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中華王朝史記

女王と王配の心を動かした杜甫の五言律詩

作者: 大浜 英彰

挿絵の画像を作成する際には、「Gemini AI」と「AIイラストくん」を使用させて頂きました。

 私こと劉玄武(りゅうげんぶ)、中華王朝の王族となって早くも十年余りとなりましたか。

挿絵(By みてみん)

 こうして伝統的な漢服を身に纏って紫禁城に起居しておりますと、完顔(ワンギャン)総合商会の創業者一族の親族としてシンガポールの華僑社会で過ごしていた頃の事が遠い昔の事に感じられますよ。

 今は中華王朝の太傅として活躍している完顔総合商会社長令嬢の紹介で婚姻を結ばせて頂きました愛新覚羅紅蘭(あいしんかくらこうらん)女王陛下とは至って円満な夫婦関係を構築する事が出来、翠蘭(すいらん)白蘭(びゃくらん)という二人の王女殿下を授かる事が出来ました。

 そして紫禁城に出仕する優秀な文武百官とも良好な信頼関係を築き、他国への表敬訪問を始めとする公務を相応にこなせるようになった事で、どうにか王配として格好がついたと自負していたのです。

 しかしそれは私の自惚れであり、本当はまだまだ至らない所があったのでした。


 その事に気付かされたのは、養心殿で久々に女王陛下と二人きりになる事が出来たある春の日の事だったのです。

挿絵(By みてみん)

「劉玄武殿下、誠に大義でありました。タイ王国への表敬訪問に開封での式典出席と御疲れでしょう。」

 あくまでも王配に過ぎない私などより、天子として中華王朝を統べる愛新覚羅紅蘭女王陛下の方が遥かに重い責務を担っていらっしゃる事は自明の理で御座います。

 にも関わらず、公務を終えて紫禁城へ帰城した私を気遣われる陛下の御優しさと謙虚な御姿勢には、全く頭が下がる思いですよ。

「勿体なき御言葉で御座います、愛新覚羅紅蘭女王陛下。陛下におかれましても、黒竜江省の視察や日本への表敬訪問で御多忙で御座いますのに…」

「そう御気になさらないで下さい、殿下。これでも最近は公務を一段落つける事が出来まして、宮中で読書を始めとする趣味に耽る余裕も出てきたのですよ。白蘭第二王女に倣って毛筆を振るうのも、なかなか悪くは御座いませんね。」

 そう仰る陛下の眼差しの先には、迷いのない筆跡で記された五言律詩の掛け軸が飾られていたのでした。


 国破山河在

 城春草木深

 感時花濺涙

 恨別鳥驚心

 烽火連三月

 家書抵万金

 白頭掻更短

 渾欲不勝簪


 それは中華圏で生まれ育ったならば知らぬ者のいない、杜甫の「春望」の全文だったのです。

 そして私は、陛下が「春望」を大書された理由にも思い至ったのでした。

「ううむ、『国破れて山河あり、城春にして草木深し』ですか…愛新覚羅紅蘭女王陛下!アムール川流域の戦後視察、心中御察し申し上げます。」

「ええ、殿下…全く以って、この五言律詩の通りで御座います。反乱分子の殲滅により件の内戦が終結して暫くになりますが、未だ復興までの道半ばで御座いますね…」

 清王朝の後を継ぐ立憲君主制国家として建国された我が中華王朝ですが、その体制を良しとしない勢力が存在していた事もまた事実。

 時代遅れとなったレーニンやマルクスの思想を未だに信奉していた旧体制派の残党が起こしたジャムス事変を発端とする内戦は、主要戦闘区域に因む形で「アムール戦争」と呼ばれるようになりました。

挿絵(By みてみん)

 そして長らくの間、深刻な懸念材料として我が国にのし掛かっていたのです。

 曹魏の謀臣と晋王朝の建国者を祖に持つ司馬花琳(しばかりん)将軍が率いる中華王朝国軍の精鋭部隊と我が国の頼もしき友好国である大日本帝国陸軍の巧みな連携により戦火が収まったのは、ごく最近の事。

 それ故に、戦闘区域が負った傷は未だ癒えきっていないのです。

挿絵(By みてみん)

「傷ついたのは国土だけでは御座いません。民達の受けた痛手もまた、決して小さくはないのですよ。大切な家族や思い出ある土地と引き離された民達の悲憤は、杜甫が五言律詩を詠んだ過去の時代の物ではなくて現在進行中の問題です。そう考えていたからなのでしょうね。紙と筆を手にしていたら、自ずと『春望』を書いていたのです。たとえ私の代では成し遂げられなくとも、翠蘭と白蘭の世代には泰安の楽土を生きて欲しいのですよ。」

 気分転換であるはずの余暇の時間にも、深層心理では万民の安穏の為に心を砕かれていらっしゃるとは…

 きっとこの御方は天子になるべくして此の世に御産まれになり、尚且つ天子たらんと常に努めていらっしゃるのでしょう。

 だからこそ私こと劉玄武も、今の道を喜んで選んだのです。

 蜀漢の皇位請求者として自ら立ち上がる道ではなく、王配としてあの方を御支えする道を。

 いいえ、私だけではありません。

 完顔阿骨打(ワンギャン・アグダ)の末裔として金朝の皇位請求権を持つ太傅の完顔夕華(ワンギャン・シーファ)も、司馬炎の末裔として西晋の皇位請求権を持つ司馬花琳(しばかりん)上将軍も、君主ではなく王佐の臣になる道を喜んで選んだのでした。

 今の御自身が為し得る最善を尽くそうと為さる、あの御方の御為に。

 それならば私も、今の自分に為し得る最善を尽くさねばならないでしょう。

「私の遠い先祖が関羽や張飛と共に旗揚げしたのも、全ては戦乱を鎮めて民達の安心出来る世を作る為でした。その願いは陛下の願いでもあり、私の願いでもあるのです。」

「桃園で誓った三人は義兄弟として結ばれましたが、私達二人は夫婦として結ばれましたね。貴方の御先祖様と諸葛亮がそうであったように、私と貴方の間柄も生涯に渡って水魚之交でいたい物ですよ。」

 それは正しく、私の望む所であるのです。

 あの方が母なる海の水の如く万物を包容されるならば、私は魚となってその水の心地良さを万民に伝えたい。

 あの方が大魚の如く力強く活動されるならば、私は水となってあの方を優しく慈しみたい。

 それこそが王配である私の為すべき事であり、尚且つ夫として為したい事でもあるのですよ。

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このご作品は以前から気になっていましたが、忙しさでなかなか拝読させて頂くことができませんでした。 唐の詩人、杜甫が安禄山の乱のさなかに詠んだ五言律詩である「春望」の掛け軸をご覧になった劉玄武氏。 戦火…
 蜀漢皇帝・劉玄徳の子孫が、愛新覚羅の女王陛下の王配になって、彼女を支えているという……そういう世界のお話も、ロマンがあって素敵ですね。  そして杜甫の『春望』は、いつ読んでも、その内容と響きに心を打…
 誰かへと同じように、国へ、そして民へと深く愛情を持つことができる。そんな人が上に立ってくれたなら、きっとその国はいい国になったいくのでは、と。  そう思わせるお話でした。 「春望」は教科書に載って…
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