アルテニカ家にて その1
「伊織、どかんしたと(どうしたの)? 深刻そうな顔して」
お母さん、ティル・ナ・ノーグって知ってる?
「知ってるもなにも、お父さんの生まれ故郷じゃない。忘れちゃったの?」
わかってる。でもそれだけしか知らないんだもん。確かわたしを助けてくれたお医者様がそうだったんだよね。
「あなたは体が弱かったからね。大病で大きな診療所までは時間がかかりすぎて。途方にくれていたところを旅のお医者様が助けてくれたの。
お父さんの故郷からやってきたって聞いたときは驚いたわ。伊織だって知ってるでしょ。縁ってあるものなのね」
知ってる。子供のころから何度も聞いてたし。きっとここ(白花)よりずっとずっと医療が進んでるんだよね。
「そうね。そのおかげで伊織が助かったんだもの。お医者様には感謝してもしたりないわね。お礼を言いたかったんだけど、ばたばたしてる最中に旅立ってしまったの。何か手がかりがあればよかったのに」
ティル・ナ・ノーグに行けば、もっとすごい医術を学ぶことができるのかな。
「気になるの?」
ちょっとだけ。いつか、行ってみたいな。
「いつかでいいの?」
いつかじゃなくてもいいのかな。
「それはあなた次第ね。伊織、あなたはどうしたい?」
わたしは――
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久しぶりに、実家の夢を見た気がする。お母さん、元気にしてるかなあ。お父さんはきっと相変わらずなんだろうな。変な心配する前にちゃんと手紙出しておかないと。ユウタは──
「……そうだった」
ようやく現状を思いだしてベッド から起き上がる。着替えをしてカーテンを開けて。そこには故郷のシラハナとはひと味もふた味も違う景色が広がっていた。
<拝啓 お父さん、お母さん、ばあちゃんへ>
お元気ですか? わたしは元気です。
いろいろあったけど、こうしてティル・ナ・ノーグにたどりつくことができました。
お父さんには言いたいことがあります。
まず、叔母さんの家には新しい人が住んでいました。それどころかお父さんの生家はもはや廃墟になっていました。どうも仕事の都合で叔母さんのご主人の故郷に一家総出で引っ越してしまったそうです。このあたりのことはもう少し調べてもらいたかったです。
本当なら野宿になるところだけど、とあるツテで親切なご家族の家に泊まらせてもらうことになりました。この手紙もそこで書いています。
あと荷物について。年頃の女の子の荷物の中を勝手にのぞくようなことはしないでください。餞別の品だからといって、ハリセンはどうかと思います。おかけで船の上で恥ずかしい思いしたんだから。
船の上の出来事といえば――
「……やっぱり思い出せない」
着替えた後に机に向かい、手紙をしたためた途中で手を止める。
餞別だからと無理やり入れ込まれていたお父さんからのおくりもの。送り返そうとしたところを誰かに止められて。そこから先の記憶がない。船がおそわれたこと、怪物がでてきたことははっきり覚えているのに、頭にモヤがかかったように思い出せない。自分ひとりで戦って勝てたなんて安易な発想はさすがにない。そもそも家で教わったのは簡単な護身術程度の体術だし。
手がかりは、船医室で見つけた腕輪と手紙。ただの装飾品、お守りだと思っていたのに結果的にハリセンに──本当の意味での『御守り』になってしまった。手紙に書かれた差出人は海のおにーさんと書いてあった。
海のおにーさん。その言葉だけは覚えておかなければいけないような気がする。おかしいな。記憶力はそんなに悪くはないはずなのに。
「考えても仕方ないか」
また、そのうち思い出すよね。手紙を書くのは一旦中止して、お世話になっている家族の面々にあいさつをすることにした。
泊まらせていただいた部屋は2階で広間と昨日食事をいただいた部屋は一階にあたる。階段を降りると香ばしいパンの臭いがが鼻をくすぐる。そこには朝食の準備をする長身の女性がいた。
「おはよう。昨日は眠れたかしら?」
話しかけながらも料理を作る手はとめない。このあたりはどこの国でも同じなんだなとなんだか感心してしまう。おかげさまでよく休めましたと伝えると、それは良かったと微笑まれた。
「主人は仕事で出かけているの。ばたばたしちゃってごめんなさいね」
「そんな。こちらこそ泊めてもらってありがとうございます」
恐縮しながら伝えると困った時はお互い様よと微笑まれる。エリー・アルテニカさん。昨日も思ったけど感じのいい人だな。背が高いことも、おばさまには悪いけど親近感がわく。
「なにかお手伝いできることありますか?」
一宿一飯の恩義にと声をかけると、じゃあ子ども達を起こしてもらえるかしらと頼まれた。
それにしても昨日は大変だったなあ。あらためてティル・ナ・ノーグでの一日を思いかえしてみる。
異国の港について、ジャジャじいちゃんに街を案内してもらって。途中で洋菓子店にお邪魔して店員さんと話をして。そういえば焼き菓子を買っていたんだった。本当は叔母さん夫婦にお土産のつもりだったんだけど不在だったしこちらに食べてもらわなきゃ。
そんなことを考えていると、人の気配がした。
「あれ? うーんと……誰?」
寝ぼけ眼で目をこする男の子。確かヴィル君だったよね。
「おはようございます。昨日お世話になった宮本伊織――イオリ・ミヤモトです」
「そうだった。おはよう。イオリ姉ちゃん」
こする手を止めてウィルくんがおじぎをする。
「ええっと、なんでここに?」
「あなたたちのお母様からみんなを呼んでくるようにってお願いされたの」
そっかと手をたたく男の子。どうやらだんだんと目が覚めてきたらしい。
「みんなって、兄ちゃんと姉ちゃんだよね。姉ちゃんなら――」
「おはようございます!」
こっちはしっかり身支度を整えた妹のニナちゃんだった。
「昨日はお世話になりました」
おばさまやヴィル君と同じようにお礼を言うとそんなにかしこまらないでくださいと言われた。つづいてこんなことも。
「もとはといえば、お兄ちゃんが悪いんだから。いっつもそうなんです。あてもなくふらふらさまよって最後はグールみたいに倒れてるんだから」
「オレ達も捜索手伝わされるんだよな。弟のオレが言うのもなんだけど、もうちょっとしっかりしたほうがいいと思う」
しっかり目が覚めたヴィル君も続けてこの台詞。どうやら昨日出会った男の子はなんというか、その、兄弟にあまり信用されてないらしい。
「それで、あなたたちのお兄さんはどこに?」
肝心の質問をすると、アルテニカ兄弟の長女と次男は二人顔をそろえてこう言った。
『またグールになってる』
グールっていうのは確かティル・ナ・ノーグに生息する怪物だった気がする。不幸な死を遂げてしまったもののなれの果てだって本で読んだ。別名人喰い鬼。直接目にしたことはないけれど絶対にお目にかかりたくはない。
「お「兄ちゃー ん起きてるー?」
兄弟ふたりの声に返事はない。昨日の今日だったからつかれがたまってるのかな。そう告げるとふたりに絶対違うって首を横にふられた。
「いつものことだもん」
「いつものことだよな」
そう言って強引に部屋に入っていく。
「そ、そうなのかな?」
半信半疑で後に続くと、そこには誰もいなかった。ベッドにはぬいぐるみらしきものが無造作に置いてあった。そばに毛糸の束があったから作りかけなんだろう。ニナちゃんかおばさまが作ったのかな。男の子の部屋に入るのはこれが初めてだけど、男の子の部屋ってこんなものなのかな? それともティル・ナ・ノーグの一般常識とか。
視線をめぐらせて一歩、二歩歩いてみる。三歩目をすすめようとしてつま先が何かにぶつかる。それはどう考えても人間の感触で。
あわてて飛びのくけれど、足元にいた人間──男子はびくともしない。昨日のこともあるし、もしかして打ちどころが悪かったのかな。
「あー、いた!」
そんなわたしの胸中をよそに、ヴィルくんが男子に近づいた。
「ほら兄ちゃん、起きて起きて」
ペシペシと頭とほおを叩くと男子はうーんとくぐもった声をあげた。
「だれだ?」
男子がぼうっとした表情で私の方を見る。
「だれだじゃないでしょ! 昨日お兄ちゃんを助けてくれた人!」
そんな彼を手慣れた仕草で起こすアルテニカ兄弟。なおも叩き続け、かつ引きずったりしてるのはご愛嬌だ。
「昨日……?」
首をかしげて再度わたしの方をじっと見て。しばらく目をつぶったかと思えば手をポンと叩いた。ついでペルシェとも叫んだ。
「それ、昨日も聞きました」
「……ユータス=アルテニカ」
「それも昨日聞きました」
そう言うと『ん』とひとつうなずいた。かと思えば再び目を閉じようとして、そこを今度はニナちゃんにゆさぶられて。
「ごめんなさい。お兄ちゃんひとつのことに夢中になるとまわりが見えなくなっちゃうクセがあって」
「みたいですね」
昨日のお星様の一件が原因かと心配したけど、どうやらそれだけでもなさそう。お母さんが呼んでるよとニナちゃんに耳元で言われると、顔を洗ってくると部屋を出て行った。
「久しぶりのお客さまだからはりきっちゃった。お味はどうかしら」
アルテニカ家一同との食事はなごやかにすすんだ。手づくりのパンにジャム。あたたかいスープに野菜サラダ。食事もさることながら、みんなの声が楽しそうで。
「それでさ、姉ちゃんったらひどいんだ。オレの荷物全部外に出すんだもん」
「前々から言ってたでしょ。『こんどしまわなかったら全部外にだすからね』って」
たわいもない会話なんだろうけど聞いてて飽きない。
「イオリちゃんは兄弟がいるの?」
「わたしは一人っ子だったから」
それでも兄弟がいるって微笑ましいなあ。同世代の友達ならいたけど、ほとんどが男の子だったし。こんな会話も新鮮でうらやましい。
「でも家族は多かったからさみしくなかったよ。犬もいたし」
「イオリ姉ちゃん、犬かってたの?」
興味深々のウィル君にうなずきをかえす。
「子どもの頃から一緒で毎朝散歩してたの。元気にしてるかなあ。ユウ──」
愛犬の名前を呼ぼうとして、ふと口をつぐむ。そうだ。どことなく似てたんだった。
「……?」
わたしの視線に気がついたんだろう。男子が──いつまでたっても男子じゃよくないか、ユータスさんが首をかしげる。
「お兄ちゃん、女の子をぶしつけに見るのは失礼よ」
もっともニナちゃんがたしなめると、ん、とまたスープを飲みはじめたけど。黒みがかった緑の瞳に薄茶色の毛並みをした子どものころからの一番の友達。はじめはぼうっとしているようで、でも肝心な時はわたしと一緒にいてくれた。守ってくれたし守りもした。
お父さんのことお願いしたけど大丈夫かな。手紙もちゃんとだしておかないと。
そうだ。
「これ、良かったらどうぞ」
昨日道の途中で買ったリンゴのケーキを手渡す。本当は叔母さんに渡すつもりだったけど、本人はいないしかといって捨ててしまうのはもったいなかったから。
「一人では食べきれないので。みなさんでどうぞ」
そう言うと、じゃあ遠慮なくとみんなの目の前でナイフで取り分けられた。お皿にひとりずつ取り分けられた後、わたしの目前にも焼き菓子がおかれる。生地の中には細かくしたリンゴが入ってて、ひと口かじると酸味と甘みが口いっぱいに広がった。ティル・ナ・ノーグではリンゴが有名だってことは昨日教わったけど、なるほど、これならうなずける。
洋菓子店で出会った女の子。わたしと同じくらいの年代なのにこんなにすごいものが作れるなんて。わたしも、あの子みたいにがんばれるのかな。
「イオリちゃんはこの後の予定は?」
そんなことを考えていると、おばさまに声をかけられた。
「街の把握と、落ち着いたらもう一度施療院を訪ねてみようと思います」
もともと、医学を学ぶためにシラハナから来たんだし。施療院は病気や怪我で傷ついた人を診る場所。故郷にももちろんあったけど、施療院というよりもどちらかといえば小さな小さな寄り合いどころ。わたしが病気になったころは隣町にしかいなかった。だけど、せっかくだから色々な施設を見てまわりたい。
あとは宿を探さなきゃ。いくらなんでも続けてお世話になるわけにはいかないし。
「ユータス。イオリちゃんを案内してあげなさい」
「「……え?」」
おばさまの声にわたしとユータスさんの声が重なった。




