そういえば、『菓子美味かった。ごちそうさま』って声が聞こえたんだけど」
工房を出る前に耳に届いた声。だれだろうとふりかえれば緑の濃淡で彩られた迷彩柄の何かが視界にうつって。よく考えるとあれはそう、仮面だった。
「ブルードさんだろ。あの人、対人恐怖症だから」
「……そうなんだ」
なんでも腕は一流なのに納期に追われ続けてあのような姿になってしまったらしい。工房って一筋縄ではいかない人たちの集まりなんだな。実家のことも言えないけど。
「修行をして、一人前になって。いつかは自分の工房を持つの?」
いつか彼自身に聞かれた質問を口にする。なかなか返事がないのでどうしたんだろうと後ろを振り向くと彼はずっと後ろの方にいた。
「ユータ?」
「わからない」
これまたいつかのわたしと全く同じ台詞で。弟子というからには最終的に行き着くのはそこじゃないのか。なのに彼は迷っている。迷ってはいるけど、先に進むために黙々と目の前のことに全力をつくす。一歩ずつゆっくりと。未来への階段をのぼるために。
実は似たもの同士なのかも。そう思うと少しだけ親近感がわいた。
それと同時に。
「わたし、負けないから」
決意を告げて、先にいくねと足早に工房を後にした。
負けたくない。
この日、わたしに新たな目標ができた。
「……何に?」
彼のつぶやきは聞かなかったことにする。