カコイマミライ
〈カコイマミライ〉
――もう、こんな季節なんだ。
柔らかな草木と土の香りを鼻孔で味わいながら、あたしは校門の脇に佇んでいた。
冬の終わりを告げる、暖かい風。
あと一週間もすればこの中学校を卒業し、すぐに高校へ入学だ。年寄りじみた感想だが、まったく時が過ぎるのは早い。
横目に校舎の方を確かめるが、そこにあたしの待ち人の姿は見えず、すっかり通い慣れた風景があるだけだった。
「あーあ、暇っ」
学校へ訪れたのは先生にとある報告をするという友達の付き添いだったが、それだけにしては遅すぎる。十分、二十分、三十分、あるいはそれ以上か。あくまで体感時間が、だけど。
少しでも退屈を紛らわそうと、あたしは小走りで校庭へと向かった。特に理由はない。単純に、じっとしているのに飽いただけだ。
そしておもむろに一番背が高い鉄棒に背伸びして――
「アウンッ」
足をつった。
突発的な鋭い痛みに、つい奇声を上げてしまう。二か月前まで受験生だったとはいえ、運動不足にも限度があるわ。
曲がらない左足を庇うように、もう片足で屈み込む。その姿勢、さながらコサックダンス。お年頃の女子の格好ではない。
そんな自らの醜態に蹲って涙を呑んでいると、
「……ちよ、なにやってんの?」
背後から、呆れたような声が降ってきた。
「ほら、立って」
腕を掴まれ、あたしはそれを支えにして身体を起こす。
そして立ち上がったあたしが対面したのは、ひとりの少女。
「おかえり、ゆお」
「別にここが家じゃないし、先生といたのはほんの数分だし」
その程度だったか。やっぱり人を待つ時間は長いね。
ゆお。あたしの親友で、先生への報告に行っていた子だ。
あたしの緩みきった表情を見て、ゆおは半眼で尋ねてくる。
「で、ちよはなにしてたの?」
「え? 足つってた」
「はぁ⁉」
しゃあしゃあと答えた途端、いきなり冷静を失ったゆおが膝を折り、足の状態を確認してくれる。
「いや、もう治ったし。大丈夫大丈夫!」
「……信用ならない」
視線を上げながらも、ゆおの瞳は疑念に満ちていた。まったく、心配性なんだから。
思えば初対面のゆおの印象はなんだか一匹狼みたいな感じで、そして実際に相当の無愛想で、でも親しくなるとただのシャイガールだったって納得した。冷たいようでいて、人一倍優しい。
「ところでさ、先生にはちゃんと言ってきた?」
ゆおの注意を足から逸らそうと新たな話題を投入する。
目論見は成功したようで、ゆおは身を起こして照れ臭そうに笑った。
「――うん」
「そっか」
それに満面の笑みを返し、あたしは喜びを全身で表現するように、彼女に思い切り抱きついた。
「本当に、いっしょの高校に通えるんだね!」
そう、先生への報告とは、高校入試の二次試験の結果だった。ゆおは三月まで粘り、あたしが合格していたのと同じ高校に挑んだのだ。
正直な話、ゆおの偏差値ではかなり厳しかった場所だ。それを彼女は必死で努力して、数量限定の切符を掴み取った。親友としてこれほど誇らしく、嬉しいことはない。
「ちょっと、やめてよ」
思わず頬擦りすると、過剰なスキンシップを嫌うゆおが、強引にあたしの肉体を自身から引き剥がす。
見ると、ゆおは顔中を紅潮させながらも、やっぱり嬉しそうにはにかんでいた。
「えへへ」
「…………」
にやけるあたしと、恥ずかしげに俯くゆお。普段ならそろそろ怒られるけど、今回はセーフっぽい。
「あの、さ」
不意に顔を上げたゆおが神妙な口調で呟いた。なによ、急に?
「……あげる」
そうして簡素な一言とともに突き出されたのは、片手に収まりそうな小さな包み。随所にハートが散りばめられた、女の子らしい絵柄だ。形からしてお菓子のようだが、贈られる理由が見当もつかない。
「なに、これ?」
当然のように問い返すと、
「だから、その……、日頃のお礼というか……、感謝の気持ちというか……」
ゆおにしては珍しく歯切れの悪い台詞で、どうにも上手く聞き取れない。要領を得ず、あたしは小首を傾げた。
その反応に、ゆおはむしろ吹っ切れたように正面からあたしを見据えて叫んだ。
「だから! ホワイトデーだし!」
「あ、そういえば!」
言われてはっとする。
確かにゆおとはバレンタインに友チョコを交換した。が、そもそも恋人のいないあたしには無縁のイベントだし、バレンタインと比べると微妙に影が薄い行事といった印象なので、すっかり失念していた。
「いやー、忘れてた。でもチョコは交換したんだから、わざわざお返しくれなくても――」
「……だって、バレンタインは男の子に告白する日だろ」
じゃあホワイトデーに友達に渡すのも変でしょ。
言おうとして、しかしあたしは口を噤んだ。
ゆおの視線が、仰天するほどまっすぐだったから。
「だから、ホワイトデーは女の子に告白する日だ」
微かに震えた、けれど一片の迷いもない声。
その言葉に一瞬、脳の思考回路が停止する。けれど時間は待ってくれない。容赦なくこの場に気まずい沈黙を生む。
ゆおの理屈は支離滅裂だったが、その想いは間違いなくあたしの胸に伝わった。
つまり彼女は、友達以上の関係としてあたしが好きなのだと。
あたしは返事に窮した。摂理だ。これまで恋愛感情を携えてゆおを見た経験など皆無なのだから。
親友だし。女同士だし。
――本当にそう?
台風直撃の雑木林みたいに激しく喧しい心臓の鼓動が、語りかける。
――今まで積み上げてきた倫理と常識が、その情動を押し隠してきたんじゃないの?
――心底では、ゆおのその言葉を期待していたんじゃないの?
「ちよ……」
ゆおの双眸は真剣そのものだった。気持ちを告げる恐れに揺らぎ、涙に滲んではいたが、それだけは確信できる。
その決意に誘われるように、あたしの中で身を潜めていた激情が首をもたげた。
返答を阻む倫理と常識。それがゆおとの生活で積み上げられたものならば。
それを彼女のために突き崩すことは、決して間違いではないはずだ。
「ゆおは……いいの?」
「え?」
「あたしたちは親友で、これまでもこれからも、そんな関係が続くって信じてた。それがよくも悪くも――変わるんだよ? それでもいいの?」
これは単なる最終確認で、同時に不要の警告だった。彼女だってわかっているはず。でも問わずにはいられなかった。なぜなら、あたしの方が心のどこかで変わることを恐れていたから。
だけど、
「ちよがいいなら、あたしはなんでも平気だよ」
やっぱり本心は同じだったみたいだ。
あとは言葉なんて無粋なだけ。あたしたちは無言で抱き合った。静寂も、今は不思議と心地いい。
物語の交錯は途中から。
でも、この先は未来永劫、ずっといっしょだ。
運命共同体?
甘い。
この絆は、運命よりも固い。
出会ってからこれまで、あたしたちはずっと親友だった。
そして、これからは――
読んで頂きありがとうございます!
物語の登場人物にも、生涯で語られない部分は当然あります。
それは、物語とは“今”を切り取る行為であり、“これまで”と“これから”にはなかなか焦点を置かないからです。
しかし、たとえ誰も知らずとも本人にとっては正真正銘の“自分の人生”。
登場人物は決して物語だけの存在ではない。そんな気持ちで拙作を執筆致しました。
とにかく百合が書けたから満足。ぐへへ。