9.元ヒモなので貯金しない
「勘弁しろよ……お前はわざわざ、俺を犯罪者にするために来たのか?」
「……アンタが悪いでしょ。どう考えても」
コンシェルジュに事情説明を終えて、恭一は辟易して渋面になる。
あと少しで警察を呼ばれるところだった。
ただでさえ高校生の少女を部屋に入れるという犯罪臭のある状況だというのに、おまけに悲鳴まで上げられたら完全にアウトである。
退魔師カードを見せて、退魔師同士の作戦会議だと説明してわかってもらえたが……場合によっては、あのまま通報されていたことだろう。
「買ったばかりのマンションをこんなことで追い出されたら泣くぞ、流石に。いくらしたと思ってるんだよ」
「……いくらしたのよ」
「五千万だ。タワマンの部屋としてはかなり安い方っていうんだから、笑える金額だろう?」
少し前まで恋人の家に寄生していた恭一は、高尾山で得た多額の報酬の半分を使ってタワーマンションの一室を購入していた。
恋人から家を追い出され、わずかばかりに恵んでもらった金をギャンブルで使い果たし……たった数日でタワーマンションに部屋を買った。
これが本当に現実なのか、信じられなくなるようなシンデレラストーリーである。
「へえ……良かったじゃない。良い部屋が見つかって」
美森は不機嫌な表情になっていて、恭一と目を合わせないように顔を背けていた。
先ほど目にしてしまった光景を振り払うために部屋の中に視線を巡らし、「ふうん?」と口を開く。
「それにしても……結構、綺麗に整っているわね。意外と掃除好きなの?」
「引っ越してきたばかりだからな。まだ家具とか買ってないだけだ」
恭一がペットボトルの茶をリビングのテーブルに置く。
イスに座った美森は手を付けることなく、緑茶のペットボトルを見つめている。
購入したばかりのイスとテーブルはそれなりに高価なものであり、庶民には手が出ないものだった。
「たった一日で億万長者とは笑えるよな。退魔師というのは夢がある仕事だ」
「ほとんどの人間はその夢を叶えるまでに死んじゃうわよ。生き残るのは身の程を知って無茶せず仕事をしている人達と一部の天才だけ」
「その天才の一人になれたというのは悪い気がしないな。成功者にでもなったような気分だ……金が入ったおかげで、あの受付嬢も遊んでくれたしな」
恭一は昨晩のことを思い出す。
新しいマンションを購入して、最低限の家具を買って……恭一はダメもとで退魔師協会の受付嬢を家に誘ってみた。
引っ越し祝いに酒でも飲まないかと口説いたのだが……彼女からまさかのオッケーを貰うことができたのだ。
青井双葉という名前の受付嬢と一緒にワインや日本酒などの酒を飲み、デリバリーで注文した料理とつまみを食べ……そこから先は大人の時間。一夜を同じベッドで過ごしたのである。
「年収一千万を超えたら口説いても良いと言われていたが……冗談じゃなくて本気だったんだな。いや、金持ちになってみるもんだな」
「それって……」
ハニートラップではないのだろうか……美森はそう口に仕掛けて止めた。
退魔師協会は決してクリーンな組織というわけではない。
受付や事務スタッフの中には優秀な退魔師と肉体関係を持ち、旨味を吸い上げようとする者もいるのだ。
条件が良い男を見つけるために勤める女性もいるし、退魔師を口説いて嫌な仕事を押しつける人間もいるという。
「……まあ、私が口を出すことじゃないわよね」
「ん? どうした?」
「いいわ……そんなことよりも、これを貰ってくれるかしら?」
美森は持ってきた菓子折りを差し出した。
「……先日はご迷惑をおかけしました。おかげで高尾山に巣食っている鬼を退治して、父の仇を取ることができました。本当にありがとうございます」
「お、おお?」
殊勝な顔で頭を下げてくる美森に恭一が目を白黒とさせる。
恭一は美森があの山で父親を失っていることなどの事情を知らない。寝耳に水な心境だった。
「この御礼は改めて、必ず……どんなことをしてでも返します」
「そ、そうか。それは助かる……かな?」
「ちなみに、何かご要望などはあるかしら? 私はまだ家督を継いでいないけど、いずれは『武蔵賀茂家』の当主になる人間だから。それなりに融通を利かせることはできるけれど?」
頭を上げて、美森が訊ねた。
恭一に対して感謝をしているのは事実だし、彼のような強い退魔師と関係を持ち続けたいという気持ちもある。
感謝と打算を込めて訊ねると……恭一は「そうだ」と指を鳴らす。
「ちょうど手伝って欲しいことがあるんだった。タイミングが良かったな」
恭一はイスから立って隣の部屋に行き、A4サイズの茶封筒のようなものを持ってきた。
「実は双葉……さっきの受付嬢から仕事を頼まれたんだよな。『優秀で頼りがいのある退魔師にしか頼めない』って」
「…………」
「どうにも、仕事の内容的に俺一人だとしんどそうでな? 手伝ってくれよ」
「……さっそく、引っかかってるのね」
やはり、あの受付嬢が恭一に抱かれたのはハニートラップであるらしい。
魔王と呼ばれる大妖怪と殴り合いができるくせに、どうして、この男はこんなに脇が甘いのだろう?
(……お人好しって感じじゃないのにね。女に弱いのかしら?)
だったら、自分も身体を使ってつなぎとめておこうか。
そんな考えが頭をよぎり、美森は慌てて首を振るのであった。
〇 〇 〇
「どうして、そんな割に合わない仕事を受けちゃうのよ。そんなに青井さんのことが好きなの?」
美森は心の底から呆れ返る。
付き合いが浅いという理由もあるが、それ以上に馬鹿な男の内心が読めなかった。
「あー……金が無くてな」
「は?」
「金がないんだよ。この仕事、面倒臭いけど報酬が良いんだ。だから受けることにした」
恭一があっけらかんと言ってのける。
五千万もするタワーマンションに住む男の口から出た言葉とは思えず、美森は目を白黒とさせた。
「お金がないって……高尾山の時にもらった報酬はどうしたのよ? まだ残っているでしょう?」
マンションを購入するのに五千万を使ったと話していたが、まだ半分は残っているはずである。
家具などの生活用品を買いそろえたとしても、それだけの金額が吹き飛ぶことはあるまい。
「……女にやっちまったよ。残り五千万、全部な」
「女って……え? 貢いだの、あの受付嬢さんに?」
「双葉じゃねえよ。貢いだのは別の女……俺の元カノにだ」
「元カノ……?」
「ああ」
恭一は眉間にシワを寄せて唸る。
高尾山解放によって一億円という見たこともない金額を手にした恭一であったが……その半額をマンション購入に、残りをかつて同棲していた恋人である相葉乃亜の口座に振り込んでいた。
おかげで、高尾山攻略の報酬はすっからかん。
小鬼やら中鬼やらで稼いだ小銭はまだあるが、数日もすればそれも無くなって食費も底をつくことだろう。
「アイツには金を借りてたからな。まあ、ちょっと利子を付けて多めに返してやったんだ。親切だろ?」
恭一が乃亜から借りた……別れる選別に貰った金は五万円である。仮に一年間養ってもらったお金を考えたとしても、五千万円も支払う必要はないだろう。
それでも恭一が乃亜に大金を渡したのは、これまで世話になった御礼である。
親に頼れない事情がある恭一にとって、自分を部屋に住まわせてくれた恋人は女神のような存在だった。
感謝はいくらしても尽きない。だからこそ、出ていってくれとお願いされたら素直に部屋を後にしたのだから。
(それに……少しでも俺を捨てたことを後悔してくれたら、胸もすくからな)
自分を捨てた女が『捨てるんじゃなかった』とわずかでも未練を感じてくれたのであれば、恭一としても悪い気はしない。
ヨリを戻すつもりなど少しもないが、恋人には恭一が五千万という大金をいとも容易く稼いで、平気で人に渡すことができる優秀で気前の良い人間だと記憶してもらいたかった。
「ま……男の意地ってやつだな。笑えよ」
「…………」
しみじみと語っている恭一を、美森は未確認生物でも見るように見つめる。
出会ってからずっとそうだったが……美森には恭一の考えや行動がまるで読めなかった。
男女の違いというだけではなく、本当に別の生き物のようにすら感じられてしまう。
「いいわ……手伝うわよ」
それでも、溜息混じりに恭一が引き受けた仕事に手を貸すことを同意した。
「お、マジで? ダメもとだったんだが……良いのか?」
「……アンタには高尾山で助けられた借りがあるからね。仕事くらい、手を貸してあげるわよ」
世間的には高尾山解放の最大の功労者が美森であることになっていたが、彼女自身はそこまで大それたことをしたとは思っていない。
天魔波旬を相手に十分な時間を稼いでくれた恭一こそが、もっと称賛されるべきだと感じていた。
「そうこなくちゃな……お礼に乳揉んでやろうか?」
「……警察呼ぶわよ。この犯罪者」
冗談めかしてわしゃわしゃと指を動かす恭一に、美森は軽蔑しきった眼差しで悪態をつくのであった。
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