おいでませ藤の湯へ その1
「あの、その格好」
同じ年くらいの小柄な女の子。この街にはいささか不つりあいな着物にエプロンを身につけている。って――
「着物?」
「そう。キモノだよー。あら? あなたも着物きているのね」
着てるもなにも、わたしの国の正装かつ普段着だ。目の前の子はティル・ナ・ノーグの人なんだろうけど、着物を着ているから白花にゆかりのある人で間違いないんだろう。それにエプロンに描かれている紋様はどこかで見たことがある気がする。どこでだったかな。あれは確か――
「……すー」
そうだった。まずはこの状況をどうにかしないと。
「あれ? ユータスくんじゃない」
コバルトブルーの視線をわたしから隣にいる男子にうつして。知ってるんですかと尋ねると、時々ニナちゃんに連れられて来てますからと返された。一緒に来るじゃなくて、連れられてくるんだ。もしかして引きずられたりしてるんだろうか。場面を想像して思わず納得してしまう。
「知り合いに、ここの場所を紹介されたんです。行く途中で彼が眠っちゃって」
クレイアから手渡された地図を片手に説明する。隣から女の子の瞳がじっと図面を上下させたあと。
「こっちですよ。着いてきてください」
彼女は迷うことなく道をすたすたと歩きだした。力があれば道ばたで倒れた男の子を担いで運びたいところだけど、仕方がないので頬をぺちぺちとたたく。
「いいかげん起きてください。ユータスさん!」
もう本当に引きずって歩いてもいいんじゃないんだろうか。真剣にそう思いかけたところでダークグリーンの瞳がうっすらと開いた。
「目的地までもうすぐですよ。ほら、歩いて歩いて!」
女の子が慣れた手つきで男子の手を引いて立ち上がらせると、案内人であるはずの彼は目をこすって。これまた慣れたようにハニーブロンドの彼女の後ろをついていった。
曲がって、さらに曲がって突き当たりをまっすぐ進んで。進んでは止まって、止まってはまた進んで。ようやくたどり着いたところには。
「おいでませ。藤の湯へ!」
懐かしい造りの大きな建造物があった。
見慣れないようで見たことがあるような白花の紋様。
「あれ? ここじゃありませんでした?」
コバルトブルーの瞳が不思議そうにこちらをのぞいている。ふわふわのハニーブロンド。着物の上からもわかるスタイルの良さはなんというか、その、コンプレックスを刺激させてられてしまう。
「……うーん」
目の前というか、目下の男の子との一件があった後だと特に。歩くことで力を使い果たしたのか、男子は建物の前で今度こそ本当に眠ってしまった。初対面でも思ったけど、どうしてこうも平然と眠っていられるんだろうこの人。
「申し遅れました。わたしの名前はパティ・パイ。ここ、大衆入浴施設『藤の湯』の従業員です!」
元気で明るいはきはきとした声。着物はここの作業着ってことなんだろう。
話をもどすけれど、クレイアから渡された地図は確かにここであっていた。目の前の男子の頭を覚ましたほうがいいと言っていたし、お風呂に入ってこいって意味だったのかな。
「はじめまして。わたしは宮本伊織……イオリ・ミヤモトです」
この国の流儀にのっとって自己紹介をすると、パティさんはにこっと笑った。
「イオリさんですね。入浴施設は初めてですか?」
「はい」
正確にはちょっと違う。そもそも大衆浴場は白花の文化だし、家にだってお風呂はあった。あったけど、『故郷(白花)に入れば白花に従え』というお父さんのよくわからない格言で強制的に地元の浴場に引き出されていた。体をきれいにすることはなんの異論もないし、さっぱりするから気持ちいいのだけれど。人が集まればそのぶんだけ人の体型を目のあたりにするわけで。
「これでもれっきとした女です」
視界をはるかかなたの故郷に向けて、自己紹介に付け加えておいた。髪を伸ばせば少しは女の子らしく見えるのかな。そんなことを脳裏に浮かべながら。
「お近づきの印にどうぞ」
瓶につめられた茶色の飲み物を差し出しながら、さっきと同じ青の瞳が優しげにのぞいている。どうやら目の前の女の子はこの施設の看板娘さんみたいだ。
「琥珀?」
「知ってるんですか?」
知ってるもなにも、祖国で売られていた飲み物だ。白花造りの建物もだけど、異国の地で祖国の飲み物にこんなにも早くお目にかかれるとは思わなかった。
透明な瓶のふたをあけてこくこくと飲んでみる。文字通り琥珀色の液体は懐かしい甘みとほんの少しのほろ苦さがのどに残った。ちなみにお父さんはお風呂上がりに買いだめしてあったこれを腰に手をあてて一気飲みしていた。
「琥珀を知ってるたぁ、おまえさん通だね」
声にふりかえると、そこにはパティさんと同じく着物に身をつつんだ男の人がいた。
「ん? 見慣れない顔だな。もしかして白花のもんか?」
「最近こちらに来られたそうですよ。ソハヤさん」
年配と呼ぶにはまだ若い、成人した男の人といった感じ。薄紫の着物に描かれた紋様はパティさんと同じもので。
思い出した。この紋様は──
「『明けの藤笠』!?」
「そこまで知ってるたぁ、ますます通だな」
同郷と同じ黒の瞳が軽く目をみはる。知ってるもなにも、都地方を通り過ぎた時に、しばらくはこの味を味わえないだろうからってお父さんと一緒に食べた。白花でも一、二を争う都地方での人気菓子店で商品のほとんどにこの紋様を模したものが使われている。後から聞いた話だと、白花であつかっているお菓子はこちらだと『和菓子』と呼ばれるんだそうだ。
「お父さんが大好きで、都を訪れるたびにそちらのお菓子を買ってきてくれていました」
それにしてもお父さん、祖国はティル・ナ・ノーグのはずなのに白花の文化に詳しすぎる。どれだけ異国に染まっているんだろう。
「それじゃあお得意さんってわけか。こんなところで白花の人間に会えるなんてなあ。ちなみにおまえさん、白花のどこの生まれだ?」
「カルデラです」
故郷の名前を口にすると、白花特有の黒の瞳が今度は細められた。
「あそこからここまで来るのは大変だっただろ。俺は藤堂楚葉矢。藤の湯の経営者だ」
その後、故郷についてソハヤさんといろんな話をした。やっぱりソハヤさんは白花の都地方の生まれで、気になっていた家紋は都の老舗お菓子店の紋様だった。元々はお店の身内だったけれど、ティル・ナ・ノーグに来たことで転じて大衆浴場を経営することになったんだそうだ。わたしこそ、こんなところで同郷の人に会えるなんて思ってもみなかった。紹介してくれたクレイアにお礼を言わなきゃ。
「ソハヤさんどうされましたか?」
つい故郷の話でもりあがっていると、鈴を転がしたような心地よい声が耳にとどいた。
「はじめまして。私は藤堂巴。『藤の湯』の従業員でソハヤさんの妻です。あなたはパティちゃんのお友達?」
おっとりとした雰囲気の黒髪の美人。初対面のはずなのになぜかこちらの方がどぎまぎしてしまう。
「はじめまして。宮本伊織です。白花から来ました」
「トモエさん、イオリさんはシラハナから昨日ついたばかりなんですよ」
さっきまで話していた会話をかいつまんでパティさんが話すと、そうだったのねと金色の瞳が細められた。
「遠いところからティル・ナ・ノーグへようこそおいでくださいました」
絵にかいたような美人に深々と頭をさげられてこっちの方が恐縮してしまう。ちなみに祖国白花では黒もしくは赤みがかった茶色の髪に同じく黒か金色、茶色の瞳を持つ人が多い。わたしの髪は黒だけど瞳の色はティルナ・ノーグ生まれの父譲りの青。珍しかったものだから子どものころは近所の男の子によくからかわれていた。
「トモエさんはね。故郷では『シラハナナデシコ』って言われていたんですって」
パティさんの声になるほどとうなずいてしまう。撫子というのは故郷の夏から秋の季節に咲く淡紅色の花のこと。愛らしいものや大切なものになぞらえて用いられることも多い。しとやかな雰囲気にそこはかとなく芯の強さが感じ取れる様はまさに貴婦人、白花撫子と呼ぶにふさわしい。
「あら。そちらの方は気分がすぐれないのかしら?」
『あ』
わたしとパティさん、ソハヤさんの声が重なる。ユータスさんのことをすっかり忘れていた。
「休憩どころがあるのでお連れしましょうか?」
心配そうな声に慌てて首を横にふる。初対面の方にそんなことまでしてもらったら申し訳なさ過ぎる。
「この人の家に昨日からお世話になっていて。街を案内してもらっている途中で眠ってしまったんです」
確かに案内はしてもらったし、クレイアと改めてお友達になることができた。だけど、それから先のことは想定外だった。パティさんのおかげでなんとか目的地まではこれたけど、今度は完全に寝入ってるし。ニナちゃんがグールみたいと言っていたけど本当にこのままだったらどうしよう。
「だったら二階にでも連れて行くといい。今なら人もいないだろ」
そんなことを考えていると店主のソハヤさんがこともなげに言った。
「とはいえ兄ちゃんの図体はでかそうだからなぁ。問題はどうやって運ぶかだ」
連れてくじゃない。荷物みたいに『運ぶ』になってる。
連れて行くにしても運ぶにしてもソハヤさん一人でも大変そうだし女三人でも難しそうな気がする。一体どうやって連れて行くか。そんなときに思い浮かんだのは先日の見知らぬ人からの手紙だった。
どこかの海のにーさんが言っていた気がする。衝撃波の程度はまだわからないから自分で試してみてって。
「ちょっと試してみます」
左腕にはめた腕輪に手を添えて、石を軽く叩く。光ったかと思うと右手には父親からの贈り物が姿をあらわした。
「なんだ? そのけったいなものは」
「どこかの海のおにーさんに聞いてください」
ソハヤさんの疑問はスルーして、両手でハリセンを握りしめる。自分で試してってことなら、自分次第で力加減もどうにかなるってことだよね。
だったら。
「いいかげん、起きんかユータああああ!!」
すぱあああああん!
ものすごい勢いで長身の男の子が2階にふき飛ばされていく。前の時はお星様になったけれど、今回は控えめにしたから階段を上がってすぐの床に転がる程度で済んだ。
「俺もこっち(ティル・ナ・ノーグ)に来てそれなりにたつけど、吹っ飛ばされて二階へ行った奴は初めてみた」
「本当ですね。怪我がないといいんですけど」
「イオリさんすっごおぉい!」
藤堂夫妻が思い思いの感想とパティさんが感嘆の声をあげる。とりあえず、ここ(藤の湯)でハリセンを使うことはこうしてすんなりと受け入れてもらえた。念のためにユータスさんに怪我がないか確認したけど、打ちどころが良かったのか怪我一つなくて。この一件からなぜか、ニナちゃんの代わりにわたしがユータスさんを引きずってお風呂に連れて行く係になってしまった。
余談だけど、この光景はこれから先、藤の湯の名物として温かく見守られることになった。まったくもって遺憾である。
ソハヤ・トウドウおよびトモエ・トウドウ夫妻はタチバナナツメ様(ビジュアルデザイナーは麻葉紗綾様・相良マミ様)
パティ・パイは水居様よりお借りしました。
祝・第二のお星様。