37.初めての共同作業
武田を殺せ。
徳川を攻めろ。
奇襲だ、奇襲だ。
逃げろ逃げろ。
「ギャー、ギャー!」
陰摩羅鬼となって化けて出た怨霊達は、森の中を飛び回りながらとにかく叫ぶ。
死んでから四百年以上も経っているというのに、彼らは自分達が置かれている状況を理解していなかった。
彼らは戦死した時点で時間が止まっている。
無秩序に飛び回り、逃げ回り、生前に敵対していた敵軍の陰摩羅鬼と嘴で突き合い……とにかく、意味もなく暴れまわっていた。
「コロセー、コロセー!」
暴れ狂う怨霊は今でこそ山中に留まっているが……日に日に数が増えており、移動範囲も広くなっていた。
いずれは大量の陰摩羅鬼が山崩れのように麓の町に押し寄せるに違いない。
「ギャ?」
その日、彼らが山を訪れなければ。
「ギャギャッ!」
「ギャー! コロセコロセ?」
「オイカケロ? ミナゴロシダ?」
一万匹の陰摩羅鬼が飛び回る山中にポツポツと雨が降り出した。
水滴が木々の葉を揺らし、枝と幹を伝って地面にしみ込んでいく。
山の天気は変わりやすい。雨など珍しくもない。
陰摩羅鬼はすぐに雨のことなど意識から外して、無意味で無秩序な暴走を再開させようとした。
「ギャアアアアアアアアッ!」
しかし、できなかった。
雨を浴びた同胞が突如として苦しみだし、崩れ落ちるようにして消えてしまったのである。
「ギャー、ギャー!」
「テキシュー、テキシュー!」
異変に気がついた陰摩羅鬼が騒ぎ出すが……すでに時は遅い。
雨はどんどん勢いを増していき、雨水に濡れた陰摩羅鬼が数を減らしていったのだ。
「ギャアアアアアアアアッ!」
「キエル、キエルウウウウウウウウッ!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
逃げ場はない。
木陰に逃げる者、地に潜って逃げる者もいたが、滝のような雨をそんなことで防ぐことはできなかった。
枝葉を突き抜け、地面に流れ込み、陰摩羅鬼に逃げることを許さない。
確実に浄化し、祓っていく。
「アアアアアアアアア……」
消え去る陰摩羅鬼であったが……彼らの脳裏にあるのは、苦痛ではなく解放の喜びだった。
戦って死んで怨霊となり、無念を晴らすことなく封印されて。
ようやく解放された時には、もはや敵も味方も残ってはいない。
意味もなく叫びまわるだけの永遠の終わり。苦痛の輪廻が終わろうとしていた。
「ああ……」
これが成仏か。
陰摩羅鬼は最後の一体に至るまで、残らず消失した。
〇 〇 〇
「消えたな。俺達の勝ちだ」
雨雲を背に空に立ち、恭一は眼下を見下ろした。
宙に浮かんでいる恭一の身体には、巨大な蛇のような白い竜が巻きついている。
『上手くいきましたね、主様』
その白い竜の正体は、恭一の式神である静だった。
人として生まれながら海に流され、死して竜神に拾われて娘となった彼女の正体である。
『初めての共同作業、最高です。これが結婚というものなのでしょうか?』
「……たぶん、違うと思うけどな。それにしても……こういう祓い方もあるんだな。勉強になったぜ」
山を包み込むようにして降る雨であったが、これはもちろん自然現象ではない。
恭一が持っている神力。
顔も知らぬ父親から引き継いだ権能である天候操作による術……『黒雨』である。
ただし、『黒雨』はただ雨を降らすだけの力。怨霊を祓うような力はない。
陰摩羅鬼を祓ったのは雨に込められた浄化の力……竜神である静の力である。
日本や中国において、竜神とは水神。水を清める力を持っている。
静が清浄の力を込めた水を恭一が雨として広範囲に降らせて、山を飛び回っている陰摩羅鬼を残らず消し去ったのだ。
『そもそも、陰摩羅鬼というのは供養をされずに死んだ者達の怨霊です。なれば、供養をすれば消えてしまうはず』
「水神の力が込められた雨であれば、供養としては十分ってことか」
式神の力を借りて術を強化する。
これは陰陽師としてはむしろオーソドックスな技術なのだが……それを使うという発想がなかったのは、恭一が陰陽師としては二流以下である証拠だった。
「ま……どーでもいいけどな」
別に陰陽師として高みを目指すつもりはない。
一生、遊んで暮らせるだけの金があり、隣に好きな時に抱ける女がいれば十分だ。
「依頼達成。ご褒美が楽しみだな」
肩をすくめて、恭一は自分の身体に巻きついている竜神の頭を撫でたのである。




