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魚の翼

作者: 藤泉都理

【筍掘り】




 それは、筍掘りの最中の出来事であった。


「親方!空からまたお孫さんが落っこちてきました!」

「ああ。わりいが、おめえが受け止めてくれや」

「あいあいさー!」


 親方から任された少年は妖術で隠していた九本のしっぽを表に出すと、垂直に勢いよく飛び出しては空中で留まるとふかふかのしっぽで受け止めた。


 翼が生えている魚を。












(2023.4.21)



【茜雲だってば】




 連なる三つの山を管理している親方こと長庚ゆうずつは烏天狗であり、女性と結婚し、彼らの間に生まれた息子は人魚と結婚して、孫が生まれた。

 烏天狗と人間と人魚の血を受け継ぐ少女である。

 名を茜雲あかねぐもと言う。

 茜雲は通常時は祖父の長庚と同じく人間の姿を取っていたが、祖父とは違い疲労困憊状態に陥ると、青い身体に漆黒の翼が生えている魚になってしまうのだ。






「えーまた筍ごはんんーと、筍と厚揚げ豆腐の醤油煮いぃぃー?筍って口の中がいがいがするから嫌いなのにー」


 長庚が管理する山中に建てられた丸太小屋にて。

 半日をかけて回復して人間の姿になった茜雲は、ふくれっ面になりながら長庚を見たが、長庚は嫌なら食べなければいいと素っ気なく言った。


「ひどい!おじいちゃん!」

「山の恵みを大切に扱わん孫など知らんもんねー」

「ううううう」

「ほら。お孫さん。筍の天ぷらはそんなにいがいがしませよ」

彎月わんげつ!」

「はい?」


 揚げたての筍の天ぷらを丸太卓に乗せた彎月と呼ばれた少年は首を傾げた。


「お孫さん。目を三角にしてどうしたんですか?」

「だーかーらっ!私の名前は茜雲だってば!」

「はい。知っていますよ」


 彎月は丸太卓の前で正座になり、いただきますと手を合わせた。


「ちょっと!いただきますはみんなでしなきゃダメでしょ!」

「では、お孫さん。立ってないで、座って座って」

「もう!お孫さんじゃなくて!」


 茜雲だってば!










(2023.4.21)



【覚えている】




 いいかい。

 おまえの力はとても強い。

 九尾の妖狐は特に妖力が強いが、おまえは群を抜いている。

 だから、よく覚えておきなさい。

 おまえは。











 妖力が弱まる日だったのだろう。

 常ならば平気なはずの毒蛇に噛まれたあなたが毒にやられて寝込んでしまった日。

 祖父は毒消し草を探しに行って、丸太小屋にはあなたと私だけ。

 妖怪の中で最強と謳われているのに情けない。

 汗が滴る額と前髪を布で拭って、前髪の一房を掴んで軽く引っ張ると薄く目を開いて言ったのだ。あなたは。


 連れて行ってほしい。

 雲の上へと。

 連れて行ってほしいと。

 細いほそい糸のような涙を流して。

 そうしてまた眠りに就いて。

 それっきり、その願いを口にしたことはなかった。




 ねえ、覚えてないでしょ。

 絶対、覚えてない。

 でも私は覚えている。

 だから。











(2023.4.21)



【いただきますとごちそうさま】




 筍ご飯。

 筍の天ぷら。

 筍と厚揚げ豆腐の醤油煮。

 筍と刺身こんにゃくの酢味噌和え。


 茜雲は座って長庚と彎月と共にいただきますと言うや、丸太卓からこれらの料理が乗った木皿をハンカチを敷いた床に置くと、長庚と彎月に身体を背けたまま食べ始めた。

 長庚と彎月は顔を見合わせては、茜雲に話しかけることなく明日の予定を話し始めた。


「明日は俺の友たちが筍掘りに来るから、おめえは休みだったな」

「はい。でも俺は本当に手伝わなくていいんですか?」

「ああ。ここ毎日夜明け前に筍掘りをしちゃあ麓に運搬を繰り返して疲れただろう。筍掘り体験も今年は申し込みが多かったしな。ゆっくり休めや」

「親方も休んだ方がいいんじゃないですか?」

「ああ。そうだな。まあ、明日の昼はゆっくり休むわ。おめえはどうすんだ?」

「はい。藤の下でゆっくり過ごそうかと思ってます」

「ああ。そういや、ちらほら見るな。何だ?秘密の場所でも見つけたのか?」

「はい」

「そうかそうか。ゆっくり休めや」

「はい」


(もう、何よ!おじいちゃんも彎月も私に話しかけないなんて!)


 茜雲は長庚と彎月に怒りの言葉をぶつけたかったが、自分からは話しかけたくなかったので無言で食べ続けるのであった。

 もちろん、ごちそうさまでしたは一緒に言った。











(2023.4.22)



【一陣の寒風の毬】




「お孫さん」

「茜雲だってば」


 いつもの溌溂さがないのは、疲労困憊の状態だからだろう。

 前日に言った通り。休日を迎えた彎月が丸太小屋から離れた藤の下で寝転んだ視線の先、あちらこちらと空に上がりながら曲がりくねる枝からたなびく藤の花が、そよりそよりと揺らぐ様を見ながらうつらうつらしていた時だった。

 青の光が細い針のようにまっすぐに急落下して、藤の花と枝で埋め尽くされていた目に直撃した彎月は、やれやれと思いながら立ち上がった。

 これは合図だ。

 力尽きた茜雲が落下してくる合図。

 彎月はそうしていつものように九本のしっぽを表に出すと飛び上がり、空中で無事に翼が生えている青の魚になってしまった茜雲を受け止めたのであった。




 ちょっとだけ休むわ。

 ゆっくり地上に降り立つや、それだけ言うと彎月の九本のしっぽに乗ったまま茜雲は眠りに就いた。


『あなたのしっぽはひんやりしているから、受け止めるなら手じゃなくてしっぽにして』


 魚の姿になった時は、手は熱すぎるようだ。

 茜雲に言われるより前に、長庚にそう言われていたので最初からずっと、彎月はしっぽで受け止め続けていた。


『空には、飛ぶことには興味がなくて、海で泳いでばっかりいたのになあ。何で、急に飛ぶ気になったのか。もしかして俺のように飛びたくなったのかねえ。この逞しく美しい漆黒の翼に憧れちゃったのかねえ』


 にやにやと嬉しさ満開の笑顔を見せながら、雄々しい漆黒の翼をゆるりと羽ばたかせた長庚は言った。

 きっとそうですよ。

 彎月は力強く答えた。




(親方に似て頑張り屋さんだから飛べるようになるまで絶対に諦めないだろうなあ)


 胡坐をかいて彎月は、茜雲が自然と目を覚ますまで待っていようと思っていたのだが。


「あ。やばっ!」


 一陣の寒風が毬のように空から落ちて来ては、地面で跳ね返り藤の花を吹き上げたかと思えば、その場から忽然と彎月と茜雲の姿が消えていたのであった。











(2023.4.22)



【雲の上】




(これは、どうしたものか)


 彎月は困惑した。

 ぎゃんぎゃん泣いている茜雲を前にして。

 ふかふかふわふわの綿雲を下にして。

 魂を、言葉を滑らかに、血管が微かにざわつくように吸い取られるような、透き通る青を左右上にして。


 ここは雲の上。

 茜雲がいつか必ず自分の力で、自分の翼で彎月を連れて行くと心に決めていた天空であった。


「ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん!」


 本当は違う泣き方をしているのだが、どうしてもそんな風に泣いているように見える彎月は本当に困惑していた。

 怒っている茜雲はそれこそ何度も目にしたことはあるが、泣いている茜雲を見るのは初めてだったのだ。


「どうしたんですか、お孫さん。どこか痛いんですか?」

「ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん!」


(何よ何よ何よ!こんな時ですら名前を呼ばないのね!別に今呼んでもらいたくもないけど!)

(どうしたものか。いつもは青い鱗が赤い。早く地上に戻った方がいいだろうに。帰りましょうとしっぽを伸ばしても、翼で叩かれるだけだし)


 まだ漆黒の翼が生えている魚の姿なのは、回復していない証。

 温度は少しひんやりする程度だが、酸素が薄いのだ。

 彎月には何の影響もないが、体調不良の茜雲には少しきついかもしれない。

 だと言うのに。


「お孫さん。帰りましょう。ほら、しっぽに乗ってください」

「ぎゃんぎゃんぎゃん!」

「いったい何が嫌なんですか?」

「ぎゃんぎゃんぎゃん!」


(言えるわけがないでしょう!私が連れて行きたかったのに、こんな想定外の自然現象に連れて来られたのが嫌だったなんて!)

(う~ん。まいったなあ。もう強引に連れて帰るかな~。当分怒ったままになりそうだけど、このままじゃ、危険な状態になるかもしれないし。う~ん。もしくは名前を呼んだら、しっぽに乗ってくれるか。けど。名前を呼んだら)




 強すぎる妖力を宿して生まれて来た妖怪は力への執着に貪欲で、名を呼んでしまったらそのものの妖力を吸い取ってしまう。命を奪うとまではいかずとも、限りなく危うい状態になるまで吸い取ってしまうのだ。


(ゆえに。名を呼ぶな。て、言われ続けて来たからなあ~)











(2023.4.24)



【あれあれあれ】




(よし)


 綿雲の上で正座になっていた彎月は交差させた腕で腹を押さえては上半身を下ろして、あいたたた~と涙声交じりに腹痛を訴えた。

 仮病である。

 自分が地上に戻らなければいけない状況を作ればきっと応じてくれると考えたのだ。


「あいたたたたたた~。お孫さん。俺、腹が痛いです~。これは親方特製の薬を飲まなければ治りそうにありません~。あいたたたたた~。いたい~。もうだめだ~」


 ピタリと止んだ茜雲の泣き声に、しめしめとほくそ笑んだ彎月。あとは顔を弱弱しく上げて、しっぽに乗ってくださいと言えば応じてくれること間違いなしだ。

 そう目論んで、ふらりふらりと上半身も顔も前後左右に揺らしながら、上半身を起こそうとした彎月であったが。


「あれ?」


 青色が消えて、もくもくの白の水蒸気へと景色が一変した。


「あれ?あれ?」


 彎月は困惑した。

 いや、ずっと困惑しているが、さらに輪をかけて困惑していた。

 何故ならば、乗っているのだ。身体が巨大な何かに。黒とも青とも見える色で、硬いようなやわらかいような感触がして、どっくんどっくんと迫力がありながらもどこか懐かしくなる命の鼓動を響かせる、それはそれは巨大な生物に。


「あれあれあれ?」


 おもむろに力が抜き取られるような感覚に陥った彎月は、へなりへなりとその正体不明の生物の上に倒れ込んで、そして、景色が暗闇に覆われてしまったと同時に意識がなくしてしまったのだ。











 ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん。

 また茜雲の泣き声が再開してしまったようだ。

 その声が鋭い針となって脳に直撃した彎月は、倒れ込んでいた身体を勢いよく起こすと茜雲を探して、その姿を視認すると問答無用でしっぽで包み込み、長庚がいる丸太小屋へと飛び跳ねて向かった。


 彎月は気づきもしなかった。

 九本あるはずのしっぽが、五本しかなかったことに。











(2023.4.24)



【魚の翼】




『どうやらおめえの妖力を喰っちまったみたいだなあ』


 ぎゃんぎゃん泣き続ける茜雲をしっぽで包み、丸太小屋まで飛び跳ねながら進んで辿り着いた彎月へと、長庚が開口一番に言ったのだ。


 九尾の妖狐の妖力が身体に馴染むまで、できる限りそのしっぽで過ごさせてほしい。






「お孫さん」

「何よ?」

「まだ妖力が馴染んでないんです。前みたいに空を飛びのはもうちょっと我慢してください」

「だって退屈なんだもん」

「俺の身が持たないので、お願いします」

「え~。しょうがないわねえ~」

「お孫さん」

「何よ?」

「地面に下りてください」

「え~。しょうがないわね~」


 今日も今日とて。

 空から落っこちて来た茜雲を空中に飛び跳ねては、しっぽで受け止めた彎月。徐々に下降して地面へと着地したところだった。


 いつもと同じ光景。と、言いたいところだが違うのだ。

 両の手に収まるほどの質量と大きさの青い魚の姿、ではなく。

 横に倒して半分に切った樹齢三十五年の杉が十本重ね集められた、それはそれは重たい質量と大きさで青にも黒にも見える、漆黒の翼が生えている鯨の姿であった。

 その鯨の姿になった茜雲を受け止めて、なおかつ支えていたのだ。

 九本のしっぽで。

 茜雲に妖力を喰われた彎月であったが、回復してしまえば五本になってしまったしっぽも九本へと戻ったのである。




 よいしょっと。

 翼を動かして彎月のしっぽから離れた茜雲が地面に降り立つ頃には、いつもの青い魚の姿になっていた。

 茜雲曰く、まだまだ妖力を持て余している、自由自在に操作できない、超面倒な妖力だ、とのことだが、彎月はこの言葉を少し疑っている。

 本当は自由自在に、魚の姿になれたり鯨の姿になれたりできるのでは、と。

 けれども、茜雲がそう言っているのだ。問い詰めようとはしなかった。

 茜雲は隠そうとしているが、時折、本当にきつそうな姿を見てしまえば尚更。


(それにしても、九尾の妖狐の妖力を喰っちまう妖怪も居るんだな~)


 彎月が長庚に言われた時は、思わずあんぐりと口を大きく開けてしまったのだ。


(喰う存在だけかと思ってたけど、喰われる存在でもあるんだよな~。まあ、生物ってそんなもんかあ~。最強だろうが何だろうが)




「ふふ。彎月のしっぽに藤の花が絡みついてる」


 藤の花の下。

 茜雲は彎月の九本のしっぽの上で眠りに就こうとする時、ふと見つけた藤の花を取ろうとして、結局止めた。



(いつか、)



 彎月が長庚の元に来てからこっち、彎月が具合が悪くなったことなど一度もなかった。

 だから、腹が痛いと彎月に訴えられた時は、ひどく肝を潰して、そして、早く地上に戻らなければ、長庚の元に連れて帰らなければと、ひどく焦って。ひどく、泣きたくなって。


(まさか、彎月の妖力を食べちゃうなんて)


 そんなことをしでかしてしまった自分に、度肝を抜かれて。

 自分が彎月を殺しちゃうんじゃないかって、気が動転して。

 死なないで、死なないで、と。

 言葉に出さずに、泣き続けて。

 泣き続ける中で、強くなろうと決めたのだ。

 彎月が自然と名前を言っても大丈夫だと思われる存在になりたい。

 だから、この身に廻る彎月の妖力も有効活用させてもらう。




「彎月。いつか必ず私が雲の上に連れて行くから」




 彎月は茜雲の寝息を聞くともなしに聞きながら、頭上に連なる藤の花にそっと小指で触れてから、大きなあくびを零したのであった。











(2023.4.25)







 

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