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刑法三十九条~そして行く先へ  作者: i/o
終章、世間・他人

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無限の審判~世間の行く果て

長かった……

「ここで速報です。20○○年〇月×日に発生した駅前無差別刺傷事件の実行犯とされた男に最高裁判所が破棄自判を行い無罪判決が出ました。五年に及ぶ長期裁判の中で、aの心神喪失が認められ責任能力はないことを最高裁判所が断じました。刑事事件としては三年ぶりの最高裁判所による破棄自判です。異例の差し戻し審の実刑判決からの逆転無罪です。繰り返します………………」


 速報が繰り返される中で、アナウンサーは解説に事の詳細を求める。


「今回の事件では、解説役として中継で社会部の△△弁護士に繋いでいます。まずはこの事件、心神喪失という状態の人物が殺人未遂を起こした事件としては殺人未遂の中でも戦後最も注目された事件と言っても過言ではありません。何故これほどまでに社会の注目を集める裁判となったのでしょうか?」


「……はい、まずは青年aが統合失調症になった原因が企業による極めて悪質なパワハラによるもので、はたらいている同世代の若者の関心を集めたと推測されます。自分たちも、パワハラを受けていると言った人が精神疾患になり事件を起こす可能性があることに恐怖を感じたのが若者の関心を集めたと理由と考えられます。もう一つは事件の悪質性です。指示役であるBによって精神病院から誘拐・監禁し、殺人を指示させ、もはや人間を道具として扱っている。そんな非道な行いに対し社会から多くの怒りを買ったのも一つの要因と考えられます」


「もう一つお聞きしたいのは鑑定留置と公判前整理手続きの期間を除いたとしても裁判に五年の歳月がかかった理由とは何なのでしょうか」


「……はい、この事件の裁判がこれほどまでに長引いた要因としては、精神疾患としては極めて珍しく逮捕後の症状の寛解があります。通常であればほとんどが統合失調症を患っている場合は逮捕後を含めて裁判中も寛解していない例が今までは殆どです。逮捕直後に寛解したのもあり捜査機関としては、本当は事件中症状が原因でその行為を行っていなかったのではないかという判断で実刑を求めたのがこの裁判の長期化の一つの要因として考えられます。同じく裁判所としてもほとんど前例のない中での裁判となったため判断に慎重にならざるを得なかった側面も見受けられます」


「ありがとうございます。続いては……」



 テレビ番組は全局この裁判に関する速報に切り替わった。街角では新聞各社の号外が配られ、ネットニュースもこの話題で持ちきりである。



 殺人未遂。人を殺めようとして被害者が死ななかった際にその行為を罰する規定である。当然ながら殺人と違い人は死んでいない。報道各社やネットからすれば特ダネでも何でもない日常の一つに捉えられるほどのものである。それが何故凶悪な殺人事件よりも報道されているのか。


 世論を動かしたからだ。どれだけ凶悪でも世論が見なければ動かない世界で、この事件と裁判は大衆を煽り続けた。


 繰り返される青年aに対する無罪判決の速報。高校生の僕にとっては無関係な話、ではなかった。被害者は僕と同世代の高校生で、駅前で統合失調症の男が高校生三人に重傷を負わせた。指示役の男は四年前に既に無期懲役が確定している。


 五年前、殺人未遂事件としては異常ともいえるほど世間を揺るがした大事件であった。この事件がきっかけとなり病院の管理体制が見直され、防犯対策費用が国からの補助金として多額の予算案が可決されるほどであった。


 世論はこの事件によって大きく変わった。刑法三十九条一項に対して否定的な意見と肯定的な意見が真二つに分かれた。被害者への同情。aへの同情。ネットでもいい争いになり専門家でも量刑と責任能力に対し意見が割れた。


 aの境遇を知り、次は自分かもしれないと思う社会人たちによって、ブラック企業に対する不買運動が全国で展開される。消費者責任という言葉が再注目されるきっかけにもなった。それもあり当時ブラック企業と言われた会社は多くが倒産に追い込まれ、見せかけホワイトに転身する会社が急増した。求人票詐欺がこの年は二十七倍に増えた。労基が本腰を入れたとはいえ不買運動後に急増したのは誰の目にも明らかだった。ブラック企業は詐欺をしなければならないほど追い詰められていき世論の恐ろしさを痛感させられていた。


 被害者支援も見直される。病院側が自己的に管理責任の不足に対し賠償を行ったものの、国からの支援はほとんどなく、この事件を機に一般社団法人「心神喪失者及び心神耗弱者による事件被害者支援の会」が設立。国に対し支援の充実を求め、被害者らは見舞い金を国から支給された。当時、衆参両院総選挙と重なったのもあり多くの政党が犯罪被害者支援を公約に掲げていた。超党派による法案及び予算案が可決され多少は良くなったと言われている。多少だが。


 人は何かを犠牲にしなければ前へは進めない。皮肉が世論を戒めた。それでもこの裁判がきっかけとなり折れずに進んでいく世論が出来上がっていた。諦めきれない。そう叫ぶ声がかすかにでも増えたように感じた。それほどまでに社会に大きな影響を与えた事件であろう。速報が入ったのは必然である。




 僕が小学生低学年のころに起きたこの事件は僕にとって、また起きた一つの事件のようにしか思えなかった。しかし高校生に上がったときにクラス内のディベートでこの事件に関する議題を討論することになった。ここまで語った内容はパソコンで調べていた、駅前無差別刺傷事件の影響力に関する調査の一部である。ここまで世間を動かしていたなんて思いもよらなかった。


 正直言って面倒くさい。討論会なんて。大体こんなに小難しい話、高校生が習う範囲のものではないと思う。しかし討論会の反対役、いわゆる刑法三十九条の存在は適切でないという説明役を任されてしまったからにはもうやるしかなかった。そんな事情もありパソコンを開き当時の事件の様子を検索してみることにしていたのだ。今も昔もニュースなんてあまり聞いていなかったし、見たり聞いたりしているニュースは物価高についてと政治の混迷ぐらいだった。殺人事件のような話題なんて、闇バイトへは絶対に応募するなぐらいの感覚でしか付き合ったことはなかった。


「統合失調症とは……」

「駅前無差別刺傷事件とは……」

「刑法の適用要件とは……」

「刑事責任とは……」

「パワハラとは……」

「ブラック企業の責任とは……」

「刑法三十九条は……、あれ、ここだけサイト欄以外にも匿名掲示板とかで色々議論されているものなんだな。刑法三十九条とは心神喪失者の行為は、罰しない、か」


 思えば不思議な条文である。社会の治安を守るための刑罰がその意味をなさない瞬間があるとは僕からしてみれば矛盾しているようにしか見えない。


 しかし、今回の事件に限っては違った。青年aはもともと普通の病院にいて適切な治療を受けていたのに誘拐されて犯行に及んだのだ、いや、及ばされていた、の方が正しいだろう。


 じゃあ、青年aが病院にいなかったら罰せられたのだろうか。否、ただの普通の青年がブラック企業に心を壊されて普通に生きるという人間として最低限の生活すら奪われた人間に、刑の理解すらさせずにただ監獄に入れたままにし、刑期が終われば普通の社会に戻すというのは、法治国家の形としての刑の科し方として正しいのだろうか。


 読めば読むほどどうしてもaに対する反論方法が無くなってくる。それどころかaを法律論的に言えば擁護するほかにない形ができる。


 今まで思っていた。悪いことをしたら捕まる。お仕置きされる。当たり前のことだった。でも、aは理解ができるのだろうか。自分がしてきた罪の重さというものを。


 病院へ強制入院させ心身の回復を待ってから社会へ出すか。


 刑の理解もないまま無駄な数年を過ごさせるのか。


 本当に社会にとって、被害者にとって理にかなうのはどちらなのだろうか。


 いっそのことみんな死刑にしてしまえばいいとも思う。でも病気だから死刑のような制度があればその権力はどのような形で向かってゆくのだろうか。破滅以外に見える世界はなかった。国がてきとうにお前は病気みたいだからという理由で、死刑のような制度があれば気に入らないものを簡単に病気、国家の方針に従わない病人(反逆者)として粛清できてしまう。


 ナチスや旧ソ連時代の悪夢が蘇る。


 ここまで考えてしまうと刑法三十九条の存在を否定できなくなってしまった。


 ディベートなんかこんな状態じゃできっこない。被害者のためと思って考えたこの役は不思議なまでに破綻してしまう。


 正義とは一体誰がどう決めるのだろうか。被害者が苦しんでまで受け入れるのが正義なのだろうか。正義は一体誰のものなのだろうか。


 たかが一文、されど一文。


 日本国憲法による刑法誕生から、もう七十年以上は経つ中で全く変わらずに存在している一文は多くの民衆の怒りを買ってきた。


 しかし正義とは民衆が全てではない。


 これが結論になってしまった。


 変わるべきは刑法三十九条なのだろうか。


 やっと気づいた。本当に変わるべきはaを統合失調症に追い込んだブラック企業、社会の根性理論。Bを作った民衆による見殺し。どちらかが無かった。あるいはaが最初から辛いと叫んでいればこの事件は起きなかったであろう。


 僕らは言い訳を求めていたのかもしれない。自分達にはできないから国が勝手にやってくれと。


 今、僕たち自身が動かなければ絶対に変わらない。社会は社会に対して無限に審判を行わなければ悲劇は起きる。




 ディベートの内容は悔しかったが一つも反論できずに終わった。でもこんなにも論破されてよかったなんて思うことは人生で初めてだった。


 世間の行く果ては自分たちが決めるほかない、いや、自分が変えなければ動くことは決してない。一声で変わる。儚くも美しい世界だと悟るように感じた。










 数年後にテレビ特集される事件簿、青年aの動乱というドキュメンタリー番組で僕は解説側に回ることになった。


 あの日の討論会で率直に自分の意見を述べた。問題は刑法自体の物なのかと。内容を言えば言うほどクラスの反論は消えていく。正義ではない正義。語れば語るほど謎が増すばかりの謎な終わり方を迎えてしまった。投票では負けたが。


 このドキュメンタリー番組の解説役の弁護士として僕はこれから青年aを語る。



 あの日はどうしても結論に対して納得できなかったが、今なら言える。




 刑法三十九条は必要悪なのだと。刑法三十九条があって、不条理で非情でも行く先が見えるのだと。




 これが他人として見た、歴史の断片しか見ていない、自分の答え。


これで最終回です、最後までお付き合いしていただき本当にありがとうございます。法律は常に知っているものの味方。そして、社会を作っているのは他ならぬ自分自身の存在があることを忘れないでほしい。人は後悔してやっと学ぶ生き物なのだから。

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