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第18話 デービット・ウォーカー、10歳


 王国歴999年、4月17日――バースカリア大陸南部、ロドリゴ村。


 午後5時17分――ロドリゴ村、宿屋2階の客室。


「で、どこの骨を折られたい?」


 冷たい床の上で目覚めたデービットは、数分と経たぬうちに窮地に追いやられた。

 

 視線の先には、世にもおぞましい表情をした少女が立っている。その周りには見知らぬ男二人と、見知った少女二人も自分を取り囲むように立っていた。


 言い訳が、必要だった。


「ち、違うよ! オイラ、別に覗こうと思ってあんな場所にいたわけじゃないんだ! 散歩してたら、たまたま綺麗なお花が目について――」


「どこの骨を折られたい?」


 少女がもう一度、抑えた声で同じ言葉を繰り返す。


 ダメだ。


 デービットは絶望した。


 彼女にはもう、分かっている。女湯を覗くため、あの場所にいたのだと、彼女にはすでにバレてしまっている。


 まあ前回も(なんだかんだで)現行犯で捕まっているのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

 少女はコキコキと指を鳴らしながら、


「腕? 鼻? 首?」


「……あれ? オイラの聞き間違いかな……? なんかものすごくデンジャーな部位が普通に含まれてるんだけど……」


 デービットは背筋が寒くなるのを感じた。


 逃げるしかない。


 言い訳が通用しなかった今、デービットに残された手段は逃げることだけだった。

 

 とりあえず、この場さえ脱出できればなんとかなる。瞬発的な怒りなど、そう長く続くものではない。探してまで追ってはこないだろう。


「小指、おすすめします。あまり使わないので」


 見知った少女(確かローゼリアなんちゃらという名だったか。あの激カワの少女である)がいらぬ助言をしてくるが、デービットはその言葉を丸ごと無視して、横目で背後を見やった。

 

 窓だ。


 後ろは、窓。


 だが幸いにして、その窓は開いている。


(ラッキー♪)


 デービットは、ほくそ笑んだ。


 ここは二階だが、飛べない高さじゃない。基礎体力には自信があった。


 デービットは決心した。


 少女に感づかれぬよう、まずは後ろ手に窓枠を探る。


 発見。


 デービットはそれをがしりとつかんだ。


 準備は万端。


 あとはタイミング。逃げ出すタイミングだけだ。そしてそのタイミングは、思いのほか早く、彼の頭上に舞い降りた。


 唐突に、少女の目の前を羽虫が横切ったのである。


 彼女は鬱陶しそうにそれを払ったが――デービットは少女が見せた、そのわずかばかりの隙を見逃さなかった。


「アデュー!」


 振り向きざまに粋な言葉を残して、デービットは窓の外へと飛び降りた。


 不運(ハードラック)は、だがその直後に待っていた。


(……えっ?)


 デービットは、スローモーションを味わった。


 実際、地面に落着するまでの時間は一秒にも満たない刹那だったが、彼の脳はその短時間のうちに複数の事象を知覚した。


 まず視界に男が映る――この宿屋で下働きをしている、ヤーサン・ドスという四十がらみの男である。


 次に、このままではそのヤーサンと激突してしまうという危険な事実がデービットの脳裏を駆ける。


 彼はとっさに身体をひねった。ひねって、しまった。


 やばい。


 即座に後悔する。


 だが、それは絶望的なほど『あとの祭り』だった。


 コマ送りのように流れる景色のなか、デービットは体勢を崩したまま落下し――――そして。


 ゴキッ。


 スローモーションは、そこで終わった。


「う、ぎゃああああああああああッッ!!」


 つんざくような悲鳴を上げ、デービットはひねった足首を押さえて転げまわった。


 痛い。


 この痛み、まさにクレイジー。


「お客さん、どうしやしたっ!?」


 悲鳴に気づいたヤーサンが、血相を変えてデービットに駆け寄る。


 と、彼はデービットを見るなり、低い声でうなった。


「……コイツは、ひでぇすり傷だ」


「いやそっちじゃないよ! そっちはたいしたことないから! オイラ、今の今まで気づかなかったくらいだもの! やばいのこっち! 右のひじより左の足首っ!」


「なんと!? コイツはてぇーへんだ! ひどくハレてるじゃあねえですか! 下手したら骨折してるかもしれねえ! そうだ、何か添え木になるようなものを!」


 ヤーサンは慌てた様子で周囲を駆けずりまわると、やがて一本の太い枝木を持ってデービットのもとに舞い戻った。


 そうして、すぐさまそれをデービットの左足首にあてる。


「ダメだ! こいつじゃ長すぎる!」


 ヤーサンは無念そうに地面を叩いた。


 確かにそれは、そのまま添え木にするには大きすぎる感があった。


 だが、悪くはない。


 切って使えば、じゅうぶんにその役割を果てしてくれそうな丈夫な枝だった。


(……うぅ、良かった。運よくノコギリはそこに転がってるし、包帯の代わりになりそうな布きれも落ちてる。これで固定すれば、少しは痛みも和らぐよね)


 デービットは一安心した。


 が、その安心は二秒で不安に変わった。


「お客さん、ちょいと待っててくだせえ! 今、ひとっ走り森まで行ってちょうどいい枝木を見つけてきますんで!」


「えっ、なに言ってんの? あれ、おっちゃんもしかしてバカなの? めっちゃ分かりやすいトコにノコギリ転がってるじゃん! 切れるよそれで! 好きな大きさに! わざわざ森まで行かなくても――――て、おっちゃぁぁぁんっ!」


 ヤーサンはあっという間に森のほうへと走って消えた。


 デービットは唖然と固まった。足の痛みも忘れるくらいに。


 十秒後――。


 カランっ、という乾いた音が響き、デービットは我に返った。


 見ると、近くに二本の松葉杖と、石をくるんだ二枚の千ゴーロ札が転がっていた。


 どうやら、上から落ちてきたようである。


 見上げると――そこには案の定、窓から身を乗り出すようにしてこちらを見下ろす凶悪少女の姿があった。


 たった一言。


 デービットと視線が合うなり、彼女はたんたんと告げた。


「降りたついでに、それで温泉饅頭人数分買ってきて。しょうがないから、今回はそれで許してあげる」


 デービットは二つ返事でオーケーした。



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