↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術監査官をクビになった俺、辺境の生活魔術を直して暮らしを立て直す  作者: 綴木 灯
第三章「直し続ける仕組み」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/27

戻るのではなく

中央からの正式な依頼書が届いたのは、地域試行の記録をまとめた二日後だった。


紙は一枚ではなかった。


表紙。


依頼の目的。


予定期間。


求める技術意見。


旅費と日当。


秘密でもないのに、封はやけに厳重だった。


「増えましたね」


ニコが言った。


「前の紙は一枚だったのに」


「前のは意向確認だ」


ユリウスが答える。


「今回は、受けるなら何を頼むかまで書いてある」


町の管理所の長机には、依頼書のほかにも紙が並んでいた。


診療所の春更新後確認。


東側街灯の絶縁点検。


共同井戸の圧記録確認。


穀物乾燥設備の季節前点検。


洗浄場の弁交換。


どれも大事故ではない。


だから、先延ばしにしてよいわけでもなかった。


マーヤは中央の紙より先に、町の予定表へ指を置いた。


「で、何日いなくなるの」


「案では五日です」


ユリウスが答えた。


「地域局で二日。中央から来る検討担当との確認が二日。必要なら現地確認一日」


「必要なら、って誰が決めるの」


「そこも含めて今日詰める」


マーヤはレオンを見た。


「五日抜けると、何が動く?」


戻るかどうか、ではなかった。


その聞き方に、レオンは少しだけ安心した。


中央から名前を呼ばれた。


昔なら、その事実だけで余計な意味を探していたかもしれない。


戻れということなのか。


今さら認めるということなのか。


断れば、また逃げたことになるのか。


だが今、机の上にはもっと具体的なものがある。


五日。


その間に町で何が止まり、何なら別の人間が続けられるか。


「診療所の確認は、四日後です」


レオンは予定表を引いた。


春に恒久修理した枝の、一か月後確認。


通常負荷。


保存庫の使用記録。


保護器履歴。


修理箇所の再確認。


「これは有資格の技術確認が要る」


マーヤが言う。


「はい」


「あなたじゃなきゃ駄目?」


「私である必要はありません。セドル技師でもできます」


「呼べる?」


ユリウスが手帳を見る。


「四日後なら、午後だけ空いている」


レオンは首を振った。


「呼ぶ必要はないと思います」


三人が見る。


「中央側の日程をずらせるなら、私が町にいる日にやります。わざわざ他の有資格者の時間を使う理由がない」


「じゃあ五日連続は無しね」


マーヤがすぐに線を引いた。


中央側の案が、一つ消える。


ニコが隣の予定を覗いた。


「街灯は俺でいいですよ」


「絶縁点検だけなら」


「分かってます。分岐箱開けて、焼けと湿気見て、停止状態で抵抗測るところまで。通電後に変な履歴出たら呼ぶ」


レオンは頷いた。


「東側は前回図面も更新済みです」


「井戸の圧記録も、読むだけなら俺とバルトさんでできる」


「異常がなければ記録継続。警告か範囲外があれば、その時点で上げてください」


「はい」


ニコは自分で二つの欄へ名前を書いた。


以前なら、その横にレオンの確認欄を一つ増やしていたかもしれない。


今は要らない。


ニコができる仕事を、レオンが留守だから特別に任せるわけではなかった。


もともと、ニコの範囲だった。


「乾燥設備は?」


マーヤが聞く。


「季節前の外観と停止中確認は現地でできます。ただ、今年交換予定の主保護器はまだ触らない」


「部品、まだ来てないですしね」


ニコが言う。


「だから、それもあなたが五日いない理由にはならない」


マーヤは予定表の残りを見る。


洗浄場。


診療所。


井戸。


街灯。


乾燥設備。


レオンの名前が必要な欄は、思っていたより少なかった。


少ないことが、不安ではなかった。


*


「で、向こうは何を頼みたいの」


町側の予定が一段落してから、マーヤがようやく中央の紙を引き寄せた。


ユリウスが表紙をめくる。


「混在世代の生活魔術設備について、次回の保守・監査手順を作る。そのために春の地域記録を比較して、試験条件と停止条件を整理したい」


「そこまでは聞いた」


「具体的には三つ」


指を一本立てる。


「地域で出た記録の技術側整理」


二本目。


「混在条件を再現する試験の組み方」


三本目。


「試行中に、どこで止め、何が揃えば次へ進めるかの条件案」


マーヤはレオンを見る。


「それなら、今までやってきたことの続きね」


「はい」


「それ以外は?」


ユリウスが一枚めくった。


そこに、レオンが引っかかった文があった。


必要に応じ、対象地点の技術確認および承認支援を行う。


短い一文だった。


昔、似た種類の短い文を何度も見た。


確認。


承認。


協力。


言葉は短い。


だが、どこまでを含むかは書き方一つで変わる。


「ここ」


レオンは指した。


「広すぎます」


ユリウスが覗き込む。


「私もそう思って持ってきた」


「なら最初から直して」


マーヤが言う。


「中央の原案だ。私が勝手に削るより、本人に線を引かせた方がいい」


「性格悪いですね」


ニコが言った。


「仕事だ」


レオンは紙を自分の方へ寄せた。


対象地点の技術確認。


どの地点か。


何を確認するのか。


承認とは、何を動かしてよいと言う承認なのか。


遠くの設備を記録だけで最終確認するのか。


現地の運用再開まで含むのか。


そこが曖昧なら、また一つの名前へ意味が集まる。


「私は、記録だけを見て遠隔地の最終技術承認は出しません」


レオンは言った。


「そこは中央側も想定していない」


「書いてありません」


「そうだな」


ユリウスは反論しなかった。


レオンは文の下へ別の案を書いた。


選定された高危険度試験について、現地での技術確認に参加する。


最終承認は、その地点を実際に確認した有資格者が行う。


「あなたが現地へ行った場合は?」


マーヤが聞く。


「私が確認した範囲なら、私が技術確認者になることはあります」


「その場合でも、いつ動かすかは?」


「現地の運用側です」


「そこも書く?」


「書きます」


技術確認は、再投入可能条件を満たしたかを扱う。


実際の運用再開時刻・利用順・延期判断は現地運用者が持つ。


ニコが横から読む。


「長い」


「短くして意味が増えるよりいいです」


「それ、前にも言ってましたね」


「前にも必要だったので」


ユリウスは別の箇所を指した。


「地域の更新日程調整への助言」


「助言なら構いません」


「責任は?」


「私は技術条件を出せます。地域全体の利用損失や輸送順まで、私の承認事項にはしません」


マーヤが頷く。


「そこを一緒にしたら、前の地域試行を全部忘れることになる」


「忘れてない」


ユリウスは紙へ追記した。


地域日程は、技術条件・現地運用条件・資材/移動条件を分けて決定する。


レオンの担当は技術条件案。


「これで、中央へ戻るんですか」


ニコが急に聞いた。


レオンは顔を上げた。


ニコは冗談ではなさそうだった。


「戻る、というのは?」


「前のところにまた雇われるとか」


「そういう依頼ではありません」


「でも中央の仕事でしょう」


「中央から来た仕事です」


ニコは少し考える。


「違うんですか」


レオンも紙を見る。


町の保全契約。


地域局の委嘱案。


中央側の検討資料。


全部、同じ机に載っている。


以前なら、仕事は一つの所属へまとめるものだと思っていた。


監査官なら中央。


町の技師なら町。


どちらにいるのかを決めれば、責任も決まるように見えた。


だが、実際にはそう簡単ではなかった。


町にいても、レオンが全部を決めるわけではない。


地域へ出ても、地域全部を背負うわけではない。


中央の手順に意見を出しても、中央の全設備を承認するわけではない。


「前の席へ戻る話ではないです」


レオンは言った。


「町の仕事をやめる話でもない」


「じゃあ、何になるんです?」


「まだ名前は要りません」


マーヤが笑った。


「名前が付くと、また紙が増えるから?」


「それもあります」


*


期間は、五日連続から変えた。


最初の二日。


地域局で記録を整理し、中央から来る担当と試験条件を詰める。


三日目は町へ戻る。


診療所の一か月確認。


四日目は、必要なら追加資料の整理。


現地試験が必要なら、別日に一日。


最初の試験結果を見た時点で、委嘱内容を一度見直す。


「期限、二週間?」


マーヤが聞く。


「最初の区切りを二週間にします」


レオンは答えた。


「そこで仕事が増えてたら?」


「増えた理由を見て、受けるか決めます」


「自動で延長しない?」


「しません」


「町側の契約は?」


「そのままです」


マーヤは町の予定表と依頼書を重ねた。


「なら、町としては受けられる」


許可、ではなかった。


レオンが中央の仕事をするのに、マーヤの許可が要るわけではない。


だが、町の保全契約を続けるなら、町側が何を受け入れるかは別の話だった。


「困る日は先に言う」


マーヤが続ける。


「あなたがいなくても進む仕事は進める。でも、高危険度の確認が重なったら、中央の方をずらしてもらう」


「はい」


「中央が急げって言ったら?」


ユリウスを見る。


「理由を出してもらう」


ユリウスが答えた。


「急ぐ理由が技術的ならハルツと調整する。日程だけなら地域側で組み直す。町の契約を消して優先する前提ではない」


「それならいい」


ニコは自分の予定表を見ていた。


「俺、街灯と井戸の方はやっときます」


「お願いします」


「乾燥場も現地の人と見ます。主保護器は触らない」


「はい」


「診療所は?」


「三日目に私が見ます」


「じゃあ、普通ですね」


「普通です」


中央から依頼が来ても、町の予定表は消えなかった。


それが、レオンには一番分かりやすかった。


*


ユリウスが最後の欄を埋めた。


委嘱期間――初回二週間。


担当――混在設備の記録整理、試験条件案、停止・見直し条件案。


現地参加――選定した高危険度試験のみ。


対象外――記録のみの遠隔最終承認、地域の日常運用判断、全例外の一括承認。


町の保全契約――継続。


初回試験後――委嘱範囲を再確認。


「これで出す」


ユリウスが言った。


「中央が削れって言ったら?」


ニコが聞く。


「削る理由を聞く」


「通らなかったら?」


レオンは紙を見た。


仕事を欲しいかどうかだけなら、答えは簡単だった。


やってみたい。


地域で出た記録が、次の手順へどう残るのか見たい。


自分が昔、作れなかった混在条件の検証方法を、今ならもう少しまともに作れるかもしれない。


だが、やりたいから曖昧な責任まで受ける必要はない。


「この範囲でなければ、受けません」


レオンは言った。


言葉にしたあとも、胸は固くならなかった。


断る準備をしたからではない。


受ける条件を、自分で決めたからだった。


*


返送文を出したのは昼過ぎだった。


返事はその日の夕方に来た。


条件受理。


初回委嘱――二週間。


地域局での記録検討――翌日から二日。


選定現地試験――別途日程調整。


現地の最終技術承認――現地確認者。


運用判断――現地側。


最後に、中央の検討担当者名が二人並んでいた。


誰もレオンの旧部署への復帰について書いていない。


謝罪もない。


歓迎の言葉も、特別扱いもない。


それでよかった。


「通った?」


マーヤが聞く。


「はい」


「じゃあ明日、地域局?」


「はい」


「診療所は三日目」


「覚えています」


「忘れたら困るから言ってる」


ニコが横で笑った。


「中央行って偉くなって忘れるかもしれない」


「地域局です」


「そこ?」


「そこです」


レオンは返送された紙を畳んだ。


契約が一つ増えた。


所属が戻ったわけではない。


町を離れると決めたわけでもない。


自分の仕事の範囲が、一つ増えただけだった。


それを、自分で選んだ。


*


翌朝、地域局の机には、すでに大きな木箱が二つ置かれていた。


「全部?」


ニコならそう言っただろうと、レオンは思った。


今日は同行していない。


ニコは町の街灯点検へ行っている。


ユリウスが一つ目の箱を開ける。


地域別の記録束。


変更図。


試験票。


事故報告の写し。


現地からの改善提案。


紙の端には、それぞれ小さな札が付いていた。


北東。


西丘陵。


川沿い。


山側。


「春の地域試行だけじゃないんですね」


「中央側が比較用に出してきた。混在設備で、似た条件の記録を集めている」


レオンは最初の束を取った。


西丘陵地域。


共同浴場の給湯設備。


旧式の蓄圧槽。


新規格の保護器。


その間に現地加工の移行部。


構成は、珍しくない。


現地修理人の提案も付いていた。


現在の低負荷・通常負荷とも安定。


移行部のみ交換。


蓄圧槽は継続使用。


部品交換後、通常の圧保持試験と保護器作動確認。


利用停止は半日。


代替浴場あり。


「筋は悪くない」


レオンは言った。


「現地の技師も同じ評価だ」


ユリウスが答える。


「ただ、作業はまだ始めていない」


「なぜです」


ユリウスは共通確認表を一枚抜いた。


蓄圧部を残して新保護器へ接続する場合。


保護器停止後の残留供給確認。


戻り側圧の遅延確認。


遮断後、旧蓄圧部から主系統へ流れが継続しないこと。


レオンは目を止めた。


現地提案の試験項目には、そこまで書かれていない。


「この確認、いつ追加されたんです」


ユリウスが別の紙を渡した。


八年前。


別地域の洗浄設備。


新しい保護器は正常に停止した。


だが旧式の蓄圧部が数秒だけ供給を続け、戻り側の接続へ圧が残った。


保護器は動いた。


設備もすぐには壊れなかった。


作業員が停止を確認したと思って弁を開け、熱水が噴いた。


重傷ではない。


それでも、腕と肩に火傷を負っている。


事故後、混在接続の共通確認へ一項目が増えた。


今の西丘陵の修理人は、その事故を知らない。


レオンも知らなかった。


「現地案が間違っているわけじゃない」


ユリウスが言った。


「今見えている設備だけならな」


レオンは二枚を並べた。


現地の提案。


八年前の事故報告。


その間に、共通確認表がある。


現場にいた誰かの記憶ではない。


今ここにいる誰かの経験でもない。


それでも、忘れてはいけないものが一行になって残っている。


「明日、確認できる?」


ユリウスが聞いた。


「現地まで?」


「西丘陵の担当が、交換前の同型機を地域局の試験架台へ持ち込んでいる。現地の人も来る」


レオンは事故報告をもう一度見た。


中央の規格は、現場を知らない紙だと思ったことがある。


今も、紙だけで現場が分かるとは思っていない。


だが、現場の誰も知らない失敗を、紙だけが覚えていることもある。


「見ます」


レオンは答えた。


木箱には、まだ何十件もの紙が残っていた。


中央へ戻ったわけではない。


それでも、町だけにいた時には届かなかった失敗が、目の前へ来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。