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16.結局、最後はハニートラップ

「まったく! 何故、私がこの暑い中を5級退魔師ごときのために動かねばならぬのだ!」


 その男の名前は安倍行明(あべのゆきあき)。四十三歳。

 退魔師協会、東京第二支部の支部長をしている人物だった。


 季節は夏。空からは燦燦として太陽の光が降りそそぎ、アスファルトの地面が灼熱の光を反射して東京中をサウナに変えている。

 そんな中で、退魔師協会の重要人物……だと自分で思っている行明は、とあるタワーマンションにやってきていた。


 行明がそのマンションを訪れたのには理由がある。

 そこに住んでいる一人の退魔師に会うためだった。


「フン! 5級退魔師が生意気にも良い場所に住んでいるではないか!」


「安倍支部長……お願いですから、あまり横柄な態度は見せないようにしてください」


 額の汗をぬぐいながらマンションを見上げた行明を同行者の女性がたしなめる。


「これから会う人物……蘆屋恭一さんはある意味では(・・・・・・)、とても気難しい人なんですから。いくら支部長でも、無礼な態度をとると叩き出されますよ?」


 上司に苦言を呈したのは退魔師協会の支部で受付嬢をしている女性……名前を青井双葉という。

 今回、彼らが会う予定の退魔師の登録を担当した受付嬢であり、その後も公私ともに浅からぬ付き合いがある人物だった。


「己の立場をわきまえておらぬとは、やはり蘆屋の人間は好かぬ! この私に非礼を取るようならば協会から追い出してくれるわ!」


 憎々しげに言う行明であったが、彼は『蘆屋』という名前を酷く嫌っていた。

 何故なら、行明が退魔師業界にはよくいる『なんちゃって安倍晴明の子孫』だからである。


 安倍晴明とは誰しも名前を知っている稀代の天才陰陽師。

 その偉業は平安時代の説話集である今昔物語集を始めとして、さまざまな書物に残されていた。

 安倍晴明の直系筋はすでに絶えて久しいのだが……現代社会には、その子孫を自称している退魔師が山ほどいる。

 それというのも、安倍晴明の逸話は彼が住んでいた京都のみならず全国各地にあるのだ。

「安倍晴明が○○に来た際に村娘と子を成して……」などといった嘘か真かわからぬようなエピソードを語り、子孫を名乗る者は多かった。


 行明もまたそんな正当性不明の子孫の一人である。

 偉大な始祖を尊敬すると同時に、安倍晴明の宿敵であるとされる蘆屋道満という術者のことを憎んでいた。


「それにしても……どうして、蘆屋の人間ごときを2級退魔師に推薦しなければならぬのだ! ハラワタが煮えくり返るわ!」


 エントランスでコンシェルジュに受付を済ませ、行明と双葉はエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの内部でも行明の愚痴は止まらない。よほど蘆屋家の人間に対して歪んだ感情を有しているのだろう。


「だから……それは説明したじゃないですか。賀茂美森さんのたっての希望なんですから仕方がないでしょう?」


 双葉が溜息を吐いて、何度目になるかもわからない説明をする。


 今回、彼らが恭一のところを訪れたのは、彼を2級退魔師として推薦するためだった。

 退魔師は1~5階級に分かれており、数字が小さくなるほど優秀な退魔師として認められている。

 3級までの昇格は各支部の裁量によって行うことができるが、2級以上への昇格には理事の推薦を受けて、試験をクリアしなければならない。

 退魔師が2級以上で任務の危険度が跳ね上がるための配慮である。


 今回、東京第二支部からは高尾山解放、由比ヶ浜防衛の功績がある賀茂美森が2級推薦を受けることになったのだが……その話を彼女に持っていったところ、次のように主張した。


『私よりも蘆屋恭一の方がずっと強い。彼が推薦を受けないのに、私だけ推薦を受けるわけにはいかない』


 蘆屋恭一もまた高尾山解放、由比ヶ浜防衛に参加しているが……ギルドでは、あくまでも賀茂美森の補佐程度の存在としか考えていなかった。

 それでも4級、3級にはいつでも昇格できたのだが、本人に上昇志向が薄いこと、支部長の蘆屋嫌いのせいで先送りになっていたのだ。


「おそらく、年下の娘を言いくるめて自分を推薦させたのだろうな! 卑劣な蘆屋の術者がやりそうなことだ!」


「ハア……」


 取り付く島もない上司の様子に、双葉は説得をあきらめた。

 双葉が何を言ったところで、行明は最終的には「蘆屋が悪い」という方向に持っていってしまう。

 それでも文句を言いながらもここまで来たのだから、行明も恭一を2級退魔師として推薦はするつもりなのだろう。

 支部にいる冒険者のランクが上昇すれば、それは支部長にとっても手柄になる。

 相手が蘆屋の人間でなければ、自分の出世のためにどんどん推薦していたことだろう。


 どうせやることはやるのだから、文句を言わずにすればいいのに……双葉は心からそう思った。


「この部屋ですね」


 そうこう話しているうちに恭一の部屋までたどり着いた。


「ここか……それにしても、青井君。君は迷いなくスムーズにここに来たようだけど、まさかプライベートで蘆屋と付き合ったりは……」


「セクハラです。訴えますよ?」


「…………」


 部下の辛辣な言葉に行明が押し黙る。

 こんな妖怪ばかりの時代でも、セクハラやパワハラへの糾弾はあるのだから。

 双葉がインターフォンを押すのを横目に、行明が小さく舌打ちをする。


(まあいい……蘆屋の人間を推薦するのは不愉快だが、どっちに転んでも私に不利はない)


 恭一が2級推薦を受けてくれなければ、賀茂美森も断ってしまう。それだけは避けなければいけない。

 恭一が不合格ならば、ざまあみろと酒の(さかな)にできる。

 合格したのであれば、2級退魔師を同時に二人も輩出した支部として出世に繋がる。


(合格でも不合格でもどちらでも構わぬが……個人的には、大勢の前で恥をかいて終わってもらいたいものだ。美味い酒が飲めるからな!)


「はい。少々お待ちください」


 行明が心の内でほくそ笑んでいると、部屋の内から鈴の音のように澄んだ女性の声が返ってくる。

 さほど待つことなく、ドアがガチャリと開かれた。


「ウム、随分と待たせてくれたな。私こそが退魔師協会支部長にして安倍晴明の…………は?」


 扉が開き、横柄な態度で名乗ろうとした行明であったが、すぐに言葉を止めることになった。


「お待ちしていました。主様がお待ちですからリビングにどうぞ」


 現れたのは海色の髪を長く伸ばした美貌の女性。

 竜神の娘であり恭一の式神となった『静』から放たれる強烈な神力を感じ取り、行明は思いきり表情を引きつらせた。


「き、君はその……」


「ああ、名乗り遅れました。(せつ)は蘆屋恭一様の式神をしております『静』と申します。以後良しなに」


「う、ウム……」


 女性の名乗りに行明は内心の動揺をどうにか押さえつけた。

 行明は現役を退いて管理職に回って長いが、それでも2級退魔師としての資格を有した実力者である。

 目の前の女性が類まれな力の持ち主であることは良くわかった。


(この女の式神……間違いなく2級相当の実力があるぞ? 妖怪というよりも下級の神か? どうして、蘆屋の小僧がこれほどの神霊を従えている……!)


 八百万の神がいる日本において、神仏を味方に付けた退魔師は多くはなくともそれなりにいる。

 神と一括りにしても実力はピンキリ。小鬼にすら届かない実力の神もいれば、島の一つや二つ、容易に沈めることができる神もいた。


 静は竜神の娘であり、源義経と静御前の間に生まれた娘でもあった。

 竜神の力を受けているだけではなく、源平合戦の英雄である義経と奇跡の力を持った白拍子の静御前の力も引きついでいる。

 竜としてはまだ幼いために2級程度の力しかないが、いずれは1級相当の力を得ることだろう。


(これほどの神霊が無能者に従うとは思えん……蘆屋の小僧の評価を一段階上げる必要があるか?)


 行明は蘆屋家の人間を憎んでいるが、それでも退魔師協会の支部長にまで出世した人物である。

 退魔師という癖のある人材を管理している人間として、人を見る目はあるつもりだった。


「よお、双葉。遅かったな」


 静の案内でリビングに足を踏み入れると、若い男性がテーブルに座ったまま手を挙げた。


「そっちのオッサンが例の支部長さんか? 暑い中をはるばるご苦労だったな」


「…………!」


(この男が蘆屋恭一……なのか?)


 男の態度を無礼に感じるよりも先に、行明の心中に疑問が生じる。


 テーブルについたまま客人を出迎えたその男性は事前に聞いていたように二十歳前後の年齢に見えるが、どう見ても日本人の容姿ではない。

 金髪の髪に青い瞳、夏服のシャツを押し上げているガッシリとした筋肉。日本語を話しているのに違和感を覚えるような容姿をしていた。


「ああ……私が安倍行明。東京第一支部の支部長にして、偉大なる陰陽師・安倍晴明の末裔である」


「へえ、安倍晴明とはデカい名前が出てきたもんだな。大したもんじゃないか」


 恭一は素直に称賛する。

 その反応で行明は目の前の男が、陰陽師として見識が浅いことを悟った。


(非常に遺憾ではあるが……安倍晴明の子孫であると名乗ったとしても信じぬ者が多い。あっさりと真に受けたということは、直系の土御門家がすでに断絶していることを知らぬのか?)


「それで……何の用事だったかな?」


「まったく……ランクの昇格についてですよ。メールを読んでないんですか?」


 双葉が呆れた様子で首を振る。


「ご存知の通り、退魔師は1から5級までにランク分けされています。上位の方が高報酬の仕事が舞い込んできやすいのですが、蘆屋さんに2級昇格の話が来ているんです」


「2級ねえ。俺はまだ5級だったはずだが?」


「実力があれば飛び級での昇格も許されています。ただし、2級以上への昇格には試験を受ける必要がありますが」


「面倒だな。パス」


 双葉の説明に、間髪入れずに恭一が手を横に振った。


「試験とか高校受験で十分だ。今さら人様に試されるとかやってられねえよ」


「……随分と簡単に言いますね」


「そりゃあな。等級なんかに関わらず簡単に稼げるってわかったからな。いちいち面倒なことをしていられるか」


 高尾山解放により1億円。由比ヶ浜防衛により5千万円。

 恭一はたった二日間の労働により、これだけの高収入を得ていた。

 今さら無理して等級を上げずとも十分な収入があるのだから、上を目指す必要はないのだろう。


(随分と生意気な若造だな……年上を舐め腐りおって)


 行明は内心で舌打ちをする。

 支部長として増長した若者は何人も見てきたが、蘆屋恭一という男もまた短期間で成功した若者の例に漏れず、生意気で長幼の序を軽んじているらしい。


(こういう自信家の若造は心を折ってしまいたくなるな。蘆屋の人間となればなおさらよ)


 行明は恭一や双葉にバレないように、そっと術を発動させる。


(まずは丸裸にしてくれよう。貴様の秘密を暴いてくれる!)


 行明が得意とする術の一つ……『読心の術』。

 相手の心の内側を読み、さらに記憶を読み取ることができる術だった。

 行明はこれまでにも気に入らない若造の心を読み、弱みを握ることで屈服してきた。四十代で東京支部の頂点に立った要因の一つがそれである。

 対策をしている人間、護符や呪具で身を守っていれば回避は容易いのだが、今の恭一はどう見ても丸腰。防御の術を使っている様子もない。


(これは生意気な小僧への躾だ。悪く思ってくれるなよ?)


 行明はニヤリと笑って、恭一の心へと土足で踏み込んだ。


「うひいっ!?」


 そして……すぐに悲鳴を上げて、イスから転げ落ちる。


「あ?」


「支部長、どうかしたんですか?」


 急にオーバーリアクションで床に転がり落ちた行明を見て、二人が怪訝な顔になっている。

 一方で、行明はそれどころではなかった。


(ば、化物……この男、人間ではない……!)


 その正体はまるで見通すことができなかったが……蘆屋恭一の中にはとんでもない怪物が眠っていた。

 名のある神仏かそれとも悪魔か。とてもではないが把握することはできない。

 行明が恭一の心を覗いた時間は一秒にも満たないが、それだけの時間で圧倒的な格の違いを思い知らされてしまった。


「オッサン、大丈夫か?」


「あ、ああ……すまぬな。騒いでしまって」


 行明は背筋にタップリと汗をかきながら立ち上がる。

 恭一に心を覗いていたことを悟られるわけにはいかない。バレたら、どんな目に遭わされるかわかったものではなかった。


(この男は私の手に負える者ではない。正真正銘の怪物……!)


 もしも目の前の男が退魔師協会の敵に回れば、協会存続の危機である。

 この怪物をどう処理するべきかは自分の手に余る……もっと上の人間に押しつけるべきだ。


「わ、私の方からもお願いする。2級昇格試験を受けてもらえないだろうか? よろしく頼む……」


「支部長?」


 双葉が首を傾げた。

 行明は恭一を昇格させることに消極的だったはずなのに、まさか下手に出るとは思わなかったのだろう。


「2級に昇格すれば、それだけ高報酬の仕事が回ってくる。決して損はないと思うが」


「あー……そうか、そうか。金は大事だよな。でもなあ……」


 恭一はどうでも良さそうに頭を掻いた。

 2級昇格には興味がないが、やはり金は欲しいようだ。

 だが……高尾山や由比ガ浜のように稼げる仕事が下の階級に回ってくるとは限らない。

 アレは偶然の幸運だった。多くの人間にとっては不幸なのだろうが、滅多に巡り合えない高報酬の仕事だ。


「2級以上の退魔師は税金の控除額も上がるし、海外のほとんどの国に入国することができる。犯罪してもよほどの重罪でない限りは、罰金刑程度で済ませられることが多い。事務所を設立した際の法人税も……」


 行明があらゆる視点から2級退魔師昇格によって得られる利益についてプレゼンする。

 その見事な弁舌は隣に座っている双葉が目を剥くほどのものだった。

 巧みなプレゼンにより、最初は興味がなかった恭一も「フム……」と興味をそそられた様子。


「まあ、メリットはわからなくもないが……あと一声欲しいところだな」


 行明の努力のおかげで恭一もかなり揺れているようだった。

 もう少し……あと一押しである。


「仕方がありません。では、私が一肌脱ぎましょうか」


「青井君?」


「蘆屋さんが昇格して仕事を受けるようになれば、担当している私にも得がありますから」


 立ち上がったのは受付嬢の青井双葉だった。

 退魔師協会では、担当している退魔師が活躍するたびに受付嬢にも臨時ボーナスが支給される。

 だからこそ、ハニートラップを仕掛けてでも仕事を押しつける受付嬢が後を絶たないのだから。


「支部長は先に帰っていてもらえますか? ここからは女の戦いです」


「…………」


 行明はこれから何が起こるのかを察して、席を立った。

 静が一足先に引き上げることになった行明を玄関まで送っていく。


「言っておくが……最近の俺は実入りもあるし、良い女を式神にしたおかげで舌が肥えてるぞ? 以前のように簡単にやられると思うなよ?」


「蘆屋さんこそ。私はまだ受付嬢としての技を全て見せてはいませんよ。数々の退魔師の方々を手玉に取ってきたテクニックを見せてあげましょう」


 その日、双葉は職場である東京第二支部に帰ることはなかった。

 おまけに次の日は仕事を休む旨を電話で連絡して、週明けまで連絡が取れなくなってしまう。

 久しぶりに職場に顔を出した双葉は妙にツヤツヤとしており、恭一が2級昇格試験を受けることを報告したのであった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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[一言] >弱みを握ることで屈服してきた。  弱みを握ったのに屈服しちゃ駄目かと。  あと途中でギルドって出てますが、協会かなって思いました。
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