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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不可解な死体

作者: 時雨もゆ

 その日俺が検死に向かった現場では、かなり不可思議な死体が発見されていた。


  検死、というのは医師が法医学的知識に基づき、発見された変死体を観察する行為である。また、変死体、というのは、何が原因で死んだのか分からない死体──たとえば、一応心臓発作で死んだことにはなってるんだけど、なんで心臓発作になったのかは分からないような死体のことである。


  話を戻そう。


  そう、その日俺が出向いた現場には、かなり不思議な死体があった。その死体は廃工場の倉庫に放置、いや、飾られていた。


  天井から吊るされた糸でマネキンのように手首と首が固定され、首は上を向くようにされていた。

  どうやら若い女のようで、服は半分剥ぎ取られたような状態である。

  まず1つ目の疑問は、天井から死体までの距離は約7メートルあること。おかしい。一体犯人は、どうやってその死体を吊るしたのか。


  空中にぶら下がっているそれをさらに注意深く観察する。おそらく死後6〜8時間は経っているらしく、手足の筋肉まで死後硬直は及んでいる。また、死斑──死後数十分で、死体の最も低位置に発生する皮下出血──は、この場合の最低位置である足ではなく、なぜか背中に現れていた。おかしい。それでは、背中に死斑が固定されるまでのかなりの時間が経ってからこの体制に飾られたという計算になり、こうなると、死後硬直や腐敗の速度から類推した死亡推定時刻と合わない。


  結局その場で行った検死では、有力な情報は得られず、死体は解剖へと回されることになった。


 また、解剖すると、死体に溺死で死んだ痕跡が残っていたり、気管には煤が張り付き、焼死した可能性が見られるなど、不可解なところばかり見えてきた。


  その日から約一週間後。

  俺はまた、若い女の死体が見つかったというので、前の工場から20キロほど離れた河川敷へと向かっていた。

  警察からの連絡では、詳しくは分からないものの、どうやら死体は前と同じように、橋の袂から吊るされていて、犯人は、同一人物だとみられるとのことだった。

  俺がその場で確認したところによると、前に比べて唇が糜爛した跡があり、どうやら青酸カリなどの薬物を用いて殺されたらしいことも分かってきた。


  けれど、それにしてもおかしい。俺のチームでは日々、どうやって殺されたのかなど、研究が続いているが、それもあまり芳しくないし、今回の件では新たに青酸カリだなんて特徴も増えている。訳が分からない。


  俺は橋の下から覗く、雲一つない青空を見つめて、ため息をついた。


  それから約1ヶ月、1週間ごとに死体の発見は続いた。

  ある時は家の梁から吊るされていて、またある時は神社の鳥居に吊るされていた。


  犯人の目撃情報は、不思議なことに皆無と言って良いぐらいになく、防犯カメラにもそれらしき姿は写っていなかった。


  警察は総動員で捜査にあたり、犯人は、指名手配犯へと指定された。


  そんなある晩のこと。深夜、新たに死体が発見されたのだという連絡で目を覚ました。

  聞くと、最初に発見された工場の倉庫で見つかったのだとのこと。見張りはいたはずなのに、なぜか犯人に気づくことなく、新たな殺人が行われてしまったらしい。

  もう監察医補佐や、その他の人材は派遣されているから、あとは先生だけなのだと言われた。

  できるだけ早く来て欲しいので、タクシーに乗ってこいと、いつも連絡を寄こす刑事の声色が言った。


  俺は、それに従った。


  普段はあまり乗らないタクシーに乗り込み、雨が窓を叩く中、状況を整理しつつその場へ向かった。


  一体犯人は、誰なのか。なんのためにこんなことをするのか。そもそも、どうやって殺したのか。


  分からない。分かるはずない。だって、俺は、そんな風に人を殺したことも、殺したい、見捨てたいと思ったこともないのだ。


  現場へ向かい、タクシーを帰らせて、倉庫の扉を開く。やたら静かだ。みんな落ち込んでいるのだろうか。


  そう思って扉を開けた俺は、思わず悲鳴を上げそうになった。

  辺りは血の海。死体の山。原形を留めているものは少なく、脳漿などの体液が吹きこぼれ、その中を誰かの眼球が揺蕩う。


「一体誰が、こんなことを……!」


  呟くが、そんなことはわかりきっている。

  間違いなく、この一連の事件の犯人だろう。

  だとしたら、俺はもう殺されてしまうんじゃないか。

  そう思うと怖くて、膝が震え、思わず崩れ落ちた。くるぶしの辺りで、誰かの内臓の破片が破裂するような感覚がする。


  不意に、ひたひたと誰かが血の中を歩く音がしてきた。


  震える息を吐き、顔を上げる。


「やぁ、こんにちは」


  目の前にのっそりと立つその人物は、にっこりと笑った。どこか、見覚えのあるような、ないような……。

  絶望したように座り込む俺の顔を、あれ? 覚えてない? とそのままにこにこ覗き込む。


「覚えて、ないです……」


  掠れた声で呟くと、彼はふ〜ん、とつまらなそうな声を出した。


「覚えてないのかぁ……。ちなみに、上里良二、て名前に聞き覚えはない?」


  ひたひたと血の海と死体の間を行き来しながら、彼は言う。俺は今までサイコパス、と呼ばれる人間を見たことがないが、彼はまさしくそうだと思った。


  それにしても、上里良二、か。聞いたことはある。確か3年ほど前に、検死をしたはずだ。死因は確か、脳卒中。


「はい、あります」


  一瞬事実を言おうか躊躇するが、一縷の望みをかけて答えた。もしかしたら、この尋問で彼の機嫌を取ることが出来れば、俺は助かるかもしれない。


「なるほどねぇ。じゃあ、脳卒中で死んだ人、てのも、覚えてるんだ」


  彼は白いジャケットに血の染みが付くのも厭わず、歩き続けた。なんだか、濃く立ち込める血の匂いのせいで、もう吐きそうだ。


「覚えてます」


「じゃあさ」


  不意に、彼が立ち止まった。ずっと見つめていた膝へと影が伸び、思わず顔を上げる。頭をがしりと、掴まれた。


「上里良二はさ、君が殺したんだってことも、覚えてる?」


「どういうことだ?」


  相変わらず俺を覗き込む犯人と向かい合う。何食わぬ顔で。ここが、一番大事なところなのだ。


「ちなみに俺は、上里良二の息子ね。それで、ちょっと前に、ここがいい感じに発達したんだよ」


  彼は、人差し指でこめかみをさした。

  IQが高い、とでも言いたいのだろうか。

  黙ったままでいると、飽きたように手を離し、その場に座り込む。


「本当に君は性格が悪いや。知らぬ存じぬを、決め込むんだね。でもさ」


  彼の瞳から、光が消えた。


「父親は、君が殺した。なんらかの手段を使って。本当に、脳卒中みたいにして偽装したんだ。解剖しても分からないように。そういう能力、あるんだろ?」


「どういうことなんだ?」


  禅問答のように繰り返すと、彼はため息をついた。そんなのお前が一番分かってるだろ、とでも言いたげだ。


「俺さ、あの時まだ高一でさ、寮で暮らしてて、親父がいきなり死んで、そんでかなりショック受けて、そんで葬式行ったんだよね」


  彼はいきなりの昔話を始め、倉庫の電気を、まるで眩しいとでも言うかのように、目を細める。


「トイレに行ったとき、だったかな。君が電話で喋ってるのが、聞こえてきたんだ。『上里 良二は本当に死んだんだ。もう肩の荷は下りた。解放されたんだ』って」


  はは、と乾いた声を上げる。

  それから殺意のある目をこちらに向けた。


「あらから色々あってさ、俺は今の能力を手に入れた。能力について、詳細には語らないよ。面倒臭いし。強いて言えば、人を思い通りの殺し方で殺せるし、あとは記憶を他人と共有できたり、他色々、て感じ。まあ、それで知ったよね。君の殺害計画の全貌を」


  ひゅっと、喉から息が漏れた。おかしい。全部こいつの妄言だ。だって俺は本当に、殺人などおかしていないのだ。


「それは、嘘だ」


  力ない声で呟くと、さて、と彼は立ち上がった。


「君で最後の芸術が完成する」


「芸術?」


「ああ、死体、いや人間なんて、最高の画材じゃないか。ただ、そんなくだらないことの理由のために人殺しはしたくなかったから、憎しみを抱く君を最後にするけどね。一応、今まで最低限の人間を、面白いように殺すため、努力はしてきたんだ」


  ケラケラとさも可笑しそうに笑う。


「さぁ君は、どうやって死にたい? 窒息死、溺死、焼死? なんでもあるよ」


  絶望感に苛まれて俯いた俺の目を、地面に落ちた誰かの眼球が覗き込んでいた。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 難しいテーマだと思いますが、短編としてよくまとめられていると思います。 [一言] お疲れ様です。 監査医が主人公の小説というのは、珍しかったので勉強になりました。 次回作も期待してい…
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