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大罪を犯しし異世界転移者の弟子

作者: 一等ダスト

 師匠が死んだ。

 齢180の大往生だった。とても人間の寿命とは思えないほどの長生きだったが、それは師匠がイセカイテンイシャだったから、らしい。何でも、テンイボーナスとして人間では御しきれないほどのスキルを獲得した結果だとか。平均寿命が40にも満たないであろうこの世界の人間と比べると、想像も出来ないほど生きたまま世界の変異を見てきたのだろう。

 俺にとっての師匠は、常に謝罪を繰り返す項垂れた老人だった。俺に修行を付けるときも、食事の時も、身を清める時も、眠っている時でさえも赦しを請うていた。

 声質はいつも暗く、顔色は悪く、皮膚は自らの手で付けた傷だらけで、自分の全てに絶望していた。時たま見せる、何かを懐かしむような寂しげな笑顔が俺は好きだったけど、師匠に言わせればそれこそが自らに課せられた罰の証らしい。意味は分からなかったが、師匠が色あせたシャシンと言うものを眺めるとき、よくそのような表情を浮かべていたので、きっとそれと関係があったのだと思っている。師匠は最期まで、俺にシャシンを見せなかった。

 師匠の葬儀には誰もやってこなかった。人も少ない辺鄙な場所だと言うこともあるが、一番の理由は彼が大罪人だったからだろう。大地を覆う黒い影。世界の半分を物も育たない不毛なる土地に変えた災害。

 それを引き起こしたのが師匠だった。

 英雄としての側面もある。魔王と言う魔族の王を討ち果たしたこと。邪神の復活を食い止めたこと。この二つがよく聞く話だが、他にも強力な魔物や魔族の討伐、村の復興、奇抜な発想による商品開発、複数の孤児院の運営などなど数えきれないほどに世界を驚かせ、より良い方向へ導こうとしていた。

 だがやはり、功罪で言えば罪科の方が大きい。魔王や邪神はすでに物語の中で語られる過去の存在だが、人にとって害となる瘴気に満ちた大地は今なお人類を苦しめる脅威だ。誰だって、その原因となった人物に憎しみを向けるだろう。

 師匠は人類共通の憎悪すべきシンボルだ。時には、師匠が原因でない物事でさえも、そのしわがれた老人のせいにされていた。そのことに師匠は、寧ろ喜んでいた。少しでもそれで自らの罪を贖えるなら。極限に渇いた喉を潤す一滴の水のような。そんな慈悲として受け取っていたのかもしれない。

 どうせまたすぐに、渇くのに。

 孤児だった俺は、師匠に育てられた。師匠は俺にも縋るように謝罪を繰り返していた。かつて英雄と呼ばれた人間の残滓の一つも俺は見たことがなかったが、例え大罪人だったとしても、育ててくれた恩師に情はある。だから俺があるくたびれた農村の依頼を見合わない額で引き受けたのは、恩返しだ。


「おやじ、酒を一杯頼む」

 俺はカウンターに座って酒場の店主に話しかけた。俺が背負っている大剣を見て取ってか、親父は怪訝な表情で問うてきた。

「何だい、あんた。こんな寒村にそんな大きな得物は似合わねぇよ。何か、目的でもあるのかい?」

 そう言って細められた目に、肩を竦めて返す。

「何だ、村長から聞いてないのか?出るんだろ、"瘴魔(しょうま)"が。俺は依頼を引き受けて来たんだよ」

「依頼を?あんな駄賃にもならない額で?そりゃあ……奇特な奴だな。警戒されても仕方がないくらいには」

「悪かったな。駆け出しのハンターなんだ。仕事を選んではいられないのさ」

「そんな大きな剣を背負った新人ねぇ……まぁ、村長が受け入れたのなら問題ないか。良かったな、あんた。唯一この酒だけが、この村で誇れるもんだからな」

 店主はそう言って木製のコップを差し出してきた。中に湛えられているのは黄金の液体。確かに、この村では輝き通りの価値があるのかも知れない。

 俺はそいつを口に含んだ。苦い。あまり美味しいとは思えない。だが、その液体が喉を通る時の爽快感には驚かされるところがある。

「これは……面白いな。美味いってより、楽しいって感じだ」

「はは、兄ちゃんももう少し歳を重ねれば、今度は美味く感じるはずだ」

 酒場は賑わっている。日々の疲れを、この一時でも忘れられるように。小さな村なのに酒場がある理由が分かったかもしれない。

「この酒は、どうやって作ってるんだ?大きな町でも見たことがないんだが」

 そう問うと店主が自慢げに笑みを浮かべたが、しかしその答えは教えられないとばかりに大仰に首を左右に振る。

「この村唯一の誇りを、易々と他人に教えると思うかい?兄ちゃんも大層な剣を背負う前に、もう少し世渡りを学びな」

「そう言われると弱いな……俺はほとんど辺境の森で引き籠っていたからな。会話相手は半ば錯乱している老人だけ。うん、反論できないな」

「へぇ。まぁ何だ、これからいいことあるさ。"瘴魔"に殺されなければだがな。もっともそれは、俺たちにも言える。村長にも聞いただろうが、今回の胎動は普通じゃない。村の皆は、大型がでるんじゃないかって戦々恐々としている。俺がまだ店を開けているのは、そんな不安から僅かな間だけでも解放してやりたいからだ」

 バカ騒ぎしている店内の客を眺めながら、店主がそう言う。厳めしい顔立ちをした店主だが、その眉間による皺ほどは厳しく恐ろしいわけではなさそうだ。

 ならまだ、交渉の余地はあるかもな。

 俺は立ち上がって銅貨を出した。空になったコップを見て店主が一言いってくる。

「もう良いのか?」

「ああ。今度は二人で楽しむつもりだから」

 俺の言葉をどう受け取ってのかは分からないが、店主は黙って銅貨を摘まみ上げた。


 師匠の大罪。世界の半分を覆う瘴気。それと魔物、魔族が融合したどこともなく現れる存在。それが"瘴魔"だ。

 厄介なことに、この"瘴魔"を払うには専門の武器やスキル、魔法が必要になる。それ以外の攻撃が一切通じない"瘴魔"の存在は、元々弱者だった人間をさらにそれ以下へと追い込んだ。

 槍を持てば出来た僅かばかりの抵抗――その権利すら農民から奪われた。それまで魔物や魔族を相手に戦えた傭兵も、さらには上級の魔族とすら渡り合えた強者も、時には無力な存在へと変えてしまう化け物の猛威。人類の勢力圏はここ百年で二分の一にまで縮小し、生きる苦しみは二倍以上になった。

 眼前に広がる灰色の不毛なる大地。恩人の罪。俺は一つ溜息を吐いてその大地へと踏み出した。

 いつ歩いても酷い感触だ。ぬめりつくようで、沈み込むようで、水気のようなものを感じる。だが不快感を感じるだけで済んでいるのは、師匠が遺した装備のおかげだ。何の準備もしていない人間が足を踏み入れれば、数時間もすれば死に至ってしまう。

 俺は村から離れてスキルを発動させた。<<捜索(サーチ)>>。それなりに珍しいものの、とても世界を変革させる能力でも、人類に希望を与える能力でもない。だが師匠は俺のこのスキルに希望を抱いた。同時に、罪悪感も。自分の贖罪に俺を巻き込むことを、申し訳ないと思いつつも、俺を鍛え上げた。

「……200メートル前方か」

 安定しない大地を歩く。ずっと眺めていると目がおかしくなりそうな色合いのこの場所に、幾つもの神の欠片が埋まっていることを知っている人間は少ないだろう。

 師匠が殺した邪神の亡骸が発する邪気。それこそがこの瘴気の正体だ。

 師匠は言っていた。"あれは邪悪でもこの世界の神だった。決して失ってはならない存在(バランス)だった。それを儂は、己の力に自惚れるあまりに殺してしまった"、と。

「ここか」

 視線を下に向ける。もう一度<<捜索(サーチ)>>を使う。二十メートル下。俺は背負っていた大剣を不浄の大地に突き刺した。見た目は目立つほど大きいのに、その能力の扱いには繊細さが求められる。先端から溢れる魔力を手のように伸ばして地中を掻き分け、目的の神の欠片を探す。この時だけは、瘴気に侵された大地の柔らかさに感謝するべきだろう。

 魔力の手が、途方もないエネルギーを放つ物体を掴む。さて、今回はとりあえず個体のようだ。

 俺はそれを一気に引っ張り上げた。

 気味の悪い泥と、魔力によって編まれた光る手。そして輝く物体が宙を舞う。数秒して、眩い太陽の光を斬るようなそれが地面に突き刺さった。

 それを素早く拾い上げる。滑らかで、けれど固い感触。槍だ。時に武器として、時にスキルとして、時に生物としての形を模すその神の欠片を俺は、腰に備え付けた収集用の魔道具にしまい込む。

 これでもうこの辺りが瘴気に侵されることはないだろう。今回は抵抗しないタイプで助かったが、時に生物や物体の形となってこちらに襲い掛かってくることもあるのだから、気が抜けない。

 踵を返す。後は、村を襲う"瘴魔"を倒すだけだ。だがそれも問題ないだろう。俺は収集用の魔道具を撫でながら、久しぶりの成果に微笑した。


 "瘴魔"の咆哮が、夜を裂いた。村の貧相な家々から、小さな明かりが漏れ始める。夜空で輝く星々。それを隠さんばかりの巨大な獣の影。闇の中で赤黒く輝く二つの眼光のみで、人間に対する十分すぎる程の憎悪を感じさせる脅威。腕の一振りで容易く建物を倒壊させる化け物によって、村人たちが恐慌状態に陥る。

 俺は村はずれに灯していた焚火の火を消して立ち上がった。素早く、地を蹴る。俺自身には"瘴魔"を殺せるスキルも力もない。

 だが。

「くそっ!この店は、この店は壊させんぞ!ここが壊れたら、この糞みたいな世界で何を楽しみにするんだよ!」

 "瘴魔"を前にピッチフォークを構える酒場の店主。あれはマズイ。あんなものでは傷一つたりとも付けられない。"瘴魔"を刺激するだけだ。それは店主も分かっているだろうに。

「ちっ……間に合え!」

 大剣を抜く。"瘴魔"が巨大な手を振り上げる。俺は足に一層強く力を籠め、"瘴魔"の一撃と店主の間に踊りこんだ。

「ぐううぅぅぅぅぅ!!」

 とてつもなく重い一撃。元英雄の師匠に鍛えられたとはいえ、天賦の才を持たない人間が一対一で相手をしていい存在ではない。大剣を握る手が、大地を踏みしめる足が熱い。これは確かにただの"瘴魔"ではない。

「ああぁっっつ!!」

 吹き飛ばされる。俺には店長の生死を確認する余裕もなかった。すぐにでもこの"瘴魔"を打ち倒さなければこっちの命が危ない。力の入らない足で何とか立ち上がり、血の伝う手で腰の収集用魔道具のふたを素早く開け、そこから昼間手に入れた槍を取り出す。

「喰らいやがれぇぇぇええ!!!」

 俺が放ったのは全身全霊の力をこめた、ただの武骨な投擲。

 俺は、師匠のようなイセカイテンイシャじゃない。強力なスキルもない。邪を払う魔法も使えない。だが俺が投げたのは、イセカイテンイシャが殺した神の欠片だ。

 邪神。その名に似合わない美しい(かみのかけら)が闇を裂く。神々しい光を一帯に放った槍は、俺の全力以上の速度で"瘴魔"に迫ると、その頭を呆気なく貫いて消滅させた。

「あー……どこまで飛んでいくんだ、あれ。回収するの、めんどくさ……」

 俺は倒れている酒場の店主に近づき、その無事を確かめながら星のように夜空で瞬く槍を見て溜息をついた。



「帰ってきたよ、師匠」

 俺は師匠の慎ましい小さな墓にそう告げた。それから、右手に持つ木製のコップを逆さまにする。

 流れる金色の液体が墓を濡らす。もう百年以上も前、師匠が拓かれたばかりの村に製法を教えた"びーる"と言う酒らしい。師匠は"びーる"をずっと飲みたがっていたが、遂にこの世界で口にすることは無かった。

 自分にはそんなことなど許されない。そう言って師匠の世界の味を、師匠は死ぬまで味わわなかった。

 でも、死んでからなら許されるだろう。俺は左手のコップの中身を呷り、やはり苦いそれを飲み干した。

 酒場の店主は"びーる"をこの村唯一の誇りと言っていた。伝えてから百年以上経っても、残されるものはあるのだ。

 師匠、あんたが残したのは決して大罪だけじゃない。"びーる"以外にだってたくさん世界のためになっているものがある。でもあんたは、その程度で赦されるわけがない、と自分を嘲笑するんだろうな。

 だったら仕方ない。俺が少しでもその罪を償ってやるよ。打算でも、孤児だった俺を拾ってくれたお礼だ。

 でも出来れば。

「生きているうちにあんたと酒を酌み交わして、あんたの世界の事も聞きたかったよ。師匠」

 俺はあの村の酒場の店主から、店を救ってもらったお礼にと教えて貰った"びーる"の製法を眺めながら、ゆっくりと呟いた。

拙い内容ですが、読んで頂けた方に精一杯の感謝を。

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