4.天才と自分で名乗る痛い女
「あっそ……ご苦労さん」
山中で出会った得体のしれない少女……賀茂美森を無視して、恭一は再度フェンスを乗り越えようとした。
「ちょ……やめなさいって言ってるでしょ!? そこから先は5級じゃ入れないのよ! 最低でも3級以上の実力がないと危険なの!」
フェンスを越えようとする恭一の服を掴み、美森が引っ張ってくる。
「五月蠅えな……俺に意見をしたいのなら、パンツを脱いでそこの木に両手をつけ。尻を出せ」
「何で!? 急にセクハラ発言!?」
「チッ……引っかからなかったか。ワンチャン、騙して一発やれるかもと思ったのに」
「引っかかるわけないでしょうが! 馬鹿なの? 馬鹿よねっ!」
やかましく騒ぎ立てる自称・天才陰陽師の少女に辟易して、恭一は仕方が無しにフェンスから降りた。
「それで? 俺に何の用だよ」
「だーかーらー! そこは立ち入り禁止だから入るなって言ってるのよ! 5級の初心者が死にたいわけ!?」
「どうして俺が5級だってわかるんだよ。退魔師カードを確認したわけでもないくせに」
「私を誰だと思ってるのよ! 最年少……に近い年齢で3級退魔師にまで伸し上がった天才陰陽師の賀茂美森様よ!? アンタの格好を見ればビギナーであることくらいわかるわよ!」
「ム……?」
恭一は自分の服装を見下ろした。
黒のパーカーとジーンズ、どこにでもある普通の格好である。
「別におかしなところはないが?」
「ないから問題なんでしょうが! 4級以上の退魔師だったら、もっとマシな装備をしているわよ!」
「マシな装備……お前が着ている変な服みたいなのか?」
少女が着ているのは平安貴族のような服装。狩衣である。
これで烏帽子を被れば、映画やマンガに登場する陰陽師そのものとなるだろう。
「変じゃない! 一族に伝わる守護の呪いがかけられた狩衣よ! 退魔師はランクが上がるほどにお金も入って装備も充実する。特殊な術を施した衣服であったり、防刃シャツや強化プラスチックの武装であったりね! そんな私服で危険地帯に入る奴は素人に決まってるでしょう!?」
美森が怒鳴りつけてくる。
恭一は鬱陶しそうに顔を顰めた。
「いちいち喧しい女だな……俺がどんな服を着ようと勝手だろうが」
恭一は耳を押さえて、うんざりとした顔になる。
「俺が何処に入ろうが勝手だろうが。協会でもレッドゾーンに入るのは自己責任だと聞いたぞ? そもそも……鬼の親玉がいるのは頂上付近だろう。この先に何があるっていうんだよ」
「アンタ、本当に下調べも無しに山を登ってきたのね……よく生き残れたものだわ」
美森が呆れ返ったように肩を落とす。
「この先には『薬王院』があるのよ。かつてこの山が鬼に乗っ取られるより以前、薬師如来像が安置されていた特別な場所がね」
「……だから何だよ。関係あるのか?」
「最後まで話を聞きなさいよ……鬼はこの山を支配するにあたって、邪魔になる仏の加護を消すために薬王院を術で封印したのよ。その封印を人間に破られないようにするため、この先には強力な鬼が何匹も棲んでいるわ。ボスの鬼は山頂付近を根城にしているから、ここを守っている鬼はたぶんその側近ね」
美森がフェンスの金属網をギュッと握りしめ、目元の険を強くさせる。
「裏を返せば……薬王院さえ解放することができれば、薬師如来の加護によって山に巣食った鬼を追い出すことができるんだろうけど。すでに何度も名のある退魔師が挑戦して失敗しているわ。1級クラスの退魔師が出張ってもらわないと、この山の奪還は難しいわね」
「だったら来てもらえばいいじゃないか。その1級退魔師様とやらに」
「簡単に言わないでよ! 1級退魔師はいずれも替えの利かない重要な仕事に就いているのよ。迂闊に彼らを動かせば、日本の国境線が変わっちゃうかもしれないわ!」
「どういう例えだよ……要するに、この先に大金が転がってるって解釈で良いな?」
「ちょっ……」
「よっと」
恭一は美森の制止を無視して、さっさとフェンスを乗り越えた。
美森が慌てた様子で金網に駆け寄ってくる。
「な、何をやってるのよ! 本気で死ぬつもりなの!?」
「薬王院……だったか? そこに近づかなければ問題ないんだろ?」
恭一が振り返ることなく右手を振り、さっさと奥に進んでいく。
「適当に強めの妖怪を狩ったら戻ってくる。俺は楽して稼ぐのが信条だ。言われなくても、そんなに強い妖怪と戦ってやるものかよ」
「強めって……薬王院まで行かなくても、かなり強い鬼がいるのよ!? 5級ごときじゃどうにもならないわよ!」
「強いって言っても、小鬼と比べたらって話だろ? チマチマ虫を潰すのにも飽きたんだよ。どうせ無関係なんだから、俺のことは放っておけ」
「クッ……本当に馬鹿なの? 馬鹿よねっ!」
いい加減な言葉を残して去っていく恭一に、悔しそうに歯噛みをして美森がフェンスを上ってくる。
「ああもうっ! 仕方がないから私がついていってあげるわよ! 天才陰陽師のこの私が保護者になってあげるんだから感謝しなさいよね!」
「はあ?」
どうしてそうなるのだろう。
眉をひそめて振り返る恭一に、美森が小走りで駆け寄ってきた。
「さあ、行くわよ! 私についてきなさいっ!」
「おいおい……取り分が減るから帰って欲しいんだが?」
強引に恭一の前に割り込んだ美森。
恭一はメンヘラ女に付きまとわれたような気分になり、本気で嫌そうな顔をするのであった。
▽ ▽ ▽
危険度レッドの区域に入った恭一と美森であったが、すぐに異変が起こるということはなかった。
「いい? ここはもう妖怪の腹の中だと思いなさい! 何が起こるかわからないんだから離れたらダメよ!」
「むしろお前が離れろ。動きづらいんだよ」
美森が必要以上に密着してきていた。
ギリギリで肌は触れていないものの、ほんの少し手を伸ばせば彼女の身体を抱きしめられるほどの距離である。
「そもそも、どうして貴方は一人で山に入ってるのよ! 退魔師の基本はチーム行動でしょう? 一人だと、集団で囲まれたら詰んじゃうじゃないの!」
「その言葉は完全にブーメランだろ。そっくりそのまま返してやるよ」
「私は一人じゃないわよ! ちゃんと式神を連れてきてるわ!」
「式神って……そういえば、陰陽師だったな」
「ええ、紹介するわ。二人とも出てきなさい」
美森が呼びかけると、木々の隙間から二つの影が飛び出してくる。
どちらも大型犬ほどの大きさの四足獣でキツネとタヌキの形状をしていた。
「私の式神よ。キツネが『赫』でタヌキが『翆』よ」
「カップラーメンみたいなネーミングセンスだな……別に何でもいいけど」
「二匹には森の木々に隠れて警戒してもらっていたのよ。一人だと思わせた方が敵も油断するからね」
『コン』『ポン』
二匹の式神が美森に応えるように鳴いた。
「ほー、すごいんじゃね?」
二匹の式神からはそれなりの力の『圧』が感じられる。
少なくとも、小鬼の五、六匹くらいなら余裕で倒すことができるだろう。
そんな式神を二匹も同時に使役できるのだから、美森の陰陽師としての実力は本物なのだろう。
「伊達に『賀茂』の姓を名乗ってはいないというわけか。直系か傍流かは知らんがな」
『賀茂』は『蘆屋』と並んで有名な陰陽師の家系である。
日本でもっとも有名な陰陽師である安倍晴明……その師匠であった『賀茂忠行』をはじめとして多くの陰陽師を輩出しており、現代の退魔師業界においても大きな影響力を持っていた。直系・傍流を含めれば百人以上が退魔師として活躍しているだろう。
「……私は分家の人間よ。だけど、実力は本家の人間にだって負けていないんだからねっ!」
「そうかい、良かったな」
「そういえば……貴方の名前はなんていうのよ? まだ聞いていなかったわね」
「今さらかよ」
自分はサラッと天才陰陽師だとか名乗ってたくせに、恭一の素性にはまるで関心がなかったようだ。
「蘆谷恭一」
「蘆屋って……どうして偽名を使ってるのよ。やましいことでもあるの?」
美森が眦を吊り上げて、恭一の金髪に目を向ける。
「本名だよ。この髪は親父がヨーロッパの人間だからだ」
恭一は自分の髪を一房つまみながら説明する。
「ウチの母親も陰陽師だったんだが……まあ、色々あって海外で仕事をしてたみたいでな。そっちで出会った男との間にできたガキが俺だよ。父親には会ったこともないし、どこの誰かも知らねえ。鏡を見る限りツラは悪くなかったみたいだけどな」
「フーン……じゃあ、本当に蘆屋家の人間なんだ。本流じゃないよね?」
「さあな。母親とは高校入ってから会ってねえし、これからも会うことはない。本家だろうが分家だろうが知ったことじゃねえよ」
「…………」
美森は黙り込んでいるが、先ほどよりも心なしか目元の険しさが抜けている。
ひょっとすると、今の会話のどこかにシンパシーを感じる部分があったのかもしれない。
『クアッ!』
『コオンッ!』
「お……どうやら、お出迎えが来たっぽいな」
二匹の式神の鳴き声がして、同時に恭一も強い妖気を感じとった。小鬼のものとは比べ物にならない強い気配だ。
直後、進行方向上からいくつかの人影が歩いてきた。
「アレは……!」
「人じゃねえな? あいつらも鬼か?」
「牛頭鬼。3級に属している邪悪な鬼じゃないの……!」
美森が緊張した様子でつぶやく。
懐からお札のような紙……『符』を取り出して、指の間に挟んで構える。
「アレは小鬼とは比べ物にならない強さの妖怪よ。私と式神で二体を相手にするから、貴方は残りの一体を抑えていて頂戴。時間を稼いでくれたら私が……」
「おっけ。それじゃあ殺るか」
美森が言い終わるよりも先に、恭一が地面を蹴って飛び出した。
「ちょっ……!」
「3級。つまり小鬼よりも金になるってことだろ!? 札入れが呑気に歩いてきて結構じゃねえか!」
「馬鹿っ……貴方が勝てる相手じゃ……!」
「フンッ!」
『オオオオオオオオオオオオオッ!』
急に走ってきた恭一に鬼が応戦しようとする。
しかし、恭一は素早い動きで太い腕をかいくぐって、鬼の顔面に拳をめり込ませた。
「らああああああああああああっ!」
『グガッ……!』
そのまま拳を思い切り振り抜き、鬼を後頭部から地面に叩きつける。
いったいどれほどのパワーで殴りつけたのか、鬼の後頭部の形に地面に窪んでしまった。
『ガ……グッ……』
3級妖怪。
ベテランの陰陽師が対処するはずの強力な悪鬼は、退魔師になり立ての男の鉄拳によってあっさりと絶命し、妖気の粒となって消滅したのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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