第一章 幕間1
ロサ・マルチフローラ城から早馬で半日ほどの場所。
海沿いの平野部からかなり離れた山岳地帯のたもとという場所に、『炎竜の洞窟』がある。
城の闘技場で開催された、勇者選抜のための闘技大会。その参加者である闘技大会の猛者たちが、炎竜の洞窟に集まっていた。
山岳地帯に多い天然の洞窟であるが、下層は地下百階からなる大ダンジョンであり、最下層には『炎竜』と呼ばれる竜が待つと噂される洞窟である。
そこは魔の力に支配されたカール・ロッシジャーニが、誘拐したヒルダを抱え、前後不覚に陥りながら身を隠した場所でもあった。
時間帯は朝靄がかかり始めた早朝。ようやく宵闇が明け始めた頃。
彼ら闘技大会の猛者たちは、早馬でこの場所に駆けつけていた。
「ローランドの魔力察知を頼りに後を追ったはいいものの、こりゃあひでえな」
「夜中に発生した地震では肝が冷えた。幸い城下に影響は殆どなかったが、この辺りの被害は深刻のようだ」
闘技大会参加者のガルツハルト・シュナイダーと、マサムネ・サムライソードが、馬上から周囲の様子を伺い絶句する。
ここは山脈の麓となる。このあたりの山はほぼ岩山で、木々は点々としか生殖しない。山の表面は地震に弱く、未明に山脈方面で発生した地震により、あちこちで岩肌が崩壊している。
彼らがいるのは炎竜の洞窟の入り口。荒涼とした岩肌にぽっかりと開いており、奇跡的に地震の被害は大きくなく、行き来は可能のようであった。
しかし、洞窟の内部がどうなっているのか──。
先の見通せない真っ暗闇の入り口から、それをうかがい知ることは出来ない。
同じく馬上にいたシャイン・ストームブリングは、岩肌のある一本の木に、馬が紐で繋がれているのを見つけ寄っていった。
シャインは奇跡的に地震の落盤・落石を逃れた馬の首をごしごしと擦ってやり、繋がれていた紐を切断した。馬は感謝するようにいななき、鼻先をシャインに擦り付けた。よしよしとひとしきり撫でてやると、馬はロサ・マルチフローラ城下方面へと駆けて行った。
「今のはカールの馬だな。魔力の痕跡が残っており、それは洞窟内に続いている。間違いなく、カールはこの中にいる」
生きているか、死んでいるかは分からないが。馬上で一部始終を見届けたローランド・A・リリックマスターがそう続けた。
馬を開放してやったシャインが続ける。
「確かにそれは分からない。けど時間が経てば経つほど、カールと……そして僕ら探索先行隊の命である、ヒルダ王女の奪還が果たせなくなる。一刻を急ごう」
シャインの呼びかけに、他の面々が頷き馬上から降りる。
ロサ・マルチフローラの城では、全軍をあげヒルダ王女の探索と奪還に動いている。
彼ら闘技大会の猛者たちは、ロサ・マルチフローラゆかりの者ではないが、居合わせ内情を知る者となる。城からの要請で、独立部隊として探索を進めていたのだ。
リーダーは弓兵のシャイン・ストームブリング。
優男風で他の猛者たちに比べ線は細いが、急場のチームをうまくまとめていた。
一行は魔力の残滓が続く洞窟内へと向かっていく。
洞窟内は当然真っ暗。ローランド・A・リリックマスターが照明の魔術を行使し進んでいく。
ここ炎竜の洞窟は上層部分は人の手が入っている。凶暴な獣退治のギルド依頼や、太古からの値打ちものアイテムの探索で、腕自慢の戦士たちが入り込んでいる。通路や階段がそれなりに整備されている。
しかし今は地震の影響であちこちが崩れている。4人はローランドの明かりを頼りに慎重に進んでいく。緊張をほぐす様にガルツハルトが言った。
「魔術師がいてくれて助かったぜ。アンタの魔力察知のお陰で、これでも探索が捗っている」
「……そんなことはない。私は対処しているだけだ。これは私の魔術の力のお陰であり、私自身の力ではない。理想としてはカールのヒルダ姫誘拐を阻んでしかるべきだった」
「理想を持つことは素晴らしいけど、常に理想を満たせるわけでもないから、やっぱり対処は必要になってくるよ。今はできることをしよう」
カール襲撃に真っ先に気付いたのはローランドだ。
結果的にヒルダ王女誘拐は防げなかったが、ローランドが気付けなければ、もっと最悪の事態を迎えていたかも知れない。
だがそれは、たらればの話。
ローランドが自責に駆られるのも、自分自身を許すのも、ローランド次第の話となる。
洞窟内は地震の影響か、凶暴な獣たちもなりを潜めている。
彼らは魔力察知と明かりを頼りに、崩れかけた洞窟内を進んでいくが、ひときわ被害が大きいフロアに到達した時、思わず彼らは苦悶の声を漏らす。広いフロアはそこかしこ崩れ、フロア奥の方は眼を覆いたくなる有様だ。床が崩壊し真っ暗闇の大穴が開いている。
「……このフロアの魔力反応がひときわ大きい。何かの手がかりがあるはずだ」
ローランドがそう言うと、4人はフロアの探索を開始する。床が地震で脆弱になっており、慎重に探索を進めていくが、程なくして発見があった。
フロアの隅の方で倒れ込んだ、カール・ロッシジャーニその人であった。
魔の力による甲冑の変化や、禍々しい雰囲気はない。
ぐったりとはしているが、どうやら意識はあるようだった。
カールは重要な参考人として捕縛せよとの指令が出ている。だがこのまま連れ帰るわけにはいかない。姿の見えないヒルダ王女の行方を聞き出す必要があった。
「しっかしりろ。ヒルダ女王をここに連れ込んだのはお主だろう。どこにやった」
「う、ううう……す、す」
カールが呻くようにあげる言葉は意味を成さない。それでも、誰かが自分に問いかけているという認識はあったらしい。カールは息も絶え絶えに答えた。
「す、すいませんでした、ヒルダ王女……私は、私の弱さが恨めしい。もし……もし、再起の機会があれば、この身を代えてヒルダ王女と、ロサ・マルチフローラと、この世界の平和のため、尽力をしたい。そのため、強くなりたい……」
それはカールの悔恨の告白であった。
カールの答えは答えになっていないが、同時にカールがある一点を力なく指さしていた。
その先は──崩落し、がらんどうになっている床の大穴であった。
あの中に落下したとでもいうのだろうか。4人は戦慄をした。
カールの扱いを一次留保し、4人はがらんどうの大穴付近へと向かう……しかし。
「この中に姫さんが落ちたってのかよ。どうする。これでは、もう……」
「生死は判断できない。しかし、足元も今にも崩れそうだ」
ガルツハルトとマサムネが息をのむ。自分達のように鍛えた者でもかくやという有様だ。十代の線の細い女が無事である可能性はとても低い。その時だ。
ずずずずずず……。
微弱な地震があった。先刻の大きな地震の余震だった。
ぱらぱらと小石が落ち、床面が振動する。幸いすぐに収まっていったが、4人の顔が色を失う。
このままここにいると、二次災害に巻き込まれる。
今も洞窟ごと崩壊する危険性がある。何らかの判断を早急に下す必要があった。
「……今はカールを連れて帰還しよう。この場に留まっていては、崩落に巻き込まれる。そうなってはこれまでの探索の結果が無駄になる。ヒルダ王女の探索は、改めてこの先の探索準備を進めてからにしよう」
リーダーであるシャイン・ストームブリングの苦渋の判断であった。
ここまで来られただけで良しとするか、ヒルダ王女を救うため、命を賭けるか──。
しかし、命まで賭けようとする者は、誰もいなかった。
登攀の準備もない。その心得もない。しかも洞窟全体の崩落の危機が迫っている。
100人中99人が、これまでの成果を失うリスクを考慮し、引き返すべき局面だった。
しかし、もし仮に、その小数の一人であったのだとしたら──。
4人はカールを抱え、来た道を急ぎ戻って行く。
道中も意識が朦朧としているカールが、悔恨の言葉を呟いていたが、それは闘技大会の猛者たちである4人も同じだった。
自分たちは相応に腕が立ち、ギルドの難クエストを幾つもこなし、世のために尽くしている。
だが、それが何だというのだろう。ギルドが難しいと定めたクエストをこなすだけで、難しい局面を打破する力を持つ勇者であると、誤認していたのではなかろうか。
そう。
100人中のたった一人のような男こそ、真なる勇者と呼ばれる存在なのではないか──と。
そうなるべく機会を逸してしまった4人にとって、洞窟からロサ・マルチフローラ城に帰還する道の足取りは、疲労感を差し引いても、決して軽いものではなかった。