12.海坊主は友達。悪い奴はだいたい友達
同日、深夜。
蘆屋恭一と賀茂美森、竜神である静の三人は由比ヶ浜へとやってきていた。
三人がいる以外、浜辺に人の気配はない。すでに沿岸地域には避難命令が出ており、一般人は退避していた。
地元の退魔師が要所となる町の施設や寺社仏閣に結界を張っているが、本当に津波がきたらどうなるかはわからない。
「そもそも、海坊主ってのは何なんだろうな?」
遠く、暗い海を見つめながら……恭一が独り言のようにぼやく。
「正体不明の怪異。船幽霊の仲間という話もあれば、鯨や鮫の動物霊って話もある。日本の妖怪の総大将だっていう『ぬらりひょん』が姿形を変えたものだっていう異説もあったよな。津波を起こせるだけの力があるんだから、名のある神魔か竜神の仲間のようにも思えるんだが……」
「そもそも、本当に敵は海坊主なのかしら? 海坊主に町を呑み込むような津波が起こせるとは思えないけど……」
「申し訳ございません。『海坊主』と呼称したのは正確ではありません。拙が予知で見た夢では、正体不明の黒い影としか映りませんでした」
恭一の疑問に静が答える。
「大津波を連れて鎌倉に押し寄せてきて、町を丸ごと海に沈めていました。拙も夢の中で立ち向かうのですが、あっさりと呑み込まれてしまいました」
「そりゃあ、おっかねえな」
竜。海外におけるドラゴンというのは最強の怪物として名高い存在だが、同時に敵も多く弱点もある。
日本では大百足が天敵であると言われているし、決して無敵の存在ではなかった。
「とはいえ……海坊主がとんでもない怪物であることに違いはないけどな」
「はい、その通りです……来ました」
「ひゃあっ!」
地面が大きく揺れて、美森が悲鳴を上げる。
見つめる視線の先。暗い海が大きく盛り上がって、巨大な『影』がこちらに向かって迫ってきた。
「アレって……」
「津波だな。とんでもなくデカい」
地平線から浜辺に向かって、とんでもなく巨大な津波が押し寄せてきた。
「海坊主の姿は見えねえな。津波の向こう側にいるのか?」
「下がってください。波の勢いを弱めます」
静が前に出て、巨大な波の壁に両手をかざす。
水を操る竜神の力により、波の勢いがわずかに削がれる。あくまでも焼け石に水程度の違いであったのだが。
「結界展開!」
美森が指を立てて刀印を作り、沿岸部に結界を展開した。
強力でぶ厚い結界は、美森一人の力で張ったものではない。こうしている今も鎌倉中の寺社仏閣で神職・僧職・退魔師が鎌倉の安寧を祈願しており、その後ろ盾によって強化されたものである。
「これでかなり津波を弱くできるはず……どこまで防げるかわからないけど」
「この結界なら、多少の衝撃ならば大丈夫そうだな」
「ちょ……アンタ! 何するつもりよ!?」
恭一が浜辺の砂を蹴って、海に向かって跳躍した。
そのまま、巨大な波に向かって大きく腕を振りかぶり……
「フンッ!」
殴った。波を。
振り抜いた拳からとてつもない威力の衝撃波が放たれ、大波の壁をぶち破る。
砕け散った津波が雨となり、浜辺にいる二人の頭上に降りそそぐ。
「ブハッ! やべ、俺ってば泳げないんだった!」
海に落下した恭一が焦って藻掻いていると、たまたま浜に停めてあった小型船の一つが流れてきた。
船に掴まってどうにかデッキに上ると、浜辺から美森の叫び声が聞こえてくる。
「ちょっとー! 濡れちゃったじゃない! 何をやってるのよっ!」
ずぶ濡れになった美森が抗議の声を上げてくる。
陰陽師の正装である狩衣姿になった美森はグッショリと濡れそぼっており、頭には海藻のようなものまで張り付いていた。
「悪い悪い。だけど、津波はどうにかなっただろ?」
「どうして波を殴れるのよ! 馬鹿なの? 馬鹿よね!」
「さて……これで町が海に沈むのは避けたと思うが……うおっ!?」
恭一が乗っていた船がひっくり返る。
海の下を通っていく正体不明の生き物に跳ねのけられて。
「これは……」
『GYAOOOOOOOOOOOOOOO!』
海の底を這うように進んでいく影。
その姿は、確かに『海坊主』と形容するに相応しいものだった。
「……海坊主です!」
静が戦慄を込めてつぶやく。
巨大な影……海坊主と仮称された怪物が鎌倉の海に現れたようだ。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOO!」
絶叫を上げて、海坊主が黒く丸い頭を海から出す。
全体像を見ることはできないが、その体躯は間違いなく全長二十メートル以上はあるだろう。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOO!」
海坊主の口から海水が噴き出される。
高水圧レーザーのような勢いで噴き出された海水はまっすぐ浜辺に……否、そこにいる静に向けられていた。
「ッ……!」
「危ない!」
静に海水の大砲が命中する寸前、美森が防壁を展開した。
防壁によってわずかに海水が向きを変えて、二人から少し離れた浜辺に大きなクレーターを生じさせる。
「クウンッ! こんなの何発も喰らったら……霊力がもたないわよ!」
「GYAOOOOOOOOOOOOOOO!」
「またくるの!?」
海坊主が海水を吸い上げ、再び攻撃をしようとする。
「させねえよ」
しかし、恭一がひっくり返った船の船底を蹴り、海坊主の頭部に強烈な打撃を浴びせる。
「GYAN!」
「割れろ!」
津波をぶち破るほどの威力の打撃を受けて、海坊主は堪らず水底に潜ってしまう。
こうなると、泳ぐことができない恭一にはどうすることもできない。
先ほど足場に使った小舟を再び蹴り、砂浜へと戻ってきた。
「不味いな……海に戻ってったぞ」
「逃げるんじゃない? 津波を防げたのなら十分よ」
美森が恐々とした様子で言う。
正直、今回の仕事は美森のような若手には余る仕事である。
深追いは禁物。このまま海坊主が退散してくれるのであれば十分だった。
「GRYUUUUUUUUUUU……!」
「そうもいかんようだぞ。ほれ、見ろよ」
海坊主が遠瀬の海に顔を出す。
黒い頭部に眼球らしきものは見てとれないが、こちらを睨んでいるのは気配だけでわかった。
「!」
「来ます」
「結界!」
海坊主の口から、再び海水の大砲が放たれた。
距離が離れているため、いくらか威力は落ちているが……それでも、コンクリートの壁を吹き飛ばせるくらいの威力がある。
「抜かれた!?」
「下がれ、面倒臭えな……」
美森の防壁が破られて水が飛び込んでくる。
恭一が射線上にいた静を庇うように前に出て、手をかざして防御した。
ジンジンと掌が痛い。怪我をするほどの威力ではないが、素手でキャッチボールをした後のような気分だ。
「痛えなあ……相手にしてられねえ」
「アンタって本当にムチャクチャよね……何で、素手で受け止められるのよ……」
「出来るもんは出来るんだから仕方がねえだろ。お返しだ……『蒼雷』」
「ひゃんっ!」
恭一の手から雷撃が放たれる。
美森が驚いて小さくジャンプする中、蒼い雷が海坊主に命中した。
「GRYURYURYU……」
「効いてねえな。水属性は雷属性に弱いんじゃねえのか?」
残念ながら、ゲームのようにはいかない。
海水は雷を拡散させる。海坊主に命中した雷撃は表面を覆っている水を伝って海に流れてしまい、大きく威力を減衰してしまったのである。
「あ、アンタ……雷を操れるの? 蘆屋家の秘術?」
「違う……っていうか、お前にも見せなかったか?」
高尾山で天魔波旬を倒す際にも雷を使ったはずだが……どうやら、美森は見ていなかったようである。
「指一本分だけ『扉』を開いたんだが……相手が海の中じゃ効果半減だな。俺の力の領域外だ」
恭一の身体には大いなる力を有した『御方』につながる扉があるが、その力は地上か空でしか発揮されない。
海は『御方』の勢力範囲外。十分に力を振るうことはできなかった。
「なるほど、人間の子供がよく話していること……能力者は海に嫌われるというやつですね?」
静が見当違いなことを言う。
どうやら、人間に対して色々と偏った知識を持っているようだ。
「それにしても……アイツ、さっきから静のことを見てねえか?」
ふと、恭一が気になったことを口にする。
その言葉を聞いて、美森も考えこみながら頷いた。
「私も気になっていたのよ。さっきの水鉄砲も静さんに向けて放たれていたし……何か狙われる覚えはあるの?」
「ありません……おそらく」
静が首を振った。
「もっとも、竜神に対して、あるいは拙の血統である源氏に対して恨みを抱いているというのであれば話は別なのですが」
静の言葉に「フム?」と恭一が首を傾げた。
「そういう感じじゃねえんだよな……どうにも、違和感がある。そもそも、アイツの気配は日本の妖怪というよりも、もっと外様の……」
「GYAOOOOOOOOOOOOOOO!」
「……海外産の気配がするんだよな、うん」
再び、水圧の大砲が放たれるのを恭一は手で払う。
疲れるので全開にはしていないが、『扉』をわずかに開いていることで腕力や耐久力が飛躍的に上昇していた。
水圧のレーザーを素手で受け止めるくらいは容易である。
「ん?」
心の内側、開いた『扉』の中から力と一緒に流れ出てくるものがある。
恭一がそれに意識を向けると……脳内に体験したことのない記憶のビジョンが映し出された。
碧海が広がる海。
岩盤に一人の女性が鎖で拘束されている。
縛られた女性めがけて、海の中から巨大な怪物が姿を現した。
怪物は迷うことなく女性を一呑みにしようとするが……その身体を強烈な打撃が襲う。
一人の美丈夫の青年が岩陰から現れて、怪物に一撃を喰らわせたのである。
青年は熾烈な戦いの果てに怪物を打ち破り、その身体を砕いて海に沈めてしまう。
岩に拘束された女性は青年によって救い出され、自分を救ってくれた英雄に永遠の愛を誓うのであった。
「これは……」
脳裏を一瞬で通り抜けたビジョンに、恭一は額を指で揉む。
「俺の記憶じゃねえな……あったはずの神話の出来事か」
恭一の中には、古代を生きた偉大なる神の力が眠っている。
今しがた目にしたビジョンはその記憶の一部。目の前の怪物に応じて、『扉』の向こう側から流れ出てきたのだ。
「なるほどな……道理で強いわけだ。海坊主じゃなくて神話の怪物かよ」
「アンタ、一人でブツブツ何言ってんの? いよいよ頭がおかしくなった?」
「フンッ!」
「きゃいっ!」
ムカついたので、美森の尻を叩く。
胸は小さいが尻はそれなりに形が良い。実に叩きやすい尻である。
「アイツの殺し方がわかった。静、協力してもらうぞ」
「……もちろん、構いません。拙は何をしたら良いのでしょう」
「アイツを浅瀬におびき寄せる。海から出しちまえばこっちのものだからな」
遠瀬から攻撃してくる海坊主を見据えて、恭一は獣が牙を剥くようにして笑うのであった。
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