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白の神、黒の魔物  作者: ながる
瞳の章

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7-3 夏の雷

 店を出ると雨が降っていた。

 小雨というには粒が大きくて、二人はしばし空を見上げてしまう。

 レンドールは上着のボタンに手をかけて、少しだけ迷ってからそれを脱いだ。何をするのかと黙って見ていたエストの頭に上着を被せて腕を引く。


「明日早めに出たいからな。走るぞ」


 エストが答える前にもう体は雨の中に進み出ていて、あっという間にレンドールに雨が染みていく。別にエストは濡れてもかまわなかったけれど、レンドールの上着を落としてしまわないようにと慌てて空いている手で掴んで押さえた。

 繁華街を過ぎて暗がりが増える。自分たちの息づかいと水を跳ね上げながら走るバシャバシャいう音だけが耳についていた。

 と。

 いきなり空が真っ白に光った。

 暗がりが突然モノクロの景色を浮かび上がらせる。


「……っきゃ……!」


 反射的にエストは掴まれていた腕を振りほどいて、次の瞬間その腕に縋りついた。

 レンドールは足を止め、しばし困惑したようにエストを見下ろしていたけれど、遠くでゴロゴロと空が鳴るのを聞いて、その方向に顔を向けた。


「……まだ遠い。家までもう少しだから」

「う、うん……」


 どうにか足を動かすエストに合わせてレンドールは歩き出す。空が光るたび、エストは足を止めた。ほんの百メートほどがやけに遠く感じる。

 ようやく辿り着いて一歩家の中に入り、エストは恥ずかしそうに振り返った。レンドールの上着を借りていても足元は冷たくなっていて、ずぶ濡れのレンドールはエスト以上に不快に違いない。


「上着、ありがとう。タオル貸すから、小降りになるまで休んで……」


 上着を手に、そう言いかけたところで一際強く空が光った。同時にどぉんと大きな音がして家が揺れる。

 エストは、音に負けないくらいの悲鳴を上げてレンドールに飛びついた。

 バリバリと空を割くような音が怖くて、すがりつく腕に力が入る。


「エスト……大丈夫か?」


 かなり近くでレンドールの声がして、強くなった雨音もエストの耳に届いてくる。

 はたと気付けば、エストはレンドールの胸に顔を埋めるようにして抱き着いていた。顔を上げればレンドールの顔が至近距離にある。慌てて飛び退いて、エストは顔に熱が集まるのを感じながら視線を逸らした。


「あ……あの、えっと……た、タオル、だったわね!」


 くるりと踵を返したエストの背にレンドールの声がかかる。


「いいよ。どうせまた濡れる。このまま帰るから。明日迎えに来る」


 雨足の強い中去ろうとする気配に、エストは慌てて身を戻す。レンドールの腕を掴まえて、とりあえず家の中へ入れようと強く引いた。


「今一番降りが酷いじゃない。まだ雷も鳴ってるし、小降りになるまで……」


 恥ずかしさよりも、雷がもう少し遠くに去るまでエストはまだ一人になりたくなかった。季節的に温かい雨とはいえ、濡れたままでは体にも悪い。

 レンドールも渋りつつ一歩中へ足を踏み入れたのだけれど。

 エストが、指先に触れる左腕の傷に気付いて「そういえば」とその傷が見えるようにレンドールの腕をひっくり返した。

 痛くはないというけれど、みみず腫れのようになってひきつれのあるそれは見た目痛々しい。エストはそっと指先で撫でながら忘れそうになっていたことを確認する。


「縛ってもいいなんてレンは言ってたけど、あの人、結局何かしたの?」

「されてない……触んな」


 硬い声でそう言って、レンドールは乱暴に腕を引き離した。

 仏頂面の視線は逸らされ、頬には少し赤みがさしている。気に障ることだっただろうかと、エストもうつむいた。


「……そう」

「俺も意外だけど、何にもされてねーから気にすんな。……ちょっと酔いが回ってるみたいだから、やっぱ帰る」

「え」


 今度は止める間もなくレンドールは外に飛び出して、そのまま走って行ってしまう。酔っていたようには見えなかったけれど、雷の日の自分は確かに少し面倒かもしれないと、エストは小さく息をついた。

 落としたまま忘れられていったレンドールの上着を拾い上げる。何度か振って水滴を払い落としていると、また空が光った。

 エストはぎゅっと上着にしがみつく。雨の匂いに混じって、お日様のような匂いがした。




 レンドールはしばらく走ってエストが間違っても追いかけてこないのを確認すると、立ち止まり雨の降り注ぐ空を仰いだ。空はまだ時々光るものの、音は遠ざかっている。怯える彼女をひとり置いてくるのは気が引けたけれど、今夜はなんだか自分に自信がなかった。


(マジで酔っ払ってんのかな)


 エストが抱き着いてきたのは恐怖からで、たまたまそこにレンドールが立っていたからで……それでも柔らかい女性の身体は濡れて冷えた体に温かくて。

 その上、古傷の上を滑る指先の感覚が本能を刺激しそうになった。


(怖がる女に欲情するとか、最低じゃん)


 ラーロが縛りを施したかどうか、実のところレンドールには判らなかった。その傷をつけられたときは痛みが走ったから知れたけれど、それを解いた時はレンドールにはなんの感覚もなかった。だから、おそらく何もされていないだろうというだけの話で。

 左腕を持ち上げてじっくりと眺めてみる。何かされていても、レンドールのすることは変わらない。

 それをしっかりと心に刻むまで、レンドールは雨の中、そこに立っていた。



 ◇ ◇ ◇



 次の朝、レンドールは宣言通り少し早めにエストを迎えに行った。

 階段横に上着が干してあって、心なしか皺も綺麗に伸びている。


「もしかして、皺も伸ばしてくれた?」

「ついでだったから……」


 エストから手渡されたそれに腕を通して、レンドールは気まずそうに頭を掻いた。


「忘れていくなんて、思ってたより酔ってたみたいだ。雷、大丈夫だったか?」

「なんとか。すぐ離れていったし……エラリオと少し筆談でき(話せ)たから」

「そっか。雨の後だからか今朝は少し肌寒い感じしたから、あんまり薄着すんなよ」

「そう? 上着無しで来たからじゃない?」

「あ。そうかも」


 『()』は夏場の暑い時でも身を守る観点から制服は長袖のままだ。袖をまくったり、上着を脱いでしまう者もいるので厳密に守られているわけではないけれど、レンドールは山や森を歩くことが多く、余程でなければきちんと着込んでいる。それが今朝は半袖の丸首のシャツ一枚だった。

 ベルトを締めてから袖を鼻に寄せて、レンドールは小首を傾げた。


「薬草の匂いでもついたかな」


 ほんのり香る程度で気になるほどではないけれど、いつもと違う香りに違和感があった。


「虫よけの香草を焚き染めてみたの。山に入るし。気になる?」

「いや。それほどでも。気ぃ使わせたか? ……実は臭かったとか」

「く、臭かったわけじゃ……」


 お互いなんとなく黙り込んでしまって、誤魔化すようにレンドールは踵を返した。


「戸締りはしっかりしろよ」


 屋台で朝食をつまむようにして、二人は南へと向かうのだった。


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