おいでませ藤の湯へ その2
「目の前がチカチカする」
飛ばされた彼は本当にお星様になってしまっていたようだ。
「見た目が派手だったわりには怪我してないのな。嬢ちゃんのコントロールがいいのかそっちのがよっぽど鍛えてるんだか」
そのあたりはわたしにもわかりません。いつか海のおにーさんに会うことが出来たら伝えておきますとソハヤさんに伝えていると、頭を押さえながらユータスさんがつぶやいた。
「派手って、オレなにかされたのか?」
まだ現状がわかってないらしい。目は覚めましたかと半分嫌味を交えて言うと、彼は「ん」と床に落ちていた眼鏡をひろってはめなおした。体もだけど、真っ先に壊れてそうな眼鏡だって傷ひとつついていない。実はひそかに体を鍛えていたりするんだろうか。さっきのソハヤさんのセリフじゃないけど目の前の男子はただのひょろ長い人ではなさそうだ。
「それで、ここはどこなんだ?」
「藤の湯ですよ。良かったら入っていってください」
お茶をさし出しながらトモエさんが口にする。
「入りたいのはやまやまなんですが、わたし達、持ち合わせがないんです」
半分散歩のつもりだったから持ち合わせなんてほとんどない。ユータスさんだって財布を持っているようには見えなかった。温泉自体には興味があるけれど、さっき琥珀をいただいたばかりだし続けて好意に甘えるのも申し訳なさすぎる。そう思っていると、ついてきなとソハヤさんに視線でうながされた。
ほどなくしてついた場所は。
「これなら文句ないだろ」
「さすが店長! これが『粋』っていうものなんですね」
パティさんの感嘆の声を聞きながら着ていたズボンを膝上までまくって足をひたす。完全に体を湯につけたわけじゃないのに芯からじんわりと温まってくるから不思議だ。
わたし、藤堂夫妻、パティさんの四人は藤の湯の2階にある足湯にきていた。なんでも足湯だけは無料で、足を湯に浸しながらお店で販売されているデザートに舌鼓をうつのがここ、藤の屋の通なくつろぎ方なんだそうだ。
「医学の勉強ねえ。なかなか見上げたもんじゃないか」
今は休憩と称して藤の湯の面々にこれまでの経緯を根掘り葉掘り聞き出されている最中。営業中に経営者の人たちが抜け出しても大丈夫かと心配だったけど、トモエさん曰く今は人の出入りが少ない時間帯だから他の職員さんに任せておけば問題ないんだそうだ。
「そうですね。単身で白花からこんな遠いところまで来るなんて、イオリちゃんは頑張り屋さんなのね」
「……お前も似たようなもんだっただろ」
呆れたような声にトモエさんがふふっと意味深な笑みを浮かべる。
「ああ見えて、トモエさんは押しかけ女房なんですって」
不思議に思って首をかしげているとパティさんがこっそり耳打ちしてくれた。白花撫子と呼ぶにふさわしい容貌で押しかけ女房!? 意外性にもほどがある。そのあたりのことはぜひ詳しく聞かせてもらいたい。
「それで、どこで医学を学ぶんだ?」
「グラッツィア施療院に行ってみようと思います」
もともと医学を学ぼうとは思っていたものの具体的な紹介先はなかった。だからおばさん夫婦の家にお邪魔させてもらいつつ、働きながら勉強できるところを探そうとしていた。それなのに、いざ来てみればおばさん夫婦はいないし拠点どころではなくて。
ここ(藤の湯)に来ることがなかったら、昨日立ち寄ったあの場所をもう一度案内してもらおうと考えていたくらいだ。リオさんという知り合いもできたし顔見せがてら訪ねることができたら。
「グラッツィアねえ……」
「知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、この辺りでは評判の名医だからなあ」
ソハヤさんが教えてくれた情報はこうだった。曰く、ここティル・ナ・ノーグでは一、二を争う名医だとか。曰く、名家の出であるのに少々風変わりで滅多に弟子はとらないとか。
「じゃあ、そこで勉強させてもらうことは難しいんでしょうか」
「先生次第でしょうね。最近の情報ですし、詳しいことまでは私たちではわかりかねますし」
引き継いだトモエさんの声に不安が胸をよぎる。施療院のイメージはなんとなくだけどわかる。せっかくだから見知った人のいる場所で医学の勉強をしたいと思っていたけど、そう簡単にはいかないのかな。たまたま昨日はユータスさんの家にお世話になれたけど、ずっと長居しているわけにもいかないし。
「……ついてくるか?」
顔を曇らせていたわたしが気になったんだろう。思案顔だった藤の湯の支配人はふうと息をついた後、こちらにむかって口を開いた。
「どういう意味ですか?」
「顔なじみなんだよ。もともと菓子の味をみてもらう約束だった。
そん時でよけりゃ一緒に連れてってやるよ。本当にそこで学ぶかどうかは別として、施療院の雰囲気くらいはつかめるだろ」
どうする? の声に一も二もなくうなずいた。
「よろしくお願いします!」
お風呂を案内してもらえた上に勉強先まで紹介してもらえるなんて思ってもみなかった。懐かしい祖国の香りがする人達は、本当に素敵な夫婦で。これが俗に言う『ニーヴの思し召し』なんだろう。
ちなみに、この間に道案内をしてくれていた男の子はというと。
「くすぐったい……」
わたし達のいる足湯のすぐそばにある別室、藤の湯の名物の一つ『くつろぎの湯』に『ツケといてやるから目を覚ましてこい』とソハヤさんに強制的に放り込まれ、魚に体をつつかれていた。
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「行ってみてどうだった?」
後日、お礼と買い物をかねて林檎菓子専門店「アフェール」に足を運ぶと、店員さんは笑顔で出迎えてくれた。素敵なところだったと応えると、そういうと思ったと今度は白い封筒を手渡された。
「何? これ」
「あなた宛にだって。さっき渡されたの」
封筒を開けると、いつか見にした綺麗な文字でこう記されていた。
『海で出会った君へ
やあ。元気にしてるかい? オレのことを覚えていてくれると嬉しいんだけど無理だろうから、引き続きこっちから手紙を出すことにしたよ。アフターフォローってやつさ。
まずは、そうだなぁ。いろいろ気になることはあるだろうけど、一番はお守り(腕輪)のことだよね。前にも書いたけど、君のお父さんからの贈り物は船の上でぼろぼろになってしまったんだ。お父上からの大切なものだったのにごめんね。代わりと言ってはなんだけど、オレの故郷の流儀にしたがってちゃんとなおしておいたから。ひょっとしたら今までと違う機能がそなわっていて戸惑っているんじゃないかな。今回はそのことについて説明させてもらおうと思う。ああ、お礼は不要だよ。家の家訓で『受けた恩は二倍にして返せ、売られた喧嘩は千倍にして返せ』って教えがあるから。今回はそれに従ったまでだ。
武器を使うときに衝撃波が出なかった? 実はちょっとだけ改良しておいたんだ。君のお父上のはからいなんだろうけど、あれ(ハリセン)だけで戦うのには心もとなかったから。衝撃波の程度はオレ自身もよくわかってないんだ。使い方によっては他の効果が出てくるかもね。悪いけど君自身で確かめてくれると助かるよ』
「ーー他にも説明したいことは海ほどあるけれど、一度に説明しても理解に苦しむだろうから次の機会に説明させてもらうね。
それまで元気で。君に、海の恩恵のあらんことを。
どこかの海のおにーさんより」
つづられていた手紙を元の形におりたたんで元の封筒にもう一度丁寧に入れる。ひと呼吸おいて腕輪にそっと触れて。
「どこかの海のおにーさん。ありがとうございました」
確かにおにーさんのハリセンがなければ魔物と戦うことはできなかった。お父さんからもらった大切なものだとういうこともわかる。
『お父上からいただいた大切なものなんだから大事にしないといけないよ』
お兄さんの言うことももっともだ。だけど、やっぱり釈然としない。どうやったら腕輪がハリセンになるんだとか、武器にハリセンというチョイスはどうなんだとか。そもそもどこから手紙をだしているんですか、もしかしてティル・ナ・ノーグにまだいるんですかとか。
「そっちからの手紙はあるの?」
「これをお願い」
つっこみだしたらキリがない。手渡された手紙と引き換えに、今度はわたしがクレイアに白花あての手紙を渡した。
<拝啓、お父さん、お母さん、ばあちゃんへ>
『元気にしていますか? 伊織です。
初めての手紙では船旅の途中、嵐で一時期立ち往生してしまったことまで書きましたよね。今回はその続きです。
おばさんの家はなかったけれど、先日も手紙に書いた親切なご家族の家に引き続き泊まらせてもらうことになりました。この手紙もそこで書いています。ご家族は本当にいい人達で白花から来たばかりのわたしにとてもよくしてくれます。最近はご家族の一人に街を案内してもらいました。『明けの藤笠』知ってますよね。なんとそこに縁のある方がティル・ナ・ノーグで大衆向けの入浴施設を経営されていたんです。まさかお父さんの故郷で白花の文化に触れることになるなんて驚きです。
この手紙がそちらに届く頃には、グラッツィア施療院という場所へ行ってきます。なんでもティル・ナ・ノーグで一、二を争う名医がいらっしゃるそうです。その辺りはお父さんが詳しいのかな。
落ち着いたらまた連絡します。それまでお元気で。伊織』
嘘は書いてないよね。異国へ来て知り合った人のお家にお邪魔させてもらってるんだし、何より本当によくしてもらってるし。
街を案内してもらったご家族の一人=ユータスさんが男の子ということは伏せておいた。あのお父さんのことだ。変に勘繰られても嫌だし、家にお邪魔するのもあと少しだろうし。
と当初は思っていたのだけれど。
一日だけのはずが、アルテニカ家には結局それ以降も居候させてらうことになった。ユータスさんを藤の湯から連れ帰った際、アルテニカ一家に『あのお兄ちゃんがぴかぴかになってる!』といたく感動され生活習慣改善のためにももう少し長居してほしいと頼みこまれたからだ。正直気が引けたけど、藤の湯のことも気になっていたしご厚意に甘えさせてもらうことになった。
そして思う。普通にお風呂に入ってきただけで感動されるユータスさんって一体何者なんだろうと。
「色々ありがとね。これから行ってくる」
「行ってらっしゃい。気負いすぎるんじゃないよ」
友人の声援をうけながら洋菓子店を後にする。
そして今日は、いよいよグラッツィア施療院に出かける日。
なんとかここまでつながりました。次回でようやく本来の目的を果たせるかな?