朝倉陽介、恋日和。
この小説は連載中【飴色の瞳の少年】の登場人物の過去のあるワンシーンとして書かせていただきましたが、もちろん本作品短編でもお楽しみいただけるような内容になっています。連載中の息抜きとして書かせていただきました。
休日の昼過ぎ、二日酔いで痛む頭、そして重い体を引きずり、洗面所にたどりつく。
洗面台に両手をつき、なんとか顔を持ち上げると、ぼさぼさの髪の毛に、鋭い目つきの男が一人、鏡に映った。無駄に長い襟足がひょこっと跳ね上がり、なんとも無様なかっこうだ。
キッチンで水道水を一杯飲むと、シャワーを浴びる気にもなれず、そのままベッドルームへ逆戻りした。
上半身に何も身に着けていないことに気付き、床に落ちていたよれたTシャツを拾い上げて袖を通した。
ベッドのまくら元に置いてあったタバコとライターも手に取り、どかっと勢いよくベッドに腰を下ろすと、「う」っと低い動物の唸り声のようなものが聞こえた。
「は?」
定まらない視界。目を擦りながら布団をめくると、見覚えのない女が小さくうずくまって眠っていた。
ずきずきと痛む頭を抱えながら、必死に昨日の記憶をたどるが、蘇るのは酒の匂いと吐き気のみだ。
枕に顔をうずめている女は、苦しそうに一度呻いたものの、また、気持ち良さそうに寝息を立てている。
ベッド脇に散らばるその女の衣類も下着も、どれもこれもぱっと目を引かない地味なものばかり。
くるくるとウェーブのかかった彼女の髪も、ダークブラウン、といったこれもまたぱっとしない色合いだった。
そんな自分のタイプとかけ離れた地味女が、自分のベッドで裸で眠っているのだ。
俺はもう一度布団にもぐりこみ、女の横で煙草をふかしていると、彼女はぐっと伸びをして起き上がった。
「起きたか」
女はまだ半分夢の中で、ぼけっと一点を見つめていた。
「うん。え、ちょっと待って。誰よあんた」
勢いよくこちらを向いた彼女の顔を見て、一瞬ドキリと胸が鳴った。
けして美人ではない顔の作りの彼女だが、どこか小奇麗で愛嬌のある表情だ。
不安で垂れた眉がなんとも情けないが、そんな表情にドキリとした。
「そりゃあ、こっちのセリフなんだよ。」
「待って、違うのよ。私はそんな尻軽女じゃないもの。」
彼女はひとりごとを言いながら、右手で頭を抱え、左手で俺に「待て」のポーズをしたまま動かなくなってしまった。
何分くらいそうしていたのだろうか、吸いかけの煙草を吸い終わるまでの数分、彼女はピクリとも動かなかった。
一人でうんうん唸ったかと思うと、急に開き直ったかのようにベッドの上で正座をし、俺の瞳をじっと見つめた。
「何? なんか思い出した?」
「私は未来です。あなたは?」
思い出せなかったのか、突然、彼女は律儀にも自己紹介をした。
それがおかしくて、ふっと笑うと、彼女は満面の笑みを浮かべて「名前は何?」と首をかしげた。
俺は裸のままの彼女にシーツをかぶせると、彼女は気にもしないで「名前は」と続けた。
「陽介。朝倉陽介」
自然に笑うことを忘れてしまった俺は、きっと表情一つ作らないで自分の名前を吐き捨てた。
酒やけした喉が、かさついた声しか出せなくなっていた。
それでも彼女は俺の名前をひろい、「陽介ね。」と無邪気に笑っていた。
子供のように、優しく綺麗に笑う彼女の口元に、うっすら青紫色のあざが浮かび、口の端が切れて血が滲んだあとがあった。
きっと昨晩、自分が無理やり彼女を抱いた時につけた傷なのだろう、と頭の片隅で考えていた。
こんな休日の朝は稀ではなかった。
「口、平気なの」
彼女は思い出したかのように口元に触れた。一瞬、震えた彼女の体と泣きそうになる表情を見て、記憶があることには気付いていた。
昨晩のことは何も覚えてないの。とだけ繰り返す彼女に、俺は何も追及しなかった。
きっと、思い出したくもないのだろう、と、他人事のように俺は感じていた。
こんな休日の朝は稀ではない。
だけど、こんな女は久しぶりのように感じた。
彼女の腕を手繰り寄せるように引き寄せると、彼女は一瞬拒んだが、すっぽりと俺の腕の中に収まった。
素性も知らない女を脇に抱えながら、愛しい、というような理解しがたい感情が自分の中のどこか奥底深くから湧き上がってくるのを感じた。
「なあ、おまえ、名前なんつった」
彼女は、今自己紹介したばかりだと、少し不機嫌になりながらももう一度名を名乗った。
傍のぬくもりと、名前だけがすべてだった。それでも心が温かくなるのを感じた。
「俺ら、つきあわねーか」
カーテンの隙間から差し込む光がやけに眩しくて、俺は目を細めた。
うんともすんとも言わぬ女の顔を覗き込むと、彼女はまた寝息を立てはじめていた。
恋なんてきっと、はじまりは単純で、でたらめで、きっと、そんなものだ。