第7話 パーフェクト・ウーマン
王国歴999年、3月3日――バースカリア大陸中部、アルザールの町。
午後11時37分――アルザールの町、宿屋2階の客室。
「……は?」
リックの、間が抜けた声が室内に響き渡る。
ラムも、だが正直言って彼と同じ心境だった。
「なんだ、聞こえなかったのか? 最初に戻ってきたのは、セシリア。午後5時23分に帰還した。その次がリック班で午後9時2分、最後がローフィ班で午後10時37分だ。持ち帰った核の数を見るかぎり、どの班も完璧に近い仕事をしてくれたようだな。ま、多少の討ち漏らしはあるかもしれねえが、九割退治できてりゃ御の字だ」
午後5時23分?
希代の大魔導士リーナ・フォルツの発したその言葉に、誰もが両目を丸くする。
ラムはごくりと唾を飲み込むと、その流れのまま、視線をその『当事者』である白銀の元女将軍へと向けた。
腰まで届く、トレードマークの白銀の髪。
前髪は眉の上で揃えられ、その下で揺れる黄金色の大きな瞳は強烈な意志の光を放っている。
青地のピッタリとした将校スーツに身を包んでいることで、戦士とは思えぬ抜群のスタイルがより際立っていた。
セシリア・ヴェルトハーム。
四属性魔法の全てを高レベルで使いこなす、齢二十三のうら若き元女将軍である。
「それにしても、ハンデとしてセシリアだけ一人のチームに組み込んだのに、情けねえ話だなぁ。おまえさんたち、儂の弟子になってから二週間近くも経つってのに、セシリア一人に敵わねえのか? そんなんじゃ教え甲斐も失せっちまうぜ」
「…………」
冗談じゃない。
ラムはあきれたように首を左右に振った。
自分で言うのもなんだが、この二週間で飛躍的に力が上がった。たった二週間弱で、今まで使えなかった上級魔法も(一番簡単だとされる風属性のみだが)使えるようになった。さすがはリーナ・フォルツと言わざるを得ないほど、彼の教えは的確で、それでいて異質だった(厳しいのはもちろんのこと、その修行内容が文字通り『異質』なのである。教科書通りの内容がほとんどない)。
だが、それでも「冗談じゃない」話なのである。
視線の先の、この完璧超人間をたった二週間の修行で超えろなど無茶な話だ。
自分だけじゃない。
この場にいる誰にだって不可能。リックにも、ルルゥにも、ローフィにも、ロゼにも、風邪ひいて別部屋で寝てるステラにだってできやしない。
リーナがいなければ、彼女は人類最強の戦士と言っても過言ではないほどの力量の持ち主なのである。
絶対的な本命。
リーナの横に立って、魔王に立ち向かうのは彼女を置いてほかにない。
バースカリアの国民の誰もが、そしておそらくは本人でさえもそう思っているであろう別格の存在だ。
(……最終的に超えなきゃならない存在だってのは確かだが、二週間やそこらで超えろってのは無茶苦茶すぎる話だ。俺にとっても、ほかの奴らにとっても、彼女は『ラスボス』だ。最後はセシリアとの勝負になると誰もが思ってる。そして俺が最初に脱落するだろうとも、おそらく誰もが思ってる……)
ついでに自分の置かれた状況も、心中で空しく再認識する。
(……ま、その現実に間違いはないが、道中の位置はしょせん道中の位置。大事なのは、ゴール前で先頭に立っているかどうか。その逆算ができているかどうか、その自信があるかどうかが最重要ポイントだ)
自分には、それがある。
唯一無二のレアスキル、『魔族特攻』と誰にも負けない無限の伸びしろ(とこれは勝手に自分でそう思っているだけだが)がラムに絶大の自信を与えていた。
絶大の自信――。
「ま、でも今日の成果としてはじゅうぶんだ。地域住民の不安は取り除けたし、おまえさんがたの良い修行にもなった。実戦に勝る修行はねえからなぁ。儂の期待通りに、この調子で三段飛ばしに成長していってくれよ。魔王は待っちゃくれねえからな。ちんたらしてっと、おまえさんがた全員置いてって、儂が一人で魔王を倒しちまうぜ」
と、最後に冗談めかして、リーナが言う。
冗談だと笑う者は、でも誰一人としていなかった。
そんな未来は、万にひとつもあってはならない。
◇ ◆ ◇
同日、午後11時57分――アルザールの町、宿屋1階のロビー。
「ルルゥに聞いたよ。今日の魔族退治、大活躍だったらしいな」
それは、予期せぬはち合わせだった。
少し夜風に当たろうと一階に降りたところ、偶然そこに居合わせたセシリアとバタリと出くわしたのである。
ラムは一瞬、言葉に詰まったが――彼女のほうから話かけてきたことで、労せず会話の流れに乗ることができた。
「あんたに比べたら小活躍にも満たないよ。師匠も本音では、あんたが三人欲しいと思ってるだろうぜ」
「ふふ、くだらん世辞はよせ。事実でも、そう言われたら反応に困る」
「そいつは悪かったね。でも、誰の口からもくだらん世辞しか出てこないと思うぜ。普通の感想を喋っても、あんた相手だとそれがくだらん世辞になっちまうからな」
褒めるつもりがなくても、褒めたことになってしまう。
苦笑し、彼女に背を向けると――ラムは後ろ手に手を振って、降りてきたばかりの階段に再び足をかけた。
と。
「ラムダ」
呼び止められ、再度振り向く。
セシリア・ヴェルトハームは、真顔で言った。
「私の直感が、最後はおまえとの勝負になりそうだと告げている」
「奇遇だな。俺の直感もそう言ってる」
間を置かず、ラムも即座にそう返す。
が、彼の言葉はそれだけでは終わらなかった。
ラムはセシリアの美顔を真正面から見据えると、
「が、俺のそれには続きがある。あんたと最後に競い合って――」
そう繋いで、迷うことなく最後を締めた。
「俺が勝って、師匠と共に魔王を倒す。ここまでが、俺の直感だ」
ラムダ・フロストの直感が、外れたことは一度もない。