第10話 最初の脱落者
王国歴999年、3月10日――バースカリア大陸中部、アルザールの町。
午後11時3分――アルザールの町、宿屋2階の客室(リーナの部屋)。
「…………え」
それが誰の口から落ちた単音か、答えられる者はいないだろう。
この場にいる、全ての人間の――当人を含めた、全ての人間の『意識』がその瞬間に飛んだ。
「ん、どうした? みんな、ハトが豆鉄砲を食らったような面して。おかしな発音になっちまってたか? だったら、もう一度言い直そう」
そう言って。
リーナ・フォルツはもう一度、全ての意識を吹き飛ばす衝撃の言霊を静まる室内に解き放った。
「最初の脱落者はセシリア。セシリア・ヴェルトハームだ。今日中に荷物をまとめて王都に帰りな。途中までは、儂が見送るよ」
「…………」
静寂は二分、いや三分近くはあったかもしれない。
その間、誰一人言葉を発せず――結局、最初にその静寂を破ったのは、当人であるセシリアだった。
彼女は露骨に感情を乱して、
「なぜですか!? 理由をお教えください! なぜ私が脱落者一号なのですか!?」
「悪いが、この場でそいつを言うことはできねえ。ほかの奴らに選考基準が分かっちまうからな。おまえさんを見送るときに、おまえさんにだけ説明するよ。そいつで納得してくれ」
にべもない。
リーナの言葉には、絶対不変の意思が宿っていた。
「……そんな。マスターのクソつまらない過去話も最後まで聞いたのに……」
「……え、そんなつまらんかった? 興味津々に聞いてたんと違うの?」
興味津々に聞いていた人間などは誰もいないと断言できる。
ラムは確信を持ってそう思った。
とまれ。
「まあ、そうしょげるな。おまえさんなら、王都に戻れば引く手あまただろう。仮に軍に復帰すれば、すぐにまた将軍までのぼりつめられるよ」
「…………」
最後にこれで終わりとばかりにそう言われると、セシリアの口から言葉は消えた。
否、彼女の口からだけではない。
その後、この場が解散となるまで、誰一人として言葉を発さなかった。
それだけの衝撃。
自他共に認める、大本命の脱落。
ラムダ・フロストの直感が、初めて外れた夜だった。
◇ ◆ ◇
同日、午後11時55分――アルザールの町、宿屋2階の客室(リーナの部屋)。
ラムは、どうしても納得できなかった。
どう考えても、この選考はおかしい。
その理由の一端だけでも、彼は知りたかった。
知っておきたかった。
それゆえに、リーナの元を一人訪れたのである。
「セシリアが脱落した理由? さっきも言ったが、そいつは本人にしか伝えられねえ」
当然、そう言われるだろうことは分かっていた。
それでも、ラムはかんたんに引き下がるつもりはなかった。
どのポイントが重視されるのか、わずかでもそこは知っておかなければならない。
最有力候補だったセシリアが最初に脱落したことで、その必要性がより高まったとラムは判断したのである。
それが達成されるまでは、何時間でもここに居座るつもりだった。
何時間でも――。
が、思いのほか、リーナはあっさりとその『わずか』な理由を白日にさらした。
「まあでも、そうだなぁ……。言える範囲で言うなら、伸びしろかねえ。セシリアはおまえさんたち七人の中で最も完成されていた。伸びしろはほぼないと言っていい。実際、この数週間で奴はまったく成長しなかった。この儂が誠心誠意教えたにも関わらず、だ。その状態であのレベルでは、儂のパートナーとはなりえねえ。魔王相手に戦っても、無駄に命を散らすだけだ。だったら――」
と、言いかけて、リーナは中途で押し黙った。
やがて、彼は思い直したように一息吐くと、
「いや、これ以上は野暮ってもんだな。おまえさんに言えるのはここまでだ。理由は無論、今話したことだけじゃねえ。が、そいつは当人にだけ教えるとするよ」
「…………」
これ以上は、どうあっても話してくれそうにない。
話してくれそうにないが――。
どうする?
粘ってみるか?
一瞬、そう思ったが、その考えはすぐに強制的に却下された。
「……マスター、出立の準備が整いました」
コンコン、という短いノック音に続いて、セシリアの声が室内に響く。
リーナとの問答は、その瞬間に終わりを迎えた。
「おぅ、そうか。今、行くよ。ワリィな、ラム。話は終わりだ。セシリアを見送らなくちゃあならねえ。……にしても、短いあいだだったとは言え、寝食共にした弟子と別れるってのはつれぇなぁ」
鼻をことさらグスリとすすり上げ、リーナが応じる。
典型的な照れ隠しの仕草だなと、ラムは思った。
実際、本当に悲しい――あるいは淋しいのだろう。
言葉や態度とは裏腹、リーナは本当は情に厚いタイプなのだと思うと、前にロゼが真顔でそう分析していたのを思い出す。
「…………」
ラムは黙ったまま、二人を残して部屋を出た。
号砲。
たったひとつの椅子をかけた、過酷な弟子サバイバルが波乱の幕を開ける。




