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「澤田先生。どうですか?」
五十代の男は少し前のめりになりながら恐々とした声で正面の医者に尋ねた。タブレットを見下ろす澤田は数秒見続けた後、思わしくない表情を上げる。どこかのクイズ番組さながら緊張感のある沈黙が数秒続くと澤田はゆっくりと口を開いた。
「残念ながらステージ四の癌です。複数に転移が見られ――」
一度言葉を途切らせた澤田を表情すら変える余裕のない男はじっと見つめていた。
「かなり厳しい状況です」
力無く首を振る医者に対し、男は数秒の間ただ黙ったままだった。澤田もその間、静かに待ち――暫くして男がゆっくりと口を開く。
「き、厳しい状況? ……という事は」
「余命四ヶ月といったところでしょう」
話している内容とは相反して奇妙な程に静かな診察室で一人頭を抱える男。
「治療は――何とか出来ないんですか?」
「ここまで進行し、かつ多発転移の場所も含めると難しいのが現状です。それにご負担の方が大きくなってしまう可能性が大きいです」
「そんな……」
絶望色に染まった顔を上げた男は縋るような双眸で澤田を見上げた。
「それじゃあもう――」
「今後としては緩和ケア。もしくは……」
澤田は改めるように座り直すと少し前のめりとなった。
「PEATというのをご存知ですか?」
「ぴーと?」
「日本語では幻躯討滅術という名称の特殊外科手術です」
「そ、それで治せるんですか?」
その言葉で表情を微かに煌めかせた男の双眸には一筋だが希望が宿っていた。しかし澤田の方は何やら懸念がある様子。
「これはまだ試験的に導入されている術式です。普通とは大きく異なる特殊な方法で、リスクもあります。――ですが、もし成功すればどんな病気も完治させる事が可能です」
「治るんですか?」
「成功すればですが……」
当然だが念を押す様に断言はしなかった。
「確率は?」
「データも数少なく、私には専門外なので何とも言えません」
「もし失敗したら?」
「――助かりません」
余り動揺しなかったのは男の中で幾分かの検討は付いていたからなのだろう。だがそれでも受け止めきれない分、その視線は顔をつれ僅かに下がっていた。
「不治の病すら治療出来る可能性もある――医療最後の希望と言っても良いでしょう。ですが、当然ながらそこにはリスクもあります。しかし同時にピートチームは特別な訓練を受けた者達で構成されています。普通の医療ではない方法ですが、彼らなら可能性を切り開けるかもしれません」
しかしながら男が決断を下すには、初めて聞くその言葉は余りにも未知数。踏み出し切れず、何も言えず、ただ顔を俯かせるだけだった。そんな男の心の中では当然の如く葛藤が渦巻いていた。手術の成功に賭けるべきか、それとも家族と残された時間を過ごすべきか。頭の中で答えを探していたが、そう易々と見つかるはずもない。
「チームの方へご案内させて頂きますので、まずは説明だけでも聞いてみるのはいかがでしょうか?」
その提案に男は少し時間をかけて顔を上げた。
「……お願いします」
「分かりました。――増村さん」
澤田が振り返り名前を呼ぶと裏から女性の看護師が一人診察室へ。
「ピートの第三チームの所に案内お願いします」
「はい」
増村が返事をしている間に男は立ち上がり、澤田はスマホを取り出した。
「では、こちらへどうぞ」
そして二人は診察室を後にし、澤田は電話を一本。
「もしもし、内科の澤田です――」
増村の後に続きエレベーターへ乗り込んだ男は地下へと向かっていた。静寂の中、ただただ視線が重そうに顔を俯かせる男。逡巡と混乱の渦から抜け出せずにいた今の彼は、赤子のように案内されるがまま動いているようだった。
そしてエレベーターは地下三階へ。聞き慣れた音が鳴り響いた後、ドアが開くと視界端に捉えていた増村が歩き出しそれに男も続く。
「こちらへどうぞ」
その声に顔を上げた男を迎えたのは三つのドア。受け付けの類は無く一定間隔を空け、ただ同じ顔色のドアが並んでいるだけ。それはまるでどれを選ぶかで今後の行く末が決まってしまいそうな運命のドアのようだった。
だが今の男に選ぶ権利はなく、増村に言われるがまま『第三チーム』と書かれたドアへ足を進めていく。そして増村は忍び込むような静かさでドアを横へ引いて開け男を連れ中へと入って行った。
部屋の中は、中央に楕円形のテーブルと奥の隅にそれぞれパソコンが置かれたデスクが横並びに二つ、左手にウォーターサーバーとコーヒーメーカーにディスペンサーが置かれているだけ。それと天井にプロジェクターが設置されていた。
「こちらにお座りになってお待ち下さい。すぐに担当の者が参りますので。こちらはご自由にお飲み下さい」
「はい」
「では少々お待ち下さい」
一度頭を下げ増村は部屋を後にした。ドアが閉まると部屋には静寂が広がり、それがより一層に男の思考と不安を巡らせる。