10.鎌倉へ。旅館に幽霊は出たが巨乳なので許す
六月某日。神奈川県鎌倉市。
三浦半島西岸にあるその町は南を相模湾に、北・西・東を山に囲まれた天然の要塞であり、平安時代末期、源頼朝はここを拠点として幕府を起こして政治の中心部分となった。
町には多数の神社や寺院があり、観光地としても栄えているが……多くの人々が集まり、戦乱が巻き起こったということは、それだけ人の怨念もまた集まっているということである。
鎌倉は京都、東京に続いて怨霊や悪霊が発生しやすい地域であり、退魔師にとっては大きな稼ぎ場所となっていた。
「とはいえ……この仕事はちょっと面倒だよな」
「……だったら、どうしてこんな仕事受けたのよ。付き合わされるこっちの身にもなりなさいよね」
蘆谷恭一と賀茂美森がタクシーでやってきているのは、鎌倉市南部にある浜辺……『由比ヶ浜』だった。
湘南の海として有名なこの浜辺は夏になると大勢の海水浴客がいっぱいになるのだが、シーズン前のため砂浜を散歩している地元民や少数のサーファーしかいない。
二人が……というよりも、恭一がハニートラップによって押しつけられたのは、由比ヶ浜における『船幽霊』の除霊だった。
船幽霊というのは海に現れる怨霊である。
よくあるイメージとしては、海から無数の手が出てきて、柄杓で水を入れて船を沈めてしまうことで知られていた。
その他にも海水浴客の足を引っ張って海底に引きずり込んだり、ボートの底に穴を空けてきたり、サーフボードを下からひっくり返したりもする。
決して強力な妖怪というわけではないのだが……これが夏場の水難事故の大きな原因となっていた。
退魔師協会がとったデータによると、海水浴のオンシーズン前にお祓いをするかどうかで水難事故の発生率が六割以上も違うらしい。
そのため、毎年五月から六月に協会から主だったビーチに退魔師が派遣されて、船幽霊の除霊が行われることになっていた。
「だからといって鎌倉とはな……勘弁して欲しいもんだぜ」
まだ夏が訪れていないとはいえ、五月の日差しはそれなりに強い。
恭一は海パンの上にパーカーの上着を羽織っている。
同じように美森もまた水着の上に上着という服装だったのだが……恭一はその艶姿を前にして、溜息をつく。
「……何よ」
「……いや、別に」
美森が着ているのはスクール水着だった。
特殊な趣味を持った人間であれば喜ぶかもしれないが、ハッキリ言って色気もへったくれもない。
おまけにその身体つきは貧相で、胸部はバナナの皮ほどしか膨れていなかった。
「何というか、まあ……頑張れよ?」
「急に励まさないでくれる!? 馬鹿なの、馬鹿よねっ!」
美森が顔を真っ赤にして、胸の前で両腕をクロスさせる。
美森はまだ高校生……いや、もう高校生だと言うべきだろうか。
これから成長する伸びしろは大きくない。おそらく、ずっとまな板として生きていくのだろう。
「……あとでヤキソバでも奢ってやるよ。それとも、たこ焼きの方が良いか?」
「……いつになく優しいのがムチャクチャ腹立つんだけど。殴っても良いわよね? 殴るわよ?」
恭一をジト目で睨みつけて、「そんなことよりっ!」と美森は本題に移る。
「アンタってば腕っぷしは強いみたいだけど、幽霊退治はできるわけ?」
退魔師は流派によって得意不得意が分かれる。
実体のある妖怪には強いが、幽霊や怨霊に対する攻撃手段を持っていない退魔師も多かった。
「まあ、一応な。分家の分家とはいえ蘆屋の人間だ。雑魚の幽霊退治くらいならやってみせるさ」
恭一はのんびりとした足取りでビーチを歩いていく。
波が寄せてきて足を濡らすが、こんなこともあろうかとサンダルを履いてきているので問題はない。
「ましませ、ましませ、おによこい。こっちのみずはあまーいぞ……急々如律令」
恭一が体内の霊力を練り上げて呪文を唱えると、海面に半透明のクラゲのようなものが集まってきた。
十、二十と集まってくる謎の物体。しかし、不思議なことに周囲にいる地元住民から不審の声は上がらない。
術者としての素養がない人間……『見鬼』の才がない者には見えていないのだ。
「召鬼法……アンタ、ちゃんとした術も使えるのね」
美森が感心した様子でつぶやいた。
召鬼法とはその名の通り、鬼を呼び寄せる呪いだった。
陰陽道における術の一つだが、中国から伝わった道教にルーツを持っている。
『鬼』とは今でこそ高尾山で戦ったような人型で頭部に角がついた妖怪をいうのだが、古来は幽霊や死霊を含む概念だった。
船幽霊もまた『鬼』に含まれており、この術の対象に含まれている。
「おー、集まってきた集まってきた。久しぶりにやるけど成功して良かったわ」
恭一がやる気のない口調で術の成果を確認する。
蘆屋家の人間として簡単な術を修得しているが、腕っぷしと雷で戦った方が強いのであまり使う機会がなかった。
「本当はこのまま使役して退散してもらうのが正解なんだけど……出来ねえんだよな。これが」
召鬼法は『鬼』を呼び出し、使役するまでが1セットである。
しかし、陰陽師としては未熟者な恭一には呼び出すまでで使役まではできなかった。
「というわけで……そこのお前、何とかしやがれよ」
「結局、祓えないじゃない! 指図するんじゃないわよ!」
呼び寄せた船幽霊の後始末を押しつけると、美森が「キイッ!」と噛みつくように叫んだ。
「まったく……それで私を連れてきたのね。納得したわ」
美森がブツブツと文句を言いながら、右手の人差し指と中指を立てる。
「逆しに行うぞ。向こうは血花を咲かすぞ……」
『オオオオオオオ……』
美森が術を発動させると、水面をクラゲのように漂っていた船幽霊が一斉に消滅する。
海をさまよい、生者を引きずり込むことを宿命づけられた怨霊は解放の声を漏らしながら天に還っていった。
「お疲れ。いやー、意外と楽な仕事だったな」
「何を言ってるのよ。まだまだこれからでしょう?」
ヘラヘラと笑っている恭一に美森が眉をひそめた。
「この広いビーチにいる船幽霊があれだけなわけがないじゃない。沖にもいるだろうし、仕事はまだ始まったばっかりよ」
「へ……そうなのか?」
「そうよ。だから誰も受けたがらなくて、ハニートラップに引っかかった馬鹿が押しつけられるんでしょう? 自分の間抜けさを呪いなさい」
「うっえ……マジでか……」
美森の説明に恭一は肩を落として、改めて厄介な仕事を押しつけられてしまったと落胆するのであった。
〇 〇 〇
それから、恭一と美森は由比ヶ浜のビーチを周りながら船幽霊を退治していった。
恭一が召鬼法を発動させて船幽霊を集めて、美森が集まった彼らを術で祓う。
そんな作業を十回以上も繰り返すと、退魔師カードの裏面に書かれている数字がすごいことになっていた。
「合計1035匹……すごいわね」
「……どうして、ビーチにこんなに幽霊がいるんだよ。毎年、お祓いをやってるんじゃないのか?」
一年間でそんなに船幽霊が集まるものなのか。
恭一は忌々しそうに言いながら、サンダルで波を蹴りつけた。
「……いくら祓っても、お盆のたびに戻ってきちゃうのよ。ただでさえ海には冥界の入口があるとされているし、水場には幽霊が集まりやすいから」
単純な水難事故、海で戦死した人間ばかりではなく、彼らに誘われてやってきた浮遊霊が船幽霊に化けてしまうこともあるそうだ。
おかげで、毎年のように退魔師が日本各地のビーチに駆り出されているのだから。
「霊力を消耗してきちゃったし、今日は宿に帰りましょう。宿代は協会が持ってくれるんでしょう?」
「ああ……毎年、退魔師が利用している旅館があるんだと。予約も取ってもらっているから心配するな」
恭一と美森はビーチに隣接したシャワールームで身体を洗ってから、タクシーで予約している旅館に向かう。
到着したのは『憂水館』という名前の旅館だった。
事前に連絡していたため、二人が到着するや旅館の従業員が出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。遠いところをよくお越しくださいました」
腰を折って深々と頭を下げてきたのは四十代くらいの年齢の女将だった。
「東京からいらした退魔師の方ですよね? 蘆谷様と賀茂様でよろしかったでしょうか?」
「ああ」
「問題ありません」
「お部屋の準備ができております。どうぞ、こちらにお越しください」
女将の案内で二人は旅館の部屋へと案内された。
憂水館は開業二百年になる老舗の旅館であり、建物自体は改築されているので古めかしい印象は受けないが、白石が詰められた庭園は手入れをされていて季節の花々が咲き誇っている。
恭一と美森の部屋はもちろん別々。一部屋しか予約できておらず、若い男女が同じ部屋で……などというお約束の展開はなかった。
恭一に用意されたのはこの旅館でもっとも良い部屋だった。一階の角部屋で庭園に面しており、露天風呂までついているという部屋である。
「一時間ほどで食事の準備ができます。それまで、よろしければ温泉に入られてはいかがでしょう?」
「混浴か?」
「もちろん、男女別になります」
恭一の問いに女将が営業スマイルで答えた。
残念ながら……というか、当たり前であるが男女が分かれた浴室になるらしい。
「こちらの部屋にお泊まりのお客様には専用の露天風呂が付いておりますので、そちらでしたらお連れ様と御一緒に入っても問題はありませんよ。もちろん、お連れ様の了承が得られたらの話ですが」
「そうかい……ま、どーでもいいけどな」
恭一は座布団の上に胡坐をかいて座り、テーブルの上にある和菓子をつまんで口に放り投げる。
女将は恭一の態度を特に気にした様子もなく、「それでは失礼いたします」と部屋から出ていった。
「……色気のねえ旅だな。まったく、お色気要員はいないのかよ」
不貞腐れたように言いながら、恭一は自分の腕の匂いを嗅ぐ。
部屋に残された恭一であったが、ずっと由比ヶ浜のビーチにいて潮風にあたっていたせいで、身体に潮の匂いがこびりついていた。
「……風呂、入るか」
面倒ではあったが、このままというわけにもいくまい。
恭一は面倒臭そうに下着と浴衣を持って、浴室へと向かった。
豪勢なことに、この部屋には内風呂と露天風呂の両方がついているようだ。恭一は迷うことなく露天風呂に向かう。
「ふいー……極楽極楽」
身体を流すことすらせずに浴槽に浸かり、恭一は深い息を吐いた。
完全なマナー違反ではあるものの、ここに咎める者はいない。部屋に備え付けられた風呂なのだから、多少好き勝手にしても問題はないだろう。
「……役得。こればっかりは双葉に感謝だな」
退魔師協会の受付嬢から厄介な仕事を押しつけられたものだと思ったが、こうして無料で旅行をして温泉を堪能できるのだから悪いことばかりではない。
あまり良い家庭環境になかった恭一は学校の行事以外で旅行らしい旅行をしたこともなく、温泉に入れるのは普通に有り難かった。
「……これで一緒に来るのが色気ムンムンの美女だったら、申し分ないんだがな」
ちんちくりんの高校生女子、おまけに部屋も別なのだから色気もへったくれもない。
いっそのこと芸者でも呼んでもらおうかと恭一が考えていると……ふと奇妙な気配を感じた。
「……誰だよ、こっちが温泉を堪能してるってときに」
恭一は温泉に浸かったまま、忌々しそうに口を開く。
不躾な侵入者は背後に現れた。振り返らずとも、気配だけでわかる。
先ほどまで誰もいなかったはずなのに……まるで虚空からにじみ出るようにして、強い霊力の気配が生じたのだから。
「邪魔をして申し訳ありませぬ。貴殿が海の祓いを任された陰陽師で相違ないでしょうか?」
「陰陽師ね……そんな御大層なものじゃねえけどな」
古めかしい口調で背後の誰かが話しかけてきた。
恭一はグルリと首を巡らせて、ようやく侵入者を視界に収める。
「お?」
「それほど強烈な気配を放っておいて謙遜を。陰陽師でなくとも、比類なき強さの武人には違いないでしょう?」
背後に立っていたのは髪の長い女だった。
美しい顔立ちをしているが、一目で人間でないことがわかってしまう……そんな独特な空気を身に纏っている。
「おいおい……マジか」
しかし、そんなことは恭一にとってはどうでもいい。
明らかに人外と思われる誰かに背後を取られたことよりも、もっと重大なことがあった。
「まさか全裸の美女が登場とはな……いったい、いつ確変に突入したんだ?」
背後に立っていた髪の長い美女は下着も着けない全裸であり、タオルすら付けずに裸身をさらしていたのである。
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