第8話 審判の日
王国歴999年、3月10日――バースカリア大陸中部、アルザールの町。
午後7時21分――アルザールの町、宿屋2階の客室。
「大丈夫だって。あんたは落ちない。あたしが保証する」
「…………」
「あんたの成長力には目を見張るものがあるし、機転もきく。魔導士にしては珍しく剣が使えるっていう、あたしたちにはない独自の加点ポイントもある」
「…………」
「それに一昨日、師匠と話したときも――あいつ、実はけっこう強いんですよ。この前の魔族狩り勝負でも、リックをボコボコにしてたし。もしかしたら、セシリアさんより強いかも――って、遠回しにあんたのこといっぱいアピっといたから」
「遠回してないけどな……」
ラムはそこで初めて、ボソリと返した。
もう五分以上、ずっとこんな調子である。
同部屋のルルゥが、隕石でも落ちてくるんじゃないかというくらいの勢いで励ましてくる。
今日は審判の日。
おそらく彼女は、そのことで自分がナーバスになっていると思っているのだろう。
実際は、ただ単に寝不足で口数が減っているだけなのだが。
「少なくても、あの日から一週間、風邪引いたまま、ずっと部屋で寝込んで――」
「なあ、ルルゥ」
「えっ、なに?」
遮るようにそう言うと、びっくりするほどすぐに反応された。
ラムは実際、若干秒びっくりすると、だがすぐに表情を切り替え、
「アピッてくれたのはありがたいんだけどさ。セシリアよりも強いなんて――師匠がもしそれを真に受けたら、おまえにとってマイナスになるんじゃないのか?」
「マイナス? なんで?」
「なんでって……」
これはゼロサムゲーム。
他者の評価が上がるということは、相対的に自身の評価が下がるということ。
ラムが繰り上がったことで、ルルゥ自身が最初の脱落者となってしまうかもしれない。
彼女にはそのことが分かっているのだろうか?
思ったが、だがそれは無用な気遣いだったとすぐに分かる。
ルルゥはキョトンとした表情のまま、当たり前のことを言うかのような口調でこともなげに言った。
「三番目が二番目に上がったからって、あたしにマイナスになることなんて何もないじゃない。トップのあたしには関係ないし」
ああ、彼女はこういう人間だったとラムは思い出した。
そうして、運命の瞬間は訪れる。
◇ ◆ ◇
同日、午後10時――アルザールの町、宿屋2階の客室。
「……いよいよだな」
そう言ったのは、誰だったか。
口調からしてローフィだったと推測されるが、明確にローフィであったと断言できないほど、ラムの心は『それのみ』に集中していた。
おそらくはこの場に立ち並ぶ、ほかの七人もみな似たような状況だろう。
誰もが、その『瞬間』を固唾を飲んで見守っている。
それを知ってか、知らずか――。
「儂の師匠は変わったヒトでなぁ。見た目も中身も変わっていた」
焦らす。
露骨に焦らす。
マスターリーナは、心底どうでもいい自身の昔話を語り始めた。
「おまえさんがたが儂の師匠を見たらきっと驚くぞぉ。もう三十年以上前に冥途の門をくぐっちまったが――」
「…………」
「いや、いきなり師匠との話をしたって感情移入はできねえか。モノには順序ってもんがあるもんなぁ。まずは儂の誕生秘話から――」
「お師様」
と。
そこで、おもむろにロゼが口を挟む。
彼女は無表情のまま、そうして抑揚の乏しいトーンでその先を続けた。
「お師様の過去話とか全然まったく興味ないです。早く本題に入ってください」
(……マジか。このガキ、ライオンハートにもほどがあるぞ……)
リーナだって人間だ。
こんな物言い程度で評価が変わることはないだろうとは思うし、確かにこの状況でどうでもいい前置きに時間を割かれるのも精神衛生上よろしくない。
が、だとしても言い方というものがある。
言い方というものがあるが――だがどうやら思ったほど、リーナは気分を害していないようだった。
彼はさして気にした様子も見せずに、
「ああ、すまねえな。もしかして、なんか勘違いさせちまったか? 最初の脱落者の発表は、一時間後を予定してる。今、集まってもらったのはそれとは別件。儂の過去とか気になってるだろうと思ってな。良い機会だから、おまえさんがたにその話を聞かせてやろうと思っただけさ」
「…………え?」
と、これは確実に自分の口から漏れた単音だったと断言できる。
が、同時にそれを漏らした人間が、少なくとも三人以上いたのも確かである。
「興味がねえ奴は、だから別に部屋で休んでてもかまわねえぜ。一時間後に、改めて呼びに行く」
かんたんに、言う。
かんたんに言われても、でもラムの脳はかんたんには処理できなかった。
が。
「そうですか。了解しました。では、一時間後に」
「えっ、聞かなくていいの? ラッキー。じゃあ、あたしも部屋戻るー」
「ふぁ~あ。一時間、暇になっちゃったなぁ。魔法の特訓でもしておくか」
「わたくしは、もうひと眠りいたしますわ。まだ体調が万全ではないので」
かんたんに処理した面々が、続々と部屋を出ていく。
誰一人、躊躇するそぶりさえ見せなかった。
「……おい、嘘だろ? おまえら、正気か……?」
そう言ったのはローフィだが、ラムも彼とまったく同じ心境だった。
聞かなくていいと言われても、残って聞くのが普通じゃないのか?
それが人としての『礼儀』ではないのか?
礼儀、では――。
でも結局、残ったのは自分とローフィ、それにセシリアを加えた三人だけだった。
その三人のみを相手に、そうして希代の大魔導士リーナ・フォルツの光り輝く半生は語られる。
その話の終わりに、衝撃的な審判が下されようとは、このときの彼らには無論知る由もないことであった。
震天動地の物語が、波乱の中で産声を上げる……。