アルテニカ家にて その2
「どういうこと?」
おばさまの提案に彼が眉をひそめる。わたしも予想だにしなかったことだから食事の手がとまってしまった。
「さっきまで眠っていたんでしょう? これも何かの縁なんだから、散歩がてら行ってらっしゃい。それとも何か用事があるのかしら」
「創作が──」
「なさそうね」
ユータスさんの声をばっさり切りつけて。エリーさんが今度はわたしに向かって声をかける。
「イオリちゃんはここ(ティル・ナ・ノーグ)にきて間もないんだもの。気になるところや行ってみたい場所だってあるでしょう?」
「そんな、昨日に続いてお世話になるなんて。お気持ちだけで充分です」
一泊させてもらっただけでもありがたいのに、朝食までいただいた。そのうえさらにご厄介になろうだなんて虫のよすぎる話だし。
「遠慮しなくていいのよ。これは息子のためでもあるんだから」
わたしの制止の声がやんわりとした声にさえぎられる。どこがどう、息子のユータスさんのためになるんだろう。首をかしげていると二人の兄弟が説明してくれた。
「お兄ちゃん運動不足だもんね。これ以上、家に閉じこもりっぱなしだったら本当にグールみたいになっちゃう」
「だよな。しかも自分の興味のあるところにしか出没しないもんな。知ってた? ティル・ナ・ノーグって兄ちゃんが思ってるよりずっと広いよ?」
実の兄を前になんだかひどい言いようだけど、当の本人はうーんとうなっている。おばさまの言うようにここは初めて訪れた異国の地だし、行ってみたい場所はたくさんある。だけど、昨日であったばかりの男子に頼むのも図々しすぎるんじゃないか。
「イオリちゃんは急いでいるの?」
「そんなわけじゃないけど」
ニナちゃんの声に首を横にふる。グラッツィア施療院の場所は昨日行ったからすぐにでもいける。リオさんの話だと先生が帰ってくるまでには時間がかかるそうだから、おばさん夫婦の家を拠点にあたりを散策しようと考えていた。だけど、そのおばさん夫婦はあいにくの留守。というよりも引っ越して存在はもぬけのから。だから、間借りできる場所を探してみよう。そう思っていた。
その旨を伝えると、だったらとさらにお願いされた。
「女の子が全く知らない場所を一人で歩くのは危険でしょ? こんな背の高さと手先の器用さだけが取り柄の兄ちゃんでも一応男だし、生粋のティル・ナ・ノーグ生まれなんだから。ここは絶対案内してもらったほうがいいよ」
確かに一人で歩き回りよりも案内がいた方が助かるけれど。それにしてもどうしてここまで良くしてくれるんだろう。むしろ、哀願されてるされてるようにも思えてくる。戸惑いの視線を弟くんに向けると、『姉ちゃんは心配なんだよ』と返された。
「兄ちゃんってほんとの本気で出不精なんだ。気になることがあれば飛び出すくせに、それ以外のことはからっきし駄目でさぁ。今回だって、イオリ姉ちゃんのことがなかったら、それこそほんとの本気でグールになってたと思うよ」
それはさすがに言い過ぎなんじゃと思ったものの、昨日の一連の行動を思い返して納得してしまう。少なくとも、あの異様な光景と行動力は目を見張るものがあった。
「イオリちゃんが気に病む必要なんかないよ。むしろこっちからお願いしてるんだから」
家族三人からの熱い視線を受けてさらに戸惑ってしまう。だけど、助かるのは事実だし好意に甘えてもいいのかな。
「それじゃあお願いします」
「オレ、まだ何も言ってな――」
『まかしといて!!』
男子の意思は本人以外の家族の声にきれいにかき消されてしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あれよあれとと言う間に追い出され、もとい、外に出された私たち。
「眠い」
隣にいる男の子はそう言って目をこすっていた。
「無理しなくていいですよ? 泊めてもらっただけでも充分です」
本当なら宿を借りるところだったのにハリセンで吹っ飛ばしてしまったし。かっとなってしまったとはいえ失礼なことをしてしまったし。
「…………」
「ユータスさん?」
何か考えてるのかな。それとも眠くてぼーっとしてるだけなのかしら。考えあぐねていると、
「どこかある?」
そんな呟きが聞こえた。
「どこかって、わたしのですか?」
そう言うと彼は首を縦にふった。
「何もしないで帰ったら、あいつらに何を言われるかわからない。行きたいところがあれば案内する」
あいつらとは言わずもがな。確かにあの様子だと後が大変そう。
「じゃあ、手紙を出す場所に行きたいです」
「手紙?」
首をかしげる彼に、ことの経緯をかいつまんで話す。故郷の家に定期的に手紙を送ること。それが親元から離れて旅立つための条件だった。白花から離れてそれなりにたつし、音さだがないとさすがに心配されてしまう。それを伝えると、ユータスさんはそういうものなのかと首をひねった。
「私の生まれた場所では、荷は村長に頼んで配達してもらうんですけど、こちらでは違うんですか?」
「兄弟子たちに頼まれて書類を出しにいったことならある」
相変わらず首をかしげたままの男子。兄弟子という言葉が気になって尋ねてみると、なんと彼はとある工房のお弟子さんなんだそうだ。
「すごい! もう工房で働いているんですね」
実家のお父さんだって下積みから始まって工房を任されたのは成人してずっとあとだったのに。身近にそんな人がいるなんて思ってもみなかった。中ば興奮して尋ねると少し違うと言われた。なんでも弟子入りしたのは早かったものの、自分の工房を持つためには師に認められたという証になるものが必要で。今は証を得るための卒業制作を勧められているんだそうだ。
卒業制作のテーマは自由で制作期間や提出する期限も自由。時間はたっぷりあるものの、とはいえ何を作ればいいのかわからない。デザインのヒントになればと山を散策中にペルシェを見つけ、そのままうたた寝していたところをわたしに発見されたと言うわけだ。
「じゃあ、証を手に入れたら自分の工房を持つんですか?」
「よくわからない」
周りには独立しろとつつかれているらしい。今だって言われるがまま、独り立ちの証だけは手に入れてみようかと漠然とは考えている。だけど、自分から率先して何かを作りたいという情熱はなく。兄弟子たちに教わりながら技術を習得する日々が性にあっているそうで。
「工房は持たないんですか?」
「……よくわからない」
さっきと同じ返事が返された。
「あんたはどうなんだ?」
と思ったら、今度はわたしに質問が返ってきた。
「わたし?」
「グラッツィア施療院に行くんだろ? 医術を学びたいってことは昨日聞いた。医術を学んでその後どうするつもりなんだ?」
紹介状は書いてもらった。でも肝心の叔母さん一家は住居をひきはらっていたし。昨日は運良くアルテニカさんのお家に泊まらせてもらえたけど、いつまでもお世話になりっぱなしというわけにはいかない。考えることが山積みだ。
長身の男の子。私とほぼ変わらない年代で修行をしていて。初対面でこそ、ぼうっとしていたけど実はすごい人なのかも。私にはできるのかな。医療を学びたいって一心で単身でやってきたのはいいものの、ちゃんと学ぶことはできるのだろうか。そもそも、先生はどんな人なんだろう。学ぶことを受け入れてもらえるんだろうか。
「すぐ答えが出る問題じゃないか」
「……そうですね」
考えすぎて不安になるよりも、まずはやるべきことをやるのが先だ。もたげた不安をふりはらうようにかぶりをふると、隣の男子について行く。
ほどなくして、一軒の建物にたどりついた。
「あれ? ここって――」
「知ってるのか?」
彼に連れられた場所。そこは昨日道すがら訪れたお店だった。
「いらっしゃいませ──って、昨日の?」
出てきたのは昨日と同じ、わたしと同世代の女の子。
「こんにちは。またお邪魔してます」
「そっちにいるのは珍しい客だね」
どうやら隣の男の子のことを言ってるらしい。ニナちゃんたちの弁ではないけど、本当に外に出るのは珍しいみたいだ。
「ユータスさんはわたしの付き添いなんです」
女の子──クレイアに今までの経緯をかいつまんで話す。ジャジャじいちゃんと施療院まで行ったこと。リオさんにもあったけど先生は不在だったこと。帰り道の途中で隣の男子に会って、そのままお世話になったこと。彼をお星様にしたことはさすがに伏せておいた。一連の流れを説明し終えると、洋菓子店の店員さんはなるほどねとうなずいた。
「本業の洋菓子を売ってるかたわらで、ここではちょっとした荷物も預かってるんだ。手紙とか仕事関係の書類とか。あらかじめまとめとくと、うち(店)と契約した専門のメッセンジャーが取りに来てくれる。宛先がここ(ティル・ナ・ノーグ)の範囲ならすぐ届けてくれるよ」
メッセンジャーというもののことはわからないけど実家でいう村長の家みたいなものなんだろう。ユータスさんは兄弟子に頼まれた書類を出したことがあると言っていた。なるほど、そういう経緯でこのお店を知っていたんだろう。出不精と言われている彼がなぜこの店を知っているのかがよくわかった。
連れてきてもらってありがとうございます。お礼を伝えようと隣をみて。
「…………」
案内人の男子は目を瞑ったまま動かない。
「こりゃ完全に寝てるね」
クレイアが軽く肩をすくめる。態度からして、もう慣れっこのようだ。そういえば家を出てからあくびばかりしていたし、ニナちゃん達が起こさなければずっと眠ったままだっただろう。夜が遅かったのかな。
とはいえ人様のお店で眠ったままというわけにもいかない。起きてくださいと何度も声をかけても「ん──」というばかりで反応はなきに等しい。かといって、昨日会ったばかりの人を強引に揺さぶるのも気がひける。
「起きてください」
ゆさゆさ。
「クレイアやお客様に迷惑がかかります」
ゆさゆさゆさ。
船をこぐたびに揺れる薄茶色の髪。思い浮かべるものといえば、
「起きなさいユウタ!」
結局大声をあげてしまった。ユウタとは言わずもがな、白花の家で飼っている柴犬の名前だ。
「……ユータスのこと?」
クレイアがきょとんとした顔をみせる。それはそうだ。まさか犬の名前を呼んで起こされ人はそういないだろう。こほんと咳払いをすると、もう一度彼に向かって呼びかける。
「起きてください。ユータ──」
今度は控えめに体を揺さぶってみる。ちなみに家のユウタもこんな感じ。そもそも朝、顔をなめて起こしてくれることの方が多い。でも男の子の髪が揺れるだけで、一度開きかけた瞳は閉じられたままだ。
「いいかげん起きんね! ユータ!!」
勢い余って故郷のカルデラなまりで叱りつけると。
「……何?」
ようやく目が開いた。
「あんた、ここに一体何しに来たの」
呆れ顔のクレイアに眉根を寄せた男の子は。
「……何しに来たんだろう?」
まだまだ夢のなかのようだった。
結局、手紙はクレイアに渡すことになった。ティル・ナ・ノーグではなく外国まで届けたいと言うと、知り合いに頼んでみると預かってくれた。
「観光するならここへ行ってみなよ。そいつの頭も覚ました方が良さそうだし」
その案内役は半ば船をこいでいるような気もするけど。1人でうろうろするより店員さんの提案にのるほうが確実だ。
「ここをまっすぐ進んで、突き当たりを右にまがる」
お菓子屋さんの店員さんからもらった地図をたよりに道を進む。
それにしてもここって海の街なんだなあ。船から下りたときから感じていた。わたしの住んでいた地域はカルデラで田んぼや畑だったから潮の香りなんか全く感じることはなかった。
「その後は左に曲がってひたすらまっすぐでいいんですよね?」
確認もかねて隣をふりかえると誰もいない。あれ? さっきまで一緒に歩いていたはずなのに。
慌ててさっきの道を引き返すと。
「…………」
ユータスさんは寝ていた。
道の真ん中で。周りの人が遠巻きにみているけれど、思ったより反応が薄いような気がするのはわたしの気のせい?
「ユータスさん!」
軽く肩をゆすってみたけれどさっきと同様やっぱり起きてくれない。
「だから、ユウタってば!」
もう一度さっきと同じ要領で起こそうとしたけれど、耐性がついたのか眠り足りないのか、やっぱり起きてくれない。でもこのまま道ばたに捨て置くってわけにもいかないし。
「こんな道ばたでどうしたの?」
顔をあげると、そこにはやわらかなハニーブロンドを一つに結わえた青い瞳の女の子がいた。