第2話 史上最強の老魔導士 リーナ・フォルツ
王国歴、999年3月3日――バースカリア大陸、中部の街道。
午前10時7分――馬車の荷台。
ラムダ・フロスト――ラムは、十七歳の少年である。
身長、体重は並。
顔も自分では良いほうだと思っているが、いまだかつて一度も褒められたことがないので『並』なのだろう。
並。
一言で言えば、ラムは並の少年だった。たった一ヵ所、ある部分を除いて。
髪。
ラムの髪は、硬い。
とてつもなく、硬い。
赤ん坊のやわい肌ならば、容易に貫けるほどの硬さだ。
髪がほっぺに触れると痛いから――というエキセントリックな理由で、三歳の誕生日を機に、母親のベッドから追い出された苦い思い出も、彼の強靭な黒髪を如実に物語っていた。
そして、彼の黒髪は今も、その鋼の効力をいかんなく発揮している。
「くだらない内容だったら、あんたの自慢の髪を一本ずつへし折ってくわよ」
髪を折る、という表現はまさに奇矯。通常、髪は折れるほど硬くない。
だが、ラムの髪は折れるのだ。
折ろうと思えば折れるほど、彼の髪は確かな硬さを誇っているのである。
しかし、できることなら折られたくはない。
そう思うのが心情。
ラムは己の髪と尊厳を守るため、覚悟を決めて口を切った。
「まあ、気になるってほどのことでもないんだけど……」
ポキッ。
折られた。
最初の一本が。
ラムは仰天した。
「いやまだなんも言ってないんだけど!? どんだけせっかちなの!? おま、単に俺の髪折りたいだけだろ! プチプチできる袋を、プチプチするみたいな感覚で!」
眼前の少女は、ただ面白半分にこの髪を折りたいだけなのだ。
ラムは恨むような視線で、目の前に立つ少女をマジマジと見つめた。
三日月形の眉に、空色の双眸。
形の良い二重まぶたの下では、クリッとした大きな瞳が愛らしく揺れている。
あごの先に届くかどうかの長さの桃色の髪を、しっぽの短いポニーテールに無理くりに結んでいる様はどことなく、彼女の性格を表しているようでもあった。
美少女。
いずれ、十七歳の少女――ルルゥ・アーネストリーは、そう形容してなんら不都合のない容姿を持っていた。
ただし、あくまでそれは『容姿のみ』の話である。
中身は愛らしさのかけらもない。一度言葉を発すれば、彼女の悪魔が顔を出す。
「前置きが余計なの。気になることがある、って言われたら気になるじゃない。その気になることを言いなさいよ、さっさと。あたしは焦らされるのが大嫌いなの」
「……嘘だろ?」
焦らす、に対する見解が違いすぎる。
とまれ、それを言ったところで埒もない。
ラムはあきらめたように一息吐くと、
「魔王についてだよ。魔王イシュカリテ。あれって、元は低位魔族だったんだろ?」
「元は、って言うか、今もだけど? 魔族は低位魔族と高位魔族の二種に分類されてるけど、別に強さによって区分されてるわけじゃない。外見がヒト型のタイプを高位魔族、それ以外を低位魔族って便宜上定義してるだけ。まあ、分かりやすく言うと、知能が高いほうが高位で、低いほうが低位って感じかな。強さは関係ない」
「へー、そうだったのか。納得したよ。大陸に十万体以上いるだろうって言われてる魔族の中で、なんで低位魔族だったイシュカリテが魔王と呼ばれるまでに力をつけられたのか、ずっと気になってたんだ。胸のつかえが取れた気分だぜ。要するに、低位だから高位に比べて戦闘力が劣ってるとか、そんなことは全然なかったんだな」
「そういうこと。魔族はほかの生物を捕食吸収することによって、自身の力をレベルアップさせる、といった特殊な性質を持ってるけど、それは高位も低位も同じ。強大な力を持った他生物を、どれだけ多く吸収したか、そのことのみによって魔族の強さは決まる。生まれた時点での能力差はどれも似たようなモノよ。現魔王のイシュカリテにしても、たまたま巡り合わせが良かったんだろう、っていうのが定説ね」
「たまたま、ね……。あの暴力的な強さを手に入れるのに、どれだけの数の生き物の命を喰らったことか。その中には『人間』だって多く含まれてる。ふざけた話だな」
「ヒト型の高位魔族と違って、低位魔族には知性がないから、ほとんど本能的に行動しての結果だろうけどね。でも知性がない分、強くなると高位魔族より厄介。比較的穏やかで、話が通じる……交渉の余地がある高位と違って、本能の赴くままにとめどなく殺戮吸収を繰り返す。止めるには、倒す以外ない。それが分かっていて、三百年以上放置してたわけだけど」
「倒せる人間が現れなかったんだ、しかたないだろ?」
「そうね、しかたない。でも、三百年待って、ようやく魔王打倒できるかもしれない人間が現れた」
「リーナ・フォルツ……」
リーナ・フォルツ。
稀代の天才魔導士は、うん十年の修行を経て、文字通りの『史上最強』へと変化を遂げた。
そして、二十五年ぶりに王都に戻った彼は、その日のうちに、魔王討伐を高らかに宣言する。
王国歴999年、2月某日――。
三百年間果たされなかった平穏の奪還が今、一人の天才の手によって果たされようとしている。
否。
一人の天才と、彼に見込まれた無名の『弟子』の手によって――。
「ホント、今から楽しみだわ。師匠と一緒に、あの腐れ残虐脳筋魔王をボッコボコに打ち負かす瞬間が」
(楽しみ? 悪いが、ルルゥ。おまえはその爽快を決して味わえない。リーナ師匠の隣のポジは、十七年前からこの俺が予約済みだ)
その席だけは、誰であろうと譲れない。