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短編・童話集

幸運――魔法のバット――

 人生にはどうしても運がつきものだ。運がいい人もいれば悪い人もいる。

 野球にも、運はつきものだ。運がいい人もいれば、運が悪い人もいる。


 そして野球人生なんて言葉がある。

 俺の野球人生は、小学校の頃からはじまった。

 兄貴の影響で、バットもまともに振れない小さな頃からプレーしていた。

 はじめからそれなりにうまかった。


 中学、高校とあがっても他より抜きん出てうまかった。

 甲子園には出場できなかったが、活躍を見たスカウトが来て、プロになった。

 そこまでは上等な野球人生だった。試合に出ればヒーローだ。努力らしい努力はしていない。


 人生は実力だ。実力があれば有名になり、金がもらえる。

 その頃までは、そう思っていた。


 壁にあたったのはプロに入ってすぐのことで、俺の自信はあっというまにぺちゃんこにされた。

 それまで、試合に出れば誰よりもうまかった。正確な送球、華麗なグラブさばき、的確なスイングに、どこまでも飛んでいくかのような打球――そんなのは全部幻想だった。


 そこにいたのは本物のプロたちで、俺のプレーなどそこらの有象無象と大して変わりがない。

 俺はかつて、あんまりうまくないチームメイトたちのプレイを稚拙だと馬鹿にしていた。

 今では俺が、馬鹿にされるチームメイトになっていた。


 自主トレにキャンプは何とかやりとげた。だが、それまで意識して努力をしてこなかった俺に、それ以上の継続は難しかった。

 実力的に当然の二軍暮らしがはじまって、シーズンインするとすっかりやる気をうしなっていた。

 一年目にして引退しようと考えるプロ野球選手がどこにいるだろうか。

 いや、残念なことに、ここにいたのだ。


 選手寮で、俺は一人考え込んでいた。そして結論を出した。

 監督に直談判しよう。引退のことを。

 それまでほとんど、監督と個人的な会話を行ったことはなかったが、それしか手段はないように思えた。

 寮の部屋を出て、玄関へと向かう。


 ユニフォームを着た老人を見かけたのはそのときだ。

 玄関を出てすぐのところに立っていた。バットを持って。

 彼は俺を呼び止めた。


「こんな時間にどこへ行くんだ」

 その老人の顔は、いままで一度も見たことがなかった。

 だが、その態度を見る限り俺よりも上の立場にいる人らしかった。

 コーチだろうか。そういえば病気療養している人がいるらしい。この人がそうか。

 そう推測して、俺は素直に答えた。


「実は、引退を考えているんです」

「何を馬鹿な。お前は、まだ一年目だろう」

「ですけど、とてもプロではやっていけないと思って……」

「女の腐ったような野郎だな。実力が足りないというのなら、ちょっとこい。スイングを見てやる」


 駐車場の脇で、彼の持っていたバットを握り、俺はスイングを繰り返した。

 老人は渋い顔をしていた。

「とんでもないスイングだな。よくプロに入れたものだ。それではどうにもならん。そうだな、お前のいうとおり、お前には実力がない。プロでやっていける才能もな」


 激励の言葉でもかけられるのかと思っていただけに、その罵倒は衝撃的だった。

 もっとがんばれ、なんて上っ面のなぐさめを受けても、そのときの俺の決意は変わらなかっただろうが。


「そうですね。やっぱり、……やめることにします」

「だがな、お前はそれでいいのか。大した努力もせず、中途半端な才能で、誰もが夢見るプロになった結果がそれか。くだらない。お前みたいなやつが、野球が好きで好きでたまらない誰かさんのプロ入りの機会を奪ったんだ。反吐がでる。お前は最低だ」

 その言葉には、さすがにむっときた。

「そういいますけど、実力が足りないんだから仕方がないじゃないですか。確かに努力もしていませんし、才能だってありません。だけど野球は愛しているんです」


 その言葉は本当だった。俺は努力が嫌いだ。

 でも、野球は大好きだ。投げるのも、走るのも、守るのも、打つのも。

 練習を努力だと感じたことはない。ボールとバットさえに触れることが出来ていれば、その時間は幸せだった。


 でも、だからこそ、上手にプレーできないいまの自分が情けなかった。

 もっと野球は美しくて素晴らしいものだ。

 活躍できないことが問題なわけじゃない。

 プロに入るまで自分は、最高のプレーをしているのだと思っていた。

 それが今では、自分には永遠に最高のプレーが出来ないのだと知っていた。


「……それは知っている」

「え?」

「お前はクズのようなやつだ。だが、野球を愛している。残念なことに、お前ほど野球に対するひたむきな想いをもっているやつはいない。お前は自己中心的で、人に対する思いやりもなく、根性なしだ。しかし、野球は愛している。忌々しいが」


 この老人が何を言っているのか、よくわからなかった。

 そう言われても、どう答えていいかわからない。とりあえずうなずいてみた。

 老人が言葉を続ける。

「だから、そのバットをやろう。それで打て。せめてボールに当てろ。そうしたらお前は、野球を続けられるだろう……」


 その老人は、そういい残して駐車場を去っていった。

 俺はバットを持ったまま、しばらくその場所へ立っていた。

 後日、あの老人はコーチでも何でもないことがわかった。

 病気療養中のコーチを選手名鑑でみてみたら、まったくの別人だったからだ。


 野球を愛しているから、俺は運を呼び込んだんだろうか。

 いや、たぶん違う。もっと野球を好きな人はいるだろう。

 プロには、三度のメシよりも野球が好きというやつらが何人もいる。そいつらにかなうとは思えない。

 たぶん、あのときの俺はみじめだったんだ。

 だから、あの老人が運を授けてくれたんだろう。


 あの日の翌日、老人にもらったバットを使った。

 その日の二軍の試合を最後に引退しようと思っていたが、試合途中で代打に使ってもらった俺は、二安打を放った。

 ポテンヒットにぼてぼてのゴロだったが、ヒットはヒットだ。

 それで少しはやる気が出た。


 翌日はスタメンで使ってもらい、再び二安打を放った。

 一つはうまく当たったクリーンヒットだったが、もう一つはライン際へふらふらとあがった打球がフェアになった。それがプロ入りしてからはじめての長打だった。


 その次の日は散々だった。外野にすら打球が飛ばなかった。

 内野ゴロ、キャッチャーフライ、ファールチップの三振。

 けれども、調子が悪かったわけではなかった。


 その日、試合後のベンチで一人、俺は考えていた。

 これが俺の実力だ。芯に当たるのはせいぜい十打席に一度。それがヒットになるかどうかすら定かではない。


 ただ、一昨日と昨日は運がよかっただけだ。そして昨日と今日の違いは、あの老人にもらったバットを使わなかったことだけだ。

 たぶん、老人がいってたのはそういうことなんだろう。

 あの老人が何者かはわからない。だが、あのバットは大切にしよう。


 そして、今では俺はこう思う。人生は運だ。

 運次第でなんとでもなるし、なんともならない。

 ただ、大切な何かを見つけ出すことは重要だ。

 いつかその大切な何かが報いてくれることもあるかもしれない。


 今年俺は首位打者を取った。もちろん一軍のタイトルだ。

 ルーキーの首位打者は史上初だそうだ。ホームランはゼロ。これも珍しい記録だ。

 長打はほとんど打てない。四球が少なく、出塁率も悪い。三振も多い。守備もまずい。足もさほど速くはなく、走塁もうまくない。だから新人王は投手に譲ったけれど、それでも首位打者だ。

 テキサスヒット、野手の間を抜けるボテボテのゴロだらけではあるが、それでもタイトルはタイトルだ。

 あのバットが俺にそんな幸運を与えてくれた。


 手厳しい評価ばかり俺にくだされているけれど、一つだけ賞賛される点がある。

 それは用具を大事にしていることだ。日々のバットの手入れを怠らない様は、この間テレビでも放映されていた。


 俺はその取材でこういった。

「一生、このバット一本でやっていこうと思います」

「もしも折れたら?」

「たぶん、引退ですね」


 冗談としてとらえられたが、たぶん本当にそうなるだろう。

 今の俺はバットを折らないよう、ボールを確実にバットの芯へ当てる技術とスイングを身につけようとしている。

 日々意識し、努力して身につけようとしているその技術は、かつて俺が理想としていたスイングそのものだ。


 けれど、いつかはバットは折れるときが来る。

 それまでせいぜい、プロとしての生活を楽しむつもりだ。

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