第一章 2
ロサ・マルチフローラ城内はかつてない活気に満ちている。
女王の間に直結するエントランスホールでは立食形式のパーティが挙行されていた。
正装の男女がそこかしこで談笑し、料理に舌鼓をうつ。給仕係はあちこちで呼ばれ、ひっきりなしに行き来していた。
勇者選定による新女王の誕生に伴い、婚姻の儀。つまり国の最高権力者の結婚式が執り行われる。
明日が結婚式当日。つまり今日はその前夜祭である。
当事者たるヒルダはエントランスホール最奥のテーブルで、会場の喧噪をぼんやりと眺めている。
食べて話して、飲んで騒ぐのは反対しない。
彼ら彼女らは、善意で国の安泰を祝福しているだけだ。
しかし、そもそも当事者たる私は、その理由を受け入れられていない──。
ヒルダは机上の贅を尽くした料理を少しも手を付けず、じっと唇を閉じ俯いている。
「姫さん。世界を守る勇者としてもてはやされ、お姫様と結婚できりゃあ至れり尽くせり。そんな気持ちで挑んだが、一歩及ばなかったらしい」
「あなたは……決勝で」
鬱屈とした彼女に話しかけてくる陽気者がいた。先刻の闘技大会で、矮躯の騎士に破れた大男の戦士だ。今は甲冑も得物も持たず、小豆でも扱うようにして、果実酒を注いだグラスを持っている。腕の包帯が痛々しいが堪えている素振りはない。ヒルダは時期女王として教育された通りの応対をする。
「勝敗は時の運でもある。あなたの勇敢な戦いぶりは多くの観衆の心に残り続けるでしょう。もちろん、私の心にも」
「ハハハ。そうかそうか。なら腕を磨いてきた甲斐があったってもんだな」
麗しき姫君に微笑みかけられ、大男の戦士が豪快に笑う。
正直、ヒルダは不要な戦いの行方に興味などない。
だが、勇者ないしそれを目指す者の戦いをねぎらい、称えるのがロサ・マルチフィローラの女の役目。貴方の尽力が国の安泰に必要だ。とみに国家元首たる女王は率先し役割を担っていく。それが勇者たちの力となる。母や教育係の女たちに散々学ばされた。
女王たる母はそのようにあり続け。
勇者たる父もそのようにあり続けた。
結果として父は異邦の地で戦いに敗れ、母は娘にその命運を継がせようとしている。
17歳のヒルダにはその是非を判断するのは難しい。
あまりに陰鬱が過ぎればパーティーに水を差す。気持ちを切り替えることにした。
この立食パーティーには、大男の戦士をはじめ、闘技大会で惜しくも敗北した男達も、労いのため招待されている。
参加戦士たちは勇者を目指す者たちであり、とりもこぼさず次期女王──つまりヒルダとの婚姻を望む者たち。
その願望こそ果たされずとも、一言二言は会話しようとヒルダのもとへと集まってくる。
白髪の二刀流の男が、箸を刀のように扱い、料理をたいらげている。ひとしきり嗜むと寄ってきた。
ガルツハルトとも既に相識らしく、気兼ねない雰囲気で挨拶を交わす。
「王女よ。いや、女王陛下ヒルダ様。此度の闘技大会では己の未熟さを痛感した。諸国を巡る旅に出、剣技を磨こうと思う。そのときは進化した剣技をお披露目したい。手始めに『炎竜の洞窟』の主でも仕留めたい。そういうギルドの依頼もあるでな」
「あの洞窟の地下は古代人の手によるダンジョンだ。その主は地下100階の最奥にいると聞くぜ。仕留める頃はとっくにあの騎士野郎の人妻で、ガキの二人三人もこさえてる頃さ」
「承知済みだ。剣技の道にがそうであるよう、愛の道にもまた終わりはないのだ」
大男が混ぜ返すと二刀流の男は憮然として答える。
終わり無き道の意は図りかねるが、精進して剣の腕を見せて欲しいと告げると、二刀流の男は神妙に頷いた。
ちなみに大男の戦士の名はガルツハルト・シュナイダー。
二刀流の男をマサムネ・サムライソードという。
ガルツハルトの言う騎士野郎の姿は見えない。ヒルダがそれとなく水を向けると、
「あいつは闘技大会で疲れたから部屋で休むそうだ。手合わせした俺だから分かるが、どうも無理しすぎたようだ。力量以上の力を発揮した反動か。いや、させられたという感じもしたが──」
「女王陛下への愛ゆえに発揮した力か」
「ガチ恋勢ってやつか」
ガルツハルトとマサムネがしたり顔で頷き合う。
ガチ恋という言葉の意味がちょっとよく分からず、ヒルダは首をかしげる。
お姫様は気にしなさんなと、ガルツハルトとマサムネはしたり顔で笑い合う。
やがてゴーグルをつけた弓兵の男や、魔術師の男。他にも参加者たちが集まり、都度ヒルダは彼らの労いに追われた。
それが女王の役割。彼らは勇者と選定はされなかったが、事実上その役割を邁進し冒険を続ける者たち。彼らの労がロサ・マルチフローラ王国、翻ってエルザード大陸全土の平和へと繋がっていく。
彼ら参加者たちもめいめいに交流し、世界各地の情報交換にいそしんでいる。
ゴーグルの弓兵、シャイン・ストームブリングと、魔術師の男、ローランド・A・リリックマスターが、神妙に話し合っている。
「まあ炎竜の件はネタみたいなものだけど、最近はギルドに剣呑な依頼が多いようだよ。ならず者たちの誘拐や略奪行為を何とかして欲しい。そんな依頼だ。僕が事件を追うと、とりもこぼさず裏では魔王教とかいう奴らが糸を引いている。中には怪しげな魔術を使う者もいた」
「私の魔術はエルザード教会で管理され、体系化されたもの。つまり体系魔術か、それ以外の魔術か。それ以外は即ち邪道──つまり、『魔』の力を宿すもの。滅さずばエルザードに対する驚異となるだろう」
「そうだね。そのために僕たちがいるわけだものね」
「ここは山脈で隔てられた地だから魔の物の侵入も防げているが、エルザード大陸南方では魔王教の活動も活発と聞く。僕らも活動範囲を広げていかなければな」
参加者たちは料理と酒を嗜みつつ情報収集に余念がない。
生まれてこのかたヒルダはロサ・マルチフローラ城の周囲から出たこがない。彼ら冒険者のあり方に羨望の念が沸く。
逆説、私には母のような女王には到底なれない──。
ヒルダが俯き唇を噛んだ。その時だ。
「た、大変です。女王陛下にご報告差し上げます!」
エントランスホールに逼迫した声が響く。喧噪は静まり声のした入り口に視線が注がれる。
そこにはロサ・マルチフローラ城に使える一人の女性騎士がいた。
「どうしました!?」
母が──女王陛下が歩み出て今まさに必急の報告をせんとする女騎士に寄っていく。女騎士は息も絶え絶えでその報告を口にした。
「闘技大会優勝者カール・ロッシジャーニが乱心! 我が城の兵を手に掛け現在も城内を逃走中! アリシア女王陛下ならびにヒルダ王女は早急に避難を!」
と。