11.美女との入浴
「貴殿がこうして丸腰でいるというのに、拙が衣服を着けてくるわけにはゆきませぬ。失礼かとは思ったが服を脱いで参りました」
裸の女が恥じることなく言ってのけた。
少なく見積もってもFカップ以上はあろう二つの山が、長い手足が、そして……女性にとってもっとも重要な場所である『それ』を恭一にこれでもかと見せつける。
「いや……それが正解だな、うん」
女性の裸から目を逸らすことなく鑑賞しつつ、恭一はうんうんと頷く。
「ここは風呂場。裸でいるのがマナーだし、タオルを巻いて入浴するとか論外だからな! いや……お前さんはよくわかっているよ。うん!」
身体を流しもせずに風呂に入った男が堂々とマナーを語っていた。噴飯ものの面の厚さである。
「礼儀をわきまえた女は嫌いじゃない。そのデカい乳に免じて話を聞いてやる。さっさと湯に浸かりな」
「それでは、お言葉に甘えて失礼します」
恭一に促されて、美女が露天風呂に足を入れた。
血のように鮮烈な色彩の赤髪をかき上げて、ゆっくりと湯船に身体を沈める。
「フウ……良いお湯ですね」
「そうだろう? 俺も気に入ってるんだ」
湯のせいで女性の身体が見えづらくなってしまったが……心配ご無用。
たわわに実った二つの乳房がプカプカと湯に浮かんでおり、恭一の目を楽しませてくれる。
女は心地良さそうに目を細めて温泉を堪能していたが、やがて思い出したように話を切り出した。
「貴殿はこの地に参った退魔師であると聞きました。見たところ、かなりの力の持ち主とお見受けする」
「んー……そう見えるか?」
「隠しているようですが、肉体の内に内包した圧倒的な神力は欺けませぬ。名のある神の末裔でしょうか?」
「……まあ、そんなところだ。俺もその神の正体は知らんのだがな」
実はまだ見ぬ父親の正体に心当たりがあったのだが……恭一はあえて口にすることはしない。
ビッグネーム過ぎる父親の存在は恭一に利益よりも、余計なトラブルを持ってくることだろう。
「ならば、話は早い。貴殿に倒してもらいたい妖怪がいます」
女性が水面に浮かんだ乳房を揺らして、そんなことを言う。
「ある妖怪が明日にでも由比ヶ浜に現れる。そうなれば、この地に大きな災いがもたらされることでしょう。どうにか、その妖怪を祓ってはいただけないでしょうか?」
「待て待て。話が飛び過ぎだ……そもそも、お前は何処のどちらさんだよ」
恭一はまだ女性の名前すら聞いていないことを思い出す。
裸の美女。たわわな胸にどうでも良くなっていたが、依頼を受けろというのであれば素性を確認せざるを得なかった。
「失礼を。申し遅れてしまいましたな」
女性もまた、名乗りを済ませていないことに気がついたらしい。素直に頭を下げてくる。
「拙の名前は静。この地に住まう竜神の娘です」
「『静』だと……?」
恭一は怪訝そうに目を細めた。
鎌倉。そして、由比ヶ浜。
そこに出てきた『静』という名前。
そこから導き出されるのは、やはり『静御前』だろう。
平安時代末期。
後に鎌倉幕府を起こすことになる源頼朝には弟がいた。
その名も『源義経』。類まれな軍才によって、一の谷、屋島、壇ノ浦と連戦連勝を飾り、天下の平家を滅亡に追いやった人物である。
源義経は平家を滅ぼした後に兄によって裏切られて追討され、奥州藤原氏を頼って東北に逃れた。
しかし、最終的には鎌倉の圧力に屈した藤原泰衡によって攻められ、壮絶な最期を遂げることになる。
そんな源義経の妻が静御前であり、歴史において悲劇のヒロインとして語られることが多い女性だった。
静御前は兄に裏切られた義経と行動を共にしていたのだが、吉野の地で別れ、頼朝の配下によって捕らえられて鎌倉に送られることになる。
その後、孕んでいた義経の子を産むことになったのだが、生まれてきた子供が男子であったため、後顧の憂いを抱いた頼朝によって海に流されることになる。
その後、我が子を失くして悲嘆にくれた静御前は鎌倉を去ったとも、子を追って入水自殺したとも伝わっていた。
その子供が流された場所が由比ヶ浜。
つまり……恭一が船幽霊の除霊を依頼された、この土地である。
「この土地でその名前を名乗るってことは、もしかして静御前本人だったりするのか?」
「いえ、違います。拙は竜神の子。そして、静御前が産んだ子でもあります」
「……はあ?」
意味がわからない。
恭一は頭上に大きなクエスチョンマークを浮かべた。
「知っての通り、かつてこの浜辺に一人の子が流されました。しかし、それを憐れんだ竜神が亡き子の魂を拾い上げ、己の神力を分け与えた。そうして生まれたのが拙です」
「あー……そういえば、この近くに竜神を祀っている神社があったな。そこの祭神のことか」
静御前の子供であり、竜神の子でもあるというのはそういう意味か。
「しかし……義経と静御前の子供だったら、男になるんじゃねえのか?」
目の前の竜神はどう見ても女だった。
プカプカと揺れている二つの小島(大島?)がそれを物語っている。
「それは拙も知りませぬ。伝承が間違っていたか、あるいはもう一人の親である竜神が『かく在れ』と我が身を女人として作り変えたのかもしれません」
竜神の子……静もどうして自分が女なのかわかっていないらしく、ニギニギと自分の胸を揉んでいる。
「おお……!」
その光景を見て、恭一は頭に残っていた疑問がどうでも良くなった。
真剣な眼差しになって、静の指によって形を変える乳房を目に焼き付ける。
「素性はわかった。それじゃあ、依頼の内容を説明してくれ」
恭一は温泉の湯を手で掬って自分の顔にかけ、気を引き締めた。
「先に言っておくが、俺は陰陽師としては半人前だがプロの退魔師だ。報酬は安くはないぜ?」
「わかっております。貴殿ほどの神力を有した者の助力を求めるのですから、それ相応の対価は用意させていただきます」
静が淡々とした表情で報酬を約束する。
「依頼の内容ですが……今晩、この地に流れ着いてくる悪しき魔物を退治してもらいたく思っております」
「海の妖怪か? 別に構わないが……どんな妖怪だ?」
「正体は不明。強いて名付けるのであれば……『海坊主』」
「海坊主って……」
出てきた妖怪の名前に恭一はパチクリと瞬きをした。
「海坊主って、あの海坊主か? 黒くて坊主頭ででっかくて……」
「はい。そう名付けるのがわかりやすいかと」
「……ビックリだよ。あまりにもストレート過ぎてな」
本命の馬が最初から最後までトップで走り切ったような、何の番狂わせもドラマも無くて逆に驚いてしまうような心境である。
海坊主。
人魚と並んで、海の妖怪といえば『コレ!』という有名な妖怪である。
海坊主はその名の通りに海に出没する妖怪であり、大きさは数メートルから数十メートル。日本各地の海に現れて、時には嵐を巻き起こして船を沈める妖怪だった。
姿形は巨大な坊主頭の『何か』であるとされているが……詳しくは不明。
どこに現れるのかも予想できない神出鬼没の存在なため、退治も困難で退魔師協会もその正体を把握できていなかった。
「普通に考えたのであれば海の神、あるいは船幽霊のような亡霊の集合体か。そんな妖怪は実在せず、津波や入道雲といった自然現象を見間違えただけだって主張する奴もいるんだったかな……?」
「その海坊主が今夜にでも由比ヶ浜にやってきます。巨大な津波を引き連れて」
静が恐るべき未来予想図を淡々と語る。
「かなり大きな津波ですから、沿岸部分はとんでもない被害になるでしょう。死者だってどれほど出るかわかりません」
「……どうして、そんなことがわかるんだよ。天気予報で海坊主警報でも出てたか?」
「拙には予知能力があります。全てを見通すことまではできませんが、未来が見えるのです」
揶揄うような問いかけに、静が表情を変えることなく答える。
「百発百中とはゆきませんし、読める未来と読めぬ未来があります。それでも……拙が夢に見た未来は九割がた実現するのです」
「夢占いね。そういえば、静御前も色々と伝説のある人物だったな」
彼女が舞を踊ったら三日三晩、雨が降ったとか聞いたことがある。
竜神は天候を司る神だ。母親が何らかの神通力を持っており、それに竜の力が混じったとなれば予言の精度も高いだろう。
「大事だなあ……5級の新人退魔師には荷が重いぜ」
正直、すたこらさっさと逃げ出したい気分である。
しかし、依頼を受けると答えてしまったからにはそうもいかない。
恭一は基本的にいい加減で適当な性格だったが、一緒に風呂に入った女との約束を破るほど薄情ではなかった。
「……っていうか、俺が船幽霊狩りした直後に津波が起こったら、何か変なことしたんじゃないかとか疑われそうだしな」
実際、海神を怒らせて大波がきたり、山神を怒らせて土砂崩れが起こったり、そんな出来事は日本ではしょっちゅうだ。
恭一が船幽霊を払う過程で悪さをして、海神を怒らせたせいで津波が生じたとか責任追及されても困る。
「報酬はたっぷりともらうぜ? わかってるな?」
「無論です。竜に二言はありません」
「よし、ならば結構」
念押しをしておいて、恭一は大きく頷いた。
「それじゃあ、誰も確認したことがないという海坊主と闘りにいきますか。未確認生物の第一発見者とか、なかなかロマンのある話じゃないか」
恭一は気合を入れて、温泉から立ち上がる。
温泉のマナーとしてタオルを巻くことなく、堂々と全裸で。
「…………」
色々な意味で興奮して絶好調になった下腹部が静の前に突き付けられる。
そのあまりの堂々たる逞しさに、これまでずっと鉄面皮だった彼女がはじめて表情を顰めたのであった。
〇 〇 〇
「どうして、簡単な船幽霊退治が町の危機に発展してるのよ。馬鹿なの? 馬鹿よね……」
入浴後。
恭一は自分の部屋に美森を呼んだ。二人の前には膳に盛られた豪華な食事が置かれている。
恭一も美森も浴衣姿をしており、さらに恭一の隣にはちょこんと正座をする静の姿もあった。
静から聞いた話の内容を説明すると、美森が眉間にシワを寄せて考え込む。
「どう考えても、私達の領分を超えていると思うけど……そうだ、協会に報告しないと!」
「ああ、協会への連絡だったら、俺の方からしておいたぞ」
恭一が味噌汁を啜りながら言う。
海に近い旅館だけあって出汁の効いた味噌汁は非常に美味である。刺身も新鮮でスーパーで売っている安売りのものとは大違いだ。
「協会に所属している占い師が調べたところ、確かに鎌倉に災厄の兆しがあるらしいぞ。時間が無くて増援を送れそうにないから、こっちでどうにか対処して欲しいってよ」
恭一が漬物を齧りながら肩をすくめる。
退魔師協会には専属の占い師がいて、日本各地で起こる妖怪災害の情報を集めていた。
協会に所属しているだけあって優秀な占い師であったが、それでも所詮占いは占い。
外れることも多いし、今回のように災害が起こる直前まで発生を予測できないこともある。
「私達だけで対処って……無茶があるでしょ。馬鹿なの? 馬鹿よね」
「まあ、退魔師ってのは自営に近い仕事だもんな。逃げちまっても怒られはしないと思うぜ?」
「……アンタはやる気じゃない。珍しい」
美森が半眼になって睨んでくる。恭一は疑うような視線から目を逸らした。
(まあ、報酬だったら約束してもらってるからな)
それも二重で。
恭一は静から報酬を貰う約束をしていたが、同時に退魔師協会にもふっかけていた。
退魔師は自営業。
職員として正規雇用されているスタッフを除いて、協会に所属している退魔師はそれぞれ独立して職務を行っている。
今回の船幽霊退治のように特別に仕事を依頼されることはあるが、基本的に協会に対して忠誠心は持っていない。
ゆえに、自分達に対処できない事態にぶつかったら逃げてしまうのが常だったが……恭一はあえて協会に報酬を依頼して、この場に留まることにした。
「そりゃあ、アレだ。俺達が逃げたら鎌倉が海に沈んじまうかもしれないからな。この素敵な町を妖怪の好きにさせるわけにはいかないだろ」
「……嘘臭い」
「いや、マジでマジで。5千万とかふっかけてねえよ?」
「…………」
疑いの目が強くなった。
否定しているはずなのに、何故だろう。
最初は5億ほど要求したのだが、いくらなんでもそんな金は払えないと突っぱねられてしまった。
鎌倉市を津波から救うことを考えたら安い金額のような気がするのだが、退魔師協会もなかなかケチである。
「とはいえ……すでに由比ヶ浜の沿岸地域には避難命令が出たはずだ。市内の術者が結界などで町の防衛に尽力してくれるそうだから、俺達は海坊主の撃退に専念すればいい」
「それが一番、難しいんだけどね……」
「……申し訳ございません。拙どものせいで」
恭一の隣にいる静が畳に手をついて謝罪する。
「神社の祭神である父も留守にしておりまして、現在、戦えるものが拙しかおらぬのです。皆様の手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません」
「いえ、貴女のせいじゃありません。ただ……とにかく、人生が理不尽に思えてきまして」
「平家物語のように、ですか?」
「……そうですね。たぶん、あってます」
諸行無常。
まさしく、そんな心境であった。
「……いいわ。やるわよ。やってあげるわよ」
もはやヤケクソである。
父親の仇をとって高尾山を解放して、これから『武蔵賀茂家』の次期当主として栄光ある人生を送るはずだったのに、今夜、命を落としてしまうかもしれない。
諸行無常。
驕れるものは久しからず。
「うう……お味噌汁、美味しい……」
美森は肩を落としながら、椀に口をつけて味噌汁を飲む。
出汁の効いた味わいすらも憎たらしくなり、こんなことなら付いてくるんじゃなかったと後悔するのであった。
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