第一章 5
はえ?
真の勇者?
ヒルダは目前の脅威も忘れ、ただただ目を見開きポカンとしている。
眼前に青い外套の騎士……とは言い難い軽装の男がいる。
体格は細身のカールより大きいが、大剣使いのガルツハルトほど大男ではない。
戦士と言われれば納得の体格だが、無骨な鎧甲冑は付けていない。あくまでも軽装。
唯一の特徴は前述の青い外套となる。狂戦士と化したカール・ロッシジャーニの突撃を、刃渡り半身ほどの普通の金属剣の腹で受け止めている。今のカールに理性があるか不明だが、よもやこれしきのことでと言わんばかりに、悔し気な咆哮を上げる。カールが纏う魔の力の圧で、目の前の『真の勇者』たる男の青い外套が涼し気に翻るのが対象的な構図だった。
「いつまでも吠えてんじゃねえ!」
青い外套の男(真の勇者)が剣ごと押し返すと、カールはたたらを踏んで洞窟の壁まで後退した。
あのガルツハルトにパワーで勝る魔の力を行使するカールを、軽々と押し返した──!
ごくありふれた普通の金属剣を構え、青い外套の男はこう言い放つ。
「話は聞かせてもらった。お前が強いか弱いか分らんし、知らんし、興味もねえ。だが無抵抗の女に危害を加えようとする時点で、お前は最低最悪の悪人だってことなんだよ!」
真の勇者を名乗るその男が、青い外套を翻して突撃する。
いや、それは突撃などという生易しい表現ではきかない。
人間離れした全身の筋肉とバネで、圧倒的に予測不可能の挙動で襲い掛かった。
まるでその有様は野生の肉食獣。しかし既知のどれでもない。青い外套の男という肉食獣の動作としか言えない超常的な勢いだった。
カールは反応できない。
ヒルダも目で追うのがやっとだった。
その刹那の一瞬に、青い外套の男はその金属剣を振りかぶり、どす黒い甲冑を纏うカールに峰を打ち付けた。そう、峰打ちだった。
だがそれはよく言う打ち付けるだけの峰打ちではない。
「ァぐああああ!」
その打撃はカールの右腕あたりに叩き込まれた。カールの身体は甲冑ごとくの字に折れ曲がり、このだだっ広い洞窟の端まで吹っ飛んでいった。ヒューーーッ、どがっ、どがっ、ごろごろごろごろ、ぐたっ──と、とても痛そうかつ哀れな感じに吹っ飛んでいった。
青い外套の男は満足げにその様子を見届ける。カールの甲冑は転がって動かなくなり暫くすると、元の白銀の甲冑に戻った。魔の力が奔流を止めたようだ。
「峰打ちだ。暫く起き上がれないだろうが命に別状はない。安心しろ」
さも当然のように青い外套の男は、金属剣を納刀する。
いや、峰打ちというより、峰を使った殴打という感じだったけど……。
青い外套の男は、ポカンとするヒルダをよそに傍らに置いた皮のバッグを漁り始める。これまた革製らしい紐を取り出し自慢げにヒルダに笑いかける。やはり子供っぽい笑顔だ。危機的な状況下に関わらずヒルダは呑気にそんなことを考える。
「とりあえず自己紹介といきたいが、のんびりしてる余裕もない。あれをどうにかしつつやるぞ」
「アレ?」
青い外套の男が顎で指すのは、もんどりうって昏倒するカール・ロッシジャーニだ。
用意したのは革製の紐。つまりそういうことかとヒルダは合点する。
「真の勇者たる俺にとっちゃ、こんなの日常茶飯事だ。悪人を縛り上げる道具は常に携帯してるんだぜ」
「はぁ」
ヒルダは生返事する。
相手は屈託なく話すが、ヒルダにとってこの青い外套の男がカールに続く第二の脅威でないという保証は今のところない。気は抜けない。だがこの男は悪人ではなさそうだった。加えて『勇者』を名乗るなら、ヒルダは時期女王として相応の立ち振る舞いをする。そういう風に教育をされている。
「どこのどなたか存じませぬが、窮地を救って頂き感謝します。私はロサ・マルチフローラ国のヒルダ・マルチフィローリアです。『真の勇者』を名乗る者よ。よりその道に励み、この世界のために尽くしてください。そのために私は一国を代表し、心から応援をしたい」
ずっと子供の頃から教えられたことだ。
ロサ・マルチフローラの女は勇者たる男を支え応援する。それが国の安寧と繁栄に繋がっていく。
しかしその青い外套の男は、冷めた目でじっとヒルダを見て口を開いた。
「……つまんねえな。国だの世界のためだの、応援したいだの。ぐだぐだと面倒くさい。さっきの騎士と同じだな。国のためとか世界のためとか、そんなの俺には関係ねえ。ただひとつだけ貰えりゃそれで満足だ。うわべだけじゃない。心からの感謝の言葉ってやつをな」
男はそう言った。
ヒルダは絶句した。ここまでの徹底したなしのつぶては初めてだった。
心からの言葉──。
ヒルダは必至に考えた。
教育されたからではない。窮地を救われたこの男に対してヒルダが抱いた感情──。
青い外套の男はしかし、全く気にした素振りもなく、昏倒したカールのところへ向かっていく。
ヒルダも後を追う。早くしなければ伝える機会を逸してしまう。
それが正解なのか不正解なのか、ヒルダには分からない。
だが全力で伝えることにした。でないと後悔する。
(今出来ることをしないと後悔する。それは、誰に教えてもらったんだっけ……?)
浮かんだ疑問はすぐに消えた。今はすべきことがある。
ヒルダは洞窟内に反響するくらいの大声で叫んだ。
「あ、あ、あ、ありがとう!!」
と。
大きい声というより、でかい声だった。ヒルダは自分でも驚いた。こんな大声が出せるものなのだなと。初の試みであったが不思議と爽快感に満ちていた。
青い外套の男は驚き振り返るが、すぐに笑って返してきた。あの子供っぽい笑顔で。
「いいってことよ!」
と。
男の返事はそれだけだった。それだけで足りると確信じみた所作だった。
相変わらず不思議な感覚だった。爽快感が高揚に代わり、今度は言葉がうまく出てこなくなった。
気持ちを落ち着かせるべく、ヒルダは男の後を追った。
昏倒した狂気の勇者、カール・ロッシジャーニを革紐で縛り上げつつ、二人は自己紹介しあった。
「俺の名はアゼルスタン・アゼルノーヴェだ。真の勇者アゼルと呼んでくれ。ちなみに23歳だ。お前は何者だ。ロサ・マルチフローラの王女とか言ってたが本当か?」
「はい。本当です。改めまして、私はヒルダ・マルチフィローリア。形式ばった振る舞いを好まれないかも知れませんが、アゼルには正式に王室より感謝の意を表したい」
「アゼルじゃない」
「はい?」
「真の勇者・アゼルだ」
「……畏まりました。真の勇者・アゼル。カールを捕縛したらロサ・マルチフローラ城へおいでください。最大級のもてなしをいたしましょう」
「堅苦しいのは好みじゃないが、うまいものを食わせてくれるなら招かれてやってもいい」
「それは勿論。王国きってのシェフたちが腕によりをかけます」
ところで、とヒルダは話を変える。
悪人ではなさそうだが、この男の身元は未だ知れないし目的も不明。慎重に探りだしていく必要があった。
「ここがどこなのかご存じでしたら教えてください。察するにどこかの洞窟のような場所ですが」
「ここは炎竜の洞窟だ。知ってると思うがロサ・マルチフローラの城から半日くらいの場所だな。俺は真の勇者だから常日頃から修行を怠らない。この炎竜の洞窟には、百階からなるダンジョンがあるという。そこで腕を磨き、ロサ・マルチフローラの闘技大会の優勝者と手合わせ願うつもりだった。洞窟を潜ってたら、お前さんとこの騎士の問答に遭遇した」
「え、闘技大会の優勝者?」
ヒルダは驚くが、アゼルはつまらなそうに革紐を縛り上げた。
とんだ見込み違いだと言わんばかりに、昏倒したカールを睥睨する。
「こんなやつが優勝者だったとはな。噂に名高いロサ・マルチフローラの闘技大会もたかが知れている」
「……闘技大会の優勝者と手合わせしたところで、勇者の選定は受けられませんが?」
念のためヒルダは聞くが、
「そんなもんに興味はねえよ。俺はただ腕試しに丁度いいと踏んで、はるばる南方の、サウスファタルカからやって来たのさ」
サウスファタルカはエルザード大陸の最南端に位置する国で、ロサ・マルチフローラとは異なる特徴的な支配制度が敷かれた国だ。海路で大陸を外回りして一週間はかかる程遠い道のりとなる。気を取り直してヒルダは提案する。
「とりあえず、いったんはロサ・マルチフローラにお寄せください。この男──カール・ロッシジャーニを然るべき機関に引き渡し、身辺調査をして、背後関係も洗います。世の転覆を図っているらしい魔王教の調査にも役立てます」
魔王教という言葉にアゼルは一瞬だけ眉を潜めた。
この不遜な男にも事の重大さが伝わったか。ヒルダはそう認識したが、そうでもなかった。
「然るべき機関に調査依頼? は? 正気? お前何言ってんの?」
続くアゼルのさも小馬鹿にしたような言いぐさに、さしものヒルダもいよいよ苛立ちを隠せない。
ロサ・マルチフローラの女として徹底した教育を受けたが、傲慢な俺様至上主義者の相手は履修していない。
ヒルダの苛立ちを他所にアゼルは続けた。
「今ここで尋問して吐かせるに決まってるじゃねーか。情報を得るためだ。そしてこの真の勇者・アゼルスタンが魔王教を討つ! それを成し得てこその真の勇者だ!」
アゼルが高らかにそう宣言した時──。
ズズウウウゥゥゥ……ン
大地から地鳴りのような音が響く。足元が揺れ、洞窟内では小石がぱらぱらと落ちてくる。
アゼルが神妙に周囲を警戒する。
山脈が近いロサ・マルチフローラは地震にたびたび見舞われる。ここ炎竜の洞窟は山脈により近い。地震が起きてもおかしくはないが──。
やがて、地鳴りは収まっていく。一過的な地響きで済んだようだ。
「はッ。大地もこの真の勇者に恐れを成しているな。ハハハッ」
「それではどっちが魔王なんだか……」
そんな益体ないやり取りをしている最中に、
「う、うう」
すっかり革紐で縛り上げられてたカールが呻く。
目を覚ましたようだ。あるいは、目を覚ましてしまったようだ。
「さて、尋問の時間だ」
さも楽しそうにアゼルが言う。ヒルダにはその子供じみた笑顔が今はひどく凄惨なものに見えて仕方なかった。